岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山にも外国人が登山にやって来るようになった(1)

2010-07-09 04:27:58 | Weblog
 (今日の写真は、6月25日の夕方、元寺町の「石場旅館」の一室「居間」で写されたものだ。館主、石場創一郎さんが写してくれたものである。
 「石場旅館」は弘前市の「趣のある建物」に指定されている歴史があって由緒ある「旅館」でもある。
 なお、「石場旅館のHP」には…
 「今からざっと129年前の、ペリーが浦賀に碇を下ろして26年後。明治もすでに12年、まだ憲法も発布されていない過渡期に、試行錯誤で始めた商売だったのかも知れません。明治天皇が崩御された前年に、創業者の元武士も他界いたしました。幕藩体制の秩序が瓦解して、混沌とした中から新たに生まれた、文明の国にっぽん。その国その国とともに夢を見て、形となったのが城下町の石場旅館です。」とある。詳しくは次のURLにアクセスして、読んで欲しいものだ。
http://ishibaryokan.com/txt/project.html

 一番奥にいるのが私で、私と談笑しているのがリーダーの「ボブ・ヘフル」さんだ。後の4人はメンバーであり、すべて英国人である。
 何故このような事態に至ったかについては、次の項で述べるが、この時は彼らの2名が「簡易アイゼン」を持参していないということで、私が持っているそれを使って貰おうと届けたのである。最初は届けて直ぐ帰るつもりでいたのだ。
 だが、そこで、初めて予定されていた登山ルートがまったく逆の「百沢から登り、赤倉に降りる」に変更されたことを聞かされたのである。変更されたとなると、事前に渡してある私からの情報も、事実とそぐわない部分も出て来ることになる。これは困ったなと思った。
 そうしたら、「直接会って少し話しをしていって下さい」と石場さんが言うのだ。そこで、請われるまま上がり込んで、「ルート変更によって注意する箇所や方向がまったく変わること」、「かなり溶けた大沢雪渓上の登り方の注意事項」、「赤倉登山道の魅力」、それに、「固有種のミチノクコザクラ」のことなどについて、片言の英語で話したのである。)

◇◇ 岩木山にも外国人が登山にやって来るようになった(1) ◇◇

 5月の下旬に石場さんから次のような内容の電話があった。
…「6月26日に英国人5人グループが岩木山登山のためにやって来て本旅館に宿泊します。希望としては赤倉登山道を登り、百沢登山道を降りて岩木山神社も見たいらしいのです。しかし、まだ登山道にはまだ雪渓もあるでしょうし、落石とか道迷いとかの危険もあるでしょう。そこで、岩木山に詳しい三浦さんに色々とアドバイスしていただきたいのです。それに、花の説明なども出来ましたら…、私は三浦さんの『岩木山・花の山旅』を持っていてよく読んでいます。」…

 私はすっかり嬉しくなった。だが、それは、私に石場さんがこのようなお願いをしてくれたことでもないし、拙著を読んでくれているということでもなかった。
 私にとって「嬉しかったこと」とは、この英国人グループが「赤倉登山道」を登るということにあったのだ。
 私は人から「岩木山の登山道でどこが一番魅力的ですか」と訊かれると真っ先に「赤倉登山道」を挙げるのである。他の登山道もそれなりに由緒があって素晴らしいのだが、「赤倉登山道」には、歴史性、宗教(信仰)性、造山性、植生性など多岐にわたっての魅力が溢れているのである。
 但し、7、8年前に赤倉講の一信者が不法にも「違法な登山道整備」を数年間行い、著しく「造山性や植生性」が損なわれてしまった。これは残念なことである。
 歴史性とは…1300年前から使われている登山道であるということである。これを、勝手にその信者は「改変」したのだ。岩木山神社からの遙拝道、百沢登山道よりもうんと歴史が長いのである。
 宗教(信仰)性とは… 何といっても「石仏」の道である。一番から三十三番までの石仏観音像が登山道脇に順次建立されている。素朴な一般信者と山伏たち修験者たちによって守護されてきた信仰の道なのである。これは、全国的に見ても希有な存在である。
 造山性とは… 岩木山で一番規模の大きい爆裂火口を上部に持っていて、その爆裂火口壁は今でも崩落を続けているし、その火口から噴き出された溶岩などが、奇岩累々とした様相を登山道に見せるのである。
 植生性とは… 岩木山の北面の岩稜帯にしか生えていないコメツガ林があるということだ。しかも、登山道は、まるでトンネルのように、その中を通っているのだ。そして、その樹下には「針葉樹林下」にしか生えないといわれている「ツバメオモト」などが育っているのである。
  これら赤倉登山道の魅力を知りたい人は、本会HPにアクセスして、左欄「登山道情報」をクリックして、さらに「あおもりの春を歩く 其の3 岩木山編より(赤倉コース)」をクリックして「PDF」ファイルを開く。そして、印刷コピーして、是非見て欲しいものである。きっと満足していただけるものと思う。
 もちろん、事前に情報を石場さんに届けた時には、この図版も印刷して持参したのである。(明日に続く)

「6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(17)は明日以降掲載します。

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