(今日の写真は、ケシ科キケマン属の多年草である「エゾエンゴサク(蝦夷延胡索)」だ。これは岩木山麓で見られる一般的な「エゾエンゴサク」である。
昨日、NHK弘前文化センター講座「岩木山の花を訪ねる」の受講者たちと野外観察に出かけて、県土整備部河川砂防課が計画している「石切沢4号堰堤」敷設予定地のど真ん中で出会ったものだ。)
◇◇ 堰堤敷設予定地に咲くエゾエンゴサク ◇◇
昨日は曇り空だった。「ミズナラ」の生い茂る森の底の沢縁にしゃがみ込んで、この色とりどりに咲くエゾエンゴサクの花を見つめていた。
すると、どこからか深い声が聞こえてくる。木々や大地の深呼吸の声である。いつもの春ならば、そのような生気溢れた森の声と、花々の若やいだ嬉々とした声が聴こえるのだ。
だが、昨日聴いた声には、そのようなものはなかった。悲しい声だった。来年の春には咲くことが出来ない、今年で私たちの運命は終わりだという悲痛な声だった。
近々、この場所には、長さ(横幅)が50m以上、深さが16m以上のコンクリートの塊り、「砂防堰堤」が打ち込まれるのである。
これは別段、珍しい花ではない。スプリングエフェメラルズとして、つとに知られている花である。それではどうして、「今日の写真」に登場したのだろう。その理由は…
「比較的湿った原野や山地に見られ、主に落葉広葉樹林の林床に生える」といわれているが、まさにそのような「沢」の縁に咲いていたこと。
「花の色は青、紫、赤紫、白など変化が多く、コバルトブルーのタイプ、紫花のタイプ、白花のタイプ、青紫色のタイプ、赤とブルーの混色タイプ」など、すべての花色タイプのものが混生していたこと。…などである。
このように、花の色は青、紫、赤紫、白など変化が多いが、一般的には、茎の上部に青紫色の長さ2cmほどの筒状花を総状につける。岩木山のものは花つきが悪く、また少し赤みがさすものが多いのでヤマエンゴサクと間違えやすい。
だが、苞葉(花や花の多く付いた付け根の葉)は全縁(ギザギザがない葉)であることで見分けるといい。草丈は10~15cm程度で、果実は線形だ。地中には、茶色の鱗片に包まれた2cmほどの丸い塊茎(かいけい)がある。
「エゾエンゴサク」は灰汁(あく)もなくて歯ざわりの良い美味しい山菜である。花も食べることが出来るのだ。
毒草が多いケシ科の植物の中で、食べることが出来るのが「エゾエンゴサク」の仲間である。開花時に、地上部の全草を採取して、軽く茹でて、白和え、ごまあえ、酢の物、そのまま薄くころもをつけて「天麩羅」にして食べるのである。
灰汁がなく、全くクセがないので、さっと茹でて「オヒタシ」して食べるのが一般的だ。地上部ばかりではなく地下の塊茎も食べることが出来るのである。
・林間を埋め尽くせるみづみづとエゾエンゴサクの空色のはな (川西紀子)
◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行(2)◇◇
これは、愚行であり、蛮行である。これは、「十和田八幡平国立公園の奥入瀬渓流遊歩道沿いで2003年に起きた落枝事故で、大けがを負った茨城県の女性(43歳)らが、国(林野庁)と青森県に計2億3000万円の国家賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第一小法廷(涌井紀夫裁判長)は2009年2月5日、国と県の上告を退ける決定をし、国(林野庁)と青森県に計約1億9300万円の支払いを命じた」最高裁の判決に対して、県や国の観光行政が唯々諾々として従っていることに他ならない。
しかし、この「最高裁の判決」には本質的に脱落していることが厳然とあるのである。
それは、「自然公園」内で起きた事故なのに「自然」との対応についての言及がないこと、つまり、「自然というものの成り立ち」特に「生物多様性」に関する理解がないことであり、一方、人が「山や谷を含めた自然に立ち入るということに関する危険回避への自助努力」という視点が欠落していることである。
言ってみれば、この未熟で不適切な判決に、一方的に過剰な「事業」によって対応する愚行なのである。これをする前に、「成熟した判決」を求める社会的な啓蒙活動をすべきではないのか。もっと議論をして「最高裁」に正しい判決をしてもらうことが重要だろう。また、支払われた約1億9300万円はすべて私たちの納めた税金からである。
「十和田湖・奥入瀬の流れ」という悠久の自然に「誘って」おいて、その真の景観を形成している奥入瀬渓流と国道102号沿いにある「危険木」と判定された「樹木」1145本を伐採するということは、「誘いの実体」を損なうことである。
つまり、サンプルと実物とが違うということである。パンフレットに掲載されている写真と実物が違うということである。
この意味から「樹木1145本」を伐採するということは、県が「遊歩道」を歩く観光客の期待を欺くことである。あるいは、県は観光客のことを「真の自然に触れあう」ことなど考えていない、単なる「物見遊山」の衆と捉えていることでもある。
また、私はこの「危険木」との判定にもかなりの疑問をもつのだ。自然における危険は動的なものより、静的なが多い。走行中の自動車と歩いている歩行者と関係における危険とは明らかに違う。歩行者にぶつかってくる自動車は避けようがないが、立木倒伏や落枝などが想定される樹木は、そこを歩く者が「避ければ」いいのである。近づかなければいいのである。避けて通るための簡易な「迂回」路を設定すれば、あるいは「危険表示」板などの標識設置をすればいいだけのことである。
「誘いの実体」を損なうことなく確保するためには、このことを優先させるべきであるにも拘わらず、「実体を損なう」伐採に短絡的に走るのか、そのことがよく理解出来ないのだ。
県観光企画課の長崎茂樹課長は「観光客の安全を一番に考え、危険と判断された木はきちんと処理したい」と言っているが「危険と判断された木」も含めて、それが「十和田湖・奥入瀬」の自然景観であることを忘れているのではないか。(明日に続く)
昨日、NHK弘前文化センター講座「岩木山の花を訪ねる」の受講者たちと野外観察に出かけて、県土整備部河川砂防課が計画している「石切沢4号堰堤」敷設予定地のど真ん中で出会ったものだ。)
◇◇ 堰堤敷設予定地に咲くエゾエンゴサク ◇◇
昨日は曇り空だった。「ミズナラ」の生い茂る森の底の沢縁にしゃがみ込んで、この色とりどりに咲くエゾエンゴサクの花を見つめていた。
すると、どこからか深い声が聞こえてくる。木々や大地の深呼吸の声である。いつもの春ならば、そのような生気溢れた森の声と、花々の若やいだ嬉々とした声が聴こえるのだ。
だが、昨日聴いた声には、そのようなものはなかった。悲しい声だった。来年の春には咲くことが出来ない、今年で私たちの運命は終わりだという悲痛な声だった。
近々、この場所には、長さ(横幅)が50m以上、深さが16m以上のコンクリートの塊り、「砂防堰堤」が打ち込まれるのである。
これは別段、珍しい花ではない。スプリングエフェメラルズとして、つとに知られている花である。それではどうして、「今日の写真」に登場したのだろう。その理由は…
「比較的湿った原野や山地に見られ、主に落葉広葉樹林の林床に生える」といわれているが、まさにそのような「沢」の縁に咲いていたこと。
「花の色は青、紫、赤紫、白など変化が多く、コバルトブルーのタイプ、紫花のタイプ、白花のタイプ、青紫色のタイプ、赤とブルーの混色タイプ」など、すべての花色タイプのものが混生していたこと。…などである。
このように、花の色は青、紫、赤紫、白など変化が多いが、一般的には、茎の上部に青紫色の長さ2cmほどの筒状花を総状につける。岩木山のものは花つきが悪く、また少し赤みがさすものが多いのでヤマエンゴサクと間違えやすい。
だが、苞葉(花や花の多く付いた付け根の葉)は全縁(ギザギザがない葉)であることで見分けるといい。草丈は10~15cm程度で、果実は線形だ。地中には、茶色の鱗片に包まれた2cmほどの丸い塊茎(かいけい)がある。
「エゾエンゴサク」は灰汁(あく)もなくて歯ざわりの良い美味しい山菜である。花も食べることが出来るのだ。
毒草が多いケシ科の植物の中で、食べることが出来るのが「エゾエンゴサク」の仲間である。開花時に、地上部の全草を採取して、軽く茹でて、白和え、ごまあえ、酢の物、そのまま薄くころもをつけて「天麩羅」にして食べるのである。
灰汁がなく、全くクセがないので、さっと茹でて「オヒタシ」して食べるのが一般的だ。地上部ばかりではなく地下の塊茎も食べることが出来るのである。
・林間を埋め尽くせるみづみづとエゾエンゴサクの空色のはな (川西紀子)
◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行(2)◇◇
これは、愚行であり、蛮行である。これは、「十和田八幡平国立公園の奥入瀬渓流遊歩道沿いで2003年に起きた落枝事故で、大けがを負った茨城県の女性(43歳)らが、国(林野庁)と青森県に計2億3000万円の国家賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第一小法廷(涌井紀夫裁判長)は2009年2月5日、国と県の上告を退ける決定をし、国(林野庁)と青森県に計約1億9300万円の支払いを命じた」最高裁の判決に対して、県や国の観光行政が唯々諾々として従っていることに他ならない。
しかし、この「最高裁の判決」には本質的に脱落していることが厳然とあるのである。
それは、「自然公園」内で起きた事故なのに「自然」との対応についての言及がないこと、つまり、「自然というものの成り立ち」特に「生物多様性」に関する理解がないことであり、一方、人が「山や谷を含めた自然に立ち入るということに関する危険回避への自助努力」という視点が欠落していることである。
言ってみれば、この未熟で不適切な判決に、一方的に過剰な「事業」によって対応する愚行なのである。これをする前に、「成熟した判決」を求める社会的な啓蒙活動をすべきではないのか。もっと議論をして「最高裁」に正しい判決をしてもらうことが重要だろう。また、支払われた約1億9300万円はすべて私たちの納めた税金からである。
「十和田湖・奥入瀬の流れ」という悠久の自然に「誘って」おいて、その真の景観を形成している奥入瀬渓流と国道102号沿いにある「危険木」と判定された「樹木」1145本を伐採するということは、「誘いの実体」を損なうことである。
つまり、サンプルと実物とが違うということである。パンフレットに掲載されている写真と実物が違うということである。
この意味から「樹木1145本」を伐採するということは、県が「遊歩道」を歩く観光客の期待を欺くことである。あるいは、県は観光客のことを「真の自然に触れあう」ことなど考えていない、単なる「物見遊山」の衆と捉えていることでもある。
また、私はこの「危険木」との判定にもかなりの疑問をもつのだ。自然における危険は動的なものより、静的なが多い。走行中の自動車と歩いている歩行者と関係における危険とは明らかに違う。歩行者にぶつかってくる自動車は避けようがないが、立木倒伏や落枝などが想定される樹木は、そこを歩く者が「避ければ」いいのである。近づかなければいいのである。避けて通るための簡易な「迂回」路を設定すれば、あるいは「危険表示」板などの標識設置をすればいいだけのことである。
「誘いの実体」を損なうことなく確保するためには、このことを優先させるべきであるにも拘わらず、「実体を損なう」伐採に短絡的に走るのか、そのことがよく理解出来ないのだ。
県観光企画課の長崎茂樹課長は「観光客の安全を一番に考え、危険と判断された木はきちんと処理したい」と言っているが「危険と判断された木」も含めて、それが「十和田湖・奥入瀬」の自然景観であることを忘れているのではないか。(明日に続く)