岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山にも外国人が登山にやって来るようになった(4)

2010-07-12 05:01:24 | Weblog
 (今日の写真は、百沢の岩木山神社山門の前に立つ英国人グループである。これも、リーダーのボブさんが撮ったものだ。この神社の近くで撮ったものはもう1枚ある。それは、山門脇にある「湧水」、御祓水場で長い柄杓(ひしゃく)を使い、水を汲んでいる姿である。
 この写真もいい。神社山門と「外国人」は異質同志だから「違和感」があるのかなあと思って見たが、何と「違和感」はない。岩木山神社に彼らはすっかり溶け込んでいる。彼らが柔軟なのか、それとも、岩木山に包容力があるのか…、きっと両方がうまくバランスを取り合っているのだろう。
 御祓水場ではしゃいでいる姿にも、まったく違和感はない。清らかな湧き水はご神水であり、俗世で汚れた己の身体を潔斎して、ご神体である岩木山に登る前に、この場所で「みそぎ」をするのである。
 このようなことを、きっとこの英国人グループは、多くの日本人がそうであるように理解していないだろう。その意味では「英国人」も「日本人」も違いがない。距離は縮まっている。そこに見られるものはただ「はしゃい」でいるという雰囲気だけなのである。
 岩木山登山の98%は自動車とリフト利用の登山客である。彼らは誰一人として「みそぎ」をした上で、岩木山を登拝するということはない。だが、この英国人グループは、「はしゃぎのみそぎ」をしたとしても、何はともあれ、百沢登拝口から登って、「自力」で山頂奥宮まで達したのである。)

◇◇ 岩木山にも外国人が登山にやって来るようになった(4) ◇◇

(承前)…そして、明日は暑くなることが予想されるので、最後に「水を大量に持つこと」を念押ししてから帰ってきたのである。

 翌日、26日は予想どおり朝から暑かった。午後2時頃、私の庭の気温は33℃を越えていた。
 彼らは8時前に石場旅館を出て、8時頃から登山を開始すると言っていた。
 私は朝から27日に実施されるNHK講座野外活動の「ブナ巨木の森から岳登山道ー岳温泉まで」のパンフレットと資料造りをしていた。何とかそれは午前中のうちに印刷することが出来た。

 それが終わってから、私は納戸から50数枚の額縁に入った写真を引っ張り出した。それは、岩木山の「厳冬期」を写したものだ。遠景の「厳冬岩木山」ではない。40年間、一年も欠かすことなく登り続けて撮り続けた「厳冬岩木山の山頂部」の写真である。
 彼らは、今日十分「夏の岩木山」を登り、眺め、見て味わい楽しんでくるだろう。その彼らに何としても「厳冬の岩木山」を知って貰いたいと思ったのだ。夏の優しい岩木山は厳冬には別の山のように変貌する。まったく別の、異質な顔貌を示し、見せるのだ。それを知って貰いたいと思ったのだ。
 午後の4時過ぎには「アイゼン」を返しがてら拙宅に寄るという話しだった。拙著を購入してくれると言っていたバーバラさんには、その時に本を渡そう。そして、拙宅にあがって貰い、私の部屋と居間に並べた写真を見て貰おう。
 私は、その期待を胸に、「額縁写真」の整理にかかっていた。ところが、午後3時過ぎに、突然電話である。石場さんからだった。
…「ついさっき、彼らから連絡ありました。今、山頂にいるのだそうです。どうしましょうか。」
私は時計を見た。3時半になろうとしていた。順調な登山ならば、下山して「登山口」にいてもいい時間である。
 「赤倉登山道を降りるのは無理ですね。スカイラインに降りても最終の定期バスには間に合いません。それでも、とにかく、スカイラインターミナルに向けて下山させてた方がいいでしょう」
 「それでは、私がこれからスカイラインターミナルまで、迎えに行ってきます」と言って石場さんは電話を切ったのだ。

 予定よりも大幅に遅れたということは、何かあったのだろうか。いや、何もなかったのだろう。ゆっくりと時間をかけて、足を置くところ、手をかけるところ、目に入るもの一つ一つを大事にしながら登ると、時間はかかる。そのような登り方を大切にし、どこどこまで行くという距離的時間的な尺度と価値を捨てたのだろう。
 それはそれでいい。だが、やはり、お勧めルートである「赤倉登山道」の下降を味わえないことは、私にとっては残念なことであった。
 帰ってくることが予定よりも、かなり遅れることは確実になった。これでは、拙宅にあがって貰うことも「厳冬期の岩木山」写真の出番はないなあ、と私は諦めたのだ。しかも、その日の宵は、弘前市内で「お土産」を買う予定になっているという話しなのであった。

 彼らが石場さんの車に先導されて、拙宅前に現れたのは午後6時を回るという頃であった。私は遅れた理由については聞かなかった。理由を聞いたところで「遅れ」が解消するわけでもないし、理由などなく端から、これが予定どおりの行動であったかも知れないからである。
 「アイゼン」を受け取り、バーバラさんに拙著を渡してから、上がり框に用意しておいた「厳冬期の岩木山」の写真のことだけは石場さんに話したのだ。
 そうしたら、石場さんは「これ預かっていきましょう。明日の朝食の時に展示して見て貰いますよ」と言って、自分の車に運ぶのである。それに釣られて私も一緒になって運んだのである。

 7月7日にボブさんからメールと写真が送られてきた。次のようなメールである。   
Dear Miura,
The day before climbing Mt Iwaki group our "Hike Japan" Thank you kindly advise the inn and talk to Ishiba.
Thanks to everyone ready to properly, safely climb was successful. Send to attach a photo of the day. We look forward to the opportunity to meet again. Bob
 「岩木山に登山する前の日、私たちグループ「ハイクジャパン」に対する石場旅館での親切なお話しとアドバイス誠にありがとうございます。お陰様でちゃんと準備が出来て、無事に登頂が成功しました。
 その日の写真を添付して送ります。また会える機会を楽しみにしています。 ボブ」(明日に続く)

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