(今日の写真は、スイカズラ科ガマズミ属の落葉低木~小高木の「カンボク(肝木)」の花だ。やはり、気象は異常だ。花の咲き出す「時」がそれを教えてくれる。
例年だと6月に入らないと咲き出さないことが多いのだが、早い場所ではすでに咲いている。
分布は全国だが、主に北日本(中部以北)~北海道の「山地」の、日当たりがよくやや湿った林縁などに生える高さが2~7mほどの「樹木」である。
花序は直径10㎝ほどで、5裂の「装飾花」に囲まれて小さな花を多数つける。ムシカリやガマズミ、それにノリウツギなどに非常に似ているが、花の「咲く時季」が違うことで、何であるかの判定が出来る。だが、同じ時季に咲く「ケナシヤブデマリ」との区別は難しい。「遠目」での区別は無理である。
そのような場合は、出来るだけ傍に寄って「葉」を見ることである。「葉」が3つに深く裂けていると「カンボク」である。
9月から10月にかけて、8㎜ほどの赤い「液果」をつける。これは「透きとおって」いて鮮やかに輝く。「花」は似ていて区別がつかないが、秋の「果実」の時季になると「一際、鮮やかに瑞々しく赤く輝く」ものが「カンボク」であるから「同定」は非常に楽である。この「量が多く」艶やかな果実は、葉が落ちた後もそのまま残るのである。
だが、「ガマズミ」ほどの「甘み(?)」はない。口にして「美味しい」とはいえない。それに、「液果」の所為か「果実酒」にも向いていないといわれている。
名前の由来は一般的には「不明」とされている。だが、「枝葉が止血剤、果実は目薬りになり、人体に良い肝要な木」、つまり「肝要な木」、「肝木」ということ、それに「木を煎じて肝臓の薬に使用したので、肝木と名付けられた」ことによるとする説がないわけではない。)
◇◇ 2010年度の総会終わる ◇◇
総会が終わった。幹事会として提案した案件は、建設的な発言を頂きながら、すべて承認された。次に、今年度の「活動方針」を掲げる。
2010年度の活動の方針
今年度は、岩木山の「生物多様性」を守るという視点を活動の根幹に据えたい。新幹線の青森までの開通で「岩木山」は観光資源という扱いをますます受けることになるだろう。
観光とは「自然破壊」という要素を多分に内在・包含しているものだ。その点から、「自然を破壊しない観光のあり方」も具体的に探っていく必要があるだろう。さらには「観光開発」のいき過ぎに注意しながら行政や業者の行動を見守っていく必要があるだろう。自然に対しての「一方的」な「無い物ねだり」に行政や観光業者は応えようとするが、これを許してはならない。
そのためには、より正確な「現状」の調査と記録が必要になるだろう。
1、岩木山の自然破壊の監視、阻止、および山岳自然の保護と再生をめざし調査と情報の蒐集につとめる
2、観光行政と業者が岩木山の自然を破壊することがないように、関係機関との連携を密にする
3、シンポジウムを「生物多様性」を主題にして開催する
4、NHK講座『津軽富士・岩木山』は9月までは開講する
すでに計画し、実施を発表しているので「自然観察」を中心にすえながら開講する。その後「会」としては担当出来なくなるかも知れない。個人として継続することもあり得る。
5、第18回写真展「私の岩木山」を市民参加型の写真展と位置づけて開催する
6、「東北自然保護の集い」への参加は個人資格として「旅費」等の補助はないこととする
ただし、会費の納入が順調になれば、その限りではない。
7、会員及び市民参加型の自然観察会または学習会、市民講座の開講も念頭に置きたい
8、市民運動と深く連携し、行政と向き合いながら自然保護運動を進めていく その中で、「地球温暖化防止」「生物多様性の保護」を訴え、砂防ダムや治山ダムの調査とそのあり方に検討を加え、「風力発電」に見られるマイナス要因を検証していく。
9、ホームページ「岩木山を考える会」の充実を図る
会員の閲覧数を増やす。理想はホームページが会報代わりになること。ホームページ作成に関わることの出来る事務局員を養成する。現在は1人だけ。
10、「幹事会と事務局の機能的な充実」をはかり、ゆるやかな会員拡大につとめる
出来るだけ、幹事会を月例で開く。色々なことに関心を持つ多くの幹事で幹事会を構成することが必要である。
◇◇「事務局長退任」は承認ならず(1)◇◇
私は「岩木山を考える会」の事務局長を今年の4月で、8年間務めてきたことになる。事務局長になった経緯は、簡単に言うと「前事務局長の三上さんが私の在職中に入院して、不幸にも治ることなく亡くなってしまったのであった。そして、その『葬儀』の委員長のような形で関わっていたら、いつの間にか『事務局長』になっていた」ということである。
丁度、定年退職の年だった。私は本会の創立の時からのメンバーである。本会は今年で発足から17年目に入る。
事務局長になる前の8年間は、三上さんに協力して、「自然観察会の下見、自然観察会の実務、鰺ヶ沢スキー場拡張ゲレンデに関わる現況調査、拡張反対行動としてのデモや地域住民との話し合い、泊まり込みの『クマゲラ』調査、東奥日報『明鏡』欄への投稿、会報の原稿書き、時には会報の製作と印刷、鰺ヶ沢『スキー場拡張反対』の署名集めの毎戸訪問、街頭に立ってハンドスピーカーを持って訴えること、原告となって『拡張スキー場』に対する訴訟」などと色々なことをしてきた。恐らく、会の活動のすべてに関わって活動していたはずである。
当時、私が教えていた生徒の父親がスキー場拡張を進める「支配人」であったりして、非常にやりずらいこともあったし、校長からやんわりと「反対運動はほどほどにしたほうがいいです…あれこれと文句を言ってくる人が結構いるんですよ…」と言われたこともあった。
そのようなわけだから、いつの間にか「事務局長」にはなっていたものの、「事務局長」になることには大した抵抗が在ったわけではない。今までどおりの「活動」を続ければいいだけであったからだ。
ただ、懸念が2つあった。三上さんは「人を使う」ことが上手だった。だから、みんなは喜んで「頼まれた」ことをしていた。私もその一人であったはずだ。
しかし、私は「人を使う」ことは大の苦手である。人に頼んで何かをするということが苦痛なのである。その苦痛を味わうよりは自分でした方が遙かに楽であった。だから、登山も「単独行」が殆どだった。最近は相棒さんが出来て2人であることが多いが、基本は今でも「単独行」である。(明日に続く)
「今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(9)」は明日掲載します。
例年だと6月に入らないと咲き出さないことが多いのだが、早い場所ではすでに咲いている。
分布は全国だが、主に北日本(中部以北)~北海道の「山地」の、日当たりがよくやや湿った林縁などに生える高さが2~7mほどの「樹木」である。
花序は直径10㎝ほどで、5裂の「装飾花」に囲まれて小さな花を多数つける。ムシカリやガマズミ、それにノリウツギなどに非常に似ているが、花の「咲く時季」が違うことで、何であるかの判定が出来る。だが、同じ時季に咲く「ケナシヤブデマリ」との区別は難しい。「遠目」での区別は無理である。
そのような場合は、出来るだけ傍に寄って「葉」を見ることである。「葉」が3つに深く裂けていると「カンボク」である。
9月から10月にかけて、8㎜ほどの赤い「液果」をつける。これは「透きとおって」いて鮮やかに輝く。「花」は似ていて区別がつかないが、秋の「果実」の時季になると「一際、鮮やかに瑞々しく赤く輝く」ものが「カンボク」であるから「同定」は非常に楽である。この「量が多く」艶やかな果実は、葉が落ちた後もそのまま残るのである。
だが、「ガマズミ」ほどの「甘み(?)」はない。口にして「美味しい」とはいえない。それに、「液果」の所為か「果実酒」にも向いていないといわれている。
名前の由来は一般的には「不明」とされている。だが、「枝葉が止血剤、果実は目薬りになり、人体に良い肝要な木」、つまり「肝要な木」、「肝木」ということ、それに「木を煎じて肝臓の薬に使用したので、肝木と名付けられた」ことによるとする説がないわけではない。)
◇◇ 2010年度の総会終わる ◇◇
総会が終わった。幹事会として提案した案件は、建設的な発言を頂きながら、すべて承認された。次に、今年度の「活動方針」を掲げる。
2010年度の活動の方針
今年度は、岩木山の「生物多様性」を守るという視点を活動の根幹に据えたい。新幹線の青森までの開通で「岩木山」は観光資源という扱いをますます受けることになるだろう。
観光とは「自然破壊」という要素を多分に内在・包含しているものだ。その点から、「自然を破壊しない観光のあり方」も具体的に探っていく必要があるだろう。さらには「観光開発」のいき過ぎに注意しながら行政や業者の行動を見守っていく必要があるだろう。自然に対しての「一方的」な「無い物ねだり」に行政や観光業者は応えようとするが、これを許してはならない。
そのためには、より正確な「現状」の調査と記録が必要になるだろう。
1、岩木山の自然破壊の監視、阻止、および山岳自然の保護と再生をめざし調査と情報の蒐集につとめる
2、観光行政と業者が岩木山の自然を破壊することがないように、関係機関との連携を密にする
3、シンポジウムを「生物多様性」を主題にして開催する
4、NHK講座『津軽富士・岩木山』は9月までは開講する
すでに計画し、実施を発表しているので「自然観察」を中心にすえながら開講する。その後「会」としては担当出来なくなるかも知れない。個人として継続することもあり得る。
5、第18回写真展「私の岩木山」を市民参加型の写真展と位置づけて開催する
6、「東北自然保護の集い」への参加は個人資格として「旅費」等の補助はないこととする
ただし、会費の納入が順調になれば、その限りではない。
7、会員及び市民参加型の自然観察会または学習会、市民講座の開講も念頭に置きたい
8、市民運動と深く連携し、行政と向き合いながら自然保護運動を進めていく その中で、「地球温暖化防止」「生物多様性の保護」を訴え、砂防ダムや治山ダムの調査とそのあり方に検討を加え、「風力発電」に見られるマイナス要因を検証していく。
9、ホームページ「岩木山を考える会」の充実を図る
会員の閲覧数を増やす。理想はホームページが会報代わりになること。ホームページ作成に関わることの出来る事務局員を養成する。現在は1人だけ。
10、「幹事会と事務局の機能的な充実」をはかり、ゆるやかな会員拡大につとめる
出来るだけ、幹事会を月例で開く。色々なことに関心を持つ多くの幹事で幹事会を構成することが必要である。
◇◇「事務局長退任」は承認ならず(1)◇◇
私は「岩木山を考える会」の事務局長を今年の4月で、8年間務めてきたことになる。事務局長になった経緯は、簡単に言うと「前事務局長の三上さんが私の在職中に入院して、不幸にも治ることなく亡くなってしまったのであった。そして、その『葬儀』の委員長のような形で関わっていたら、いつの間にか『事務局長』になっていた」ということである。
丁度、定年退職の年だった。私は本会の創立の時からのメンバーである。本会は今年で発足から17年目に入る。
事務局長になる前の8年間は、三上さんに協力して、「自然観察会の下見、自然観察会の実務、鰺ヶ沢スキー場拡張ゲレンデに関わる現況調査、拡張反対行動としてのデモや地域住民との話し合い、泊まり込みの『クマゲラ』調査、東奥日報『明鏡』欄への投稿、会報の原稿書き、時には会報の製作と印刷、鰺ヶ沢『スキー場拡張反対』の署名集めの毎戸訪問、街頭に立ってハンドスピーカーを持って訴えること、原告となって『拡張スキー場』に対する訴訟」などと色々なことをしてきた。恐らく、会の活動のすべてに関わって活動していたはずである。
当時、私が教えていた生徒の父親がスキー場拡張を進める「支配人」であったりして、非常にやりずらいこともあったし、校長からやんわりと「反対運動はほどほどにしたほうがいいです…あれこれと文句を言ってくる人が結構いるんですよ…」と言われたこともあった。
そのようなわけだから、いつの間にか「事務局長」にはなっていたものの、「事務局長」になることには大した抵抗が在ったわけではない。今までどおりの「活動」を続ければいいだけであったからだ。
ただ、懸念が2つあった。三上さんは「人を使う」ことが上手だった。だから、みんなは喜んで「頼まれた」ことをしていた。私もその一人であったはずだ。
しかし、私は「人を使う」ことは大の苦手である。人に頼んで何かをするということが苦痛なのである。その苦痛を味わうよりは自分でした方が遙かに楽であった。だから、登山も「単独行」が殆どだった。最近は相棒さんが出来て2人であることが多いが、基本は今でも「単独行」である。(明日に続く)
「今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(9)」は明日掲載します。
会の発展を祈念いたします。
あなたのおっしゃる「細心の心配りとリーダーシップ」、これが私には出来ないのです。だから、これ以上、事務局長の任に就いているべきではないと考えて、退任を希望しておりました。
有り難うございます。