(今日の写真は、岩木山に咲く「シロバナミチノクコザクラ」である。今日は本文が長いので花の解説文は省略する。この「岩木山の特産種」である「ミチノクコザクラ」の変異型の可憐な白い花を、亡くなった日本山岳会北海道支部の4名の方々の鎮魂に供したい。)
(承前)
■ 十勝岳連峰・上ホロカメットク山「雪崩遭難」に関する検証 ■
■検証9 「パーティを組み、トップを交代しながら進む」形体の登山と「単独行」との関連性が理解されていたのか ■
「ワカン」登高でも「スキー」登高でも「単独行」であるがゆえに、途切れることのない「雪質」の変化に気づくものだ。いずれにしても「単独行」の場合は「雪」との全身をかけた闘いとなる場合が多いから、「雪質」や「積もり方」の異変には敏感に反応するのである。
「雪質」が湿っぽくなったとか、サラサラと乾いたものになってきたとか、柔らかくなったとか、霰(あられ)状になってきたとか、結晶が大きく集まっているものに変わってきたとか、軽くなったとか、重くなったとかなどの微妙な変化を感得しながら登高は続けられるのである。
「積もり方」が多くなったとか、吹き溜まりが目立つようになってきたとか、深く埋まるようになってきたとか、浅くなってきたとか、最下層が固くなってきたとか、踏み抜く都度に抵抗が出てきたとか、その抵抗も踏み抜きに2度あるとか3度あるとかなどの変化によって「弱層」発見の目安にしたりする中で登高は続けられるのである。
これら感得されたすべての事象を総括しながら、「雪崩の発生」を予知し、「雪崩を避ける」手だてを講じながら「ワカン」にしろ「スキー」にしろ、「ラッセル」登高は続けられるのである。
だが、残念ながら、「新聞情報」による限りでは「日本山岳会北海道支部パーティ」の行動には以上のようなことは何一つ発見されない。
「パーティ」を組んで登高することを否定するのではない。交代交代でトップを務めながら行われる「登高」を否定するものでもない。
言いたいことは「パーティを組み、トップを交代しながら進む」形体の登山に参加する前に、「メンバー」は「単独行」での「ワカン」や「スキー」による「ラッセル」を十分こなしておくということである。そして、上述したような「雪質」と「積もり方」の微妙な変化が体感できるように、その変化から「雪崩発生」を「予知」できるような力量をつけておくということである。
「パーティを組み、トップを交代しながら進む」形体の登山では、「トップ」を務める時間と距離は短いものだ。しかも、「トップ」の体力的な「負荷」は、「ラスト」を0とすれば、10という激務である。「短く」しかも「激務」であるから、微妙な多くの変化に気づかず見落とすという弱点を持っている。だからこそ、「メンバー」は「単独行」での「ワカン」や「スキー」による「ラッセル」を十分こなしておくことが求められるのである。
20~30年の経験を持つ「ベテラン」といわれても、冬山登山に関しては「単独行」での「ワカン」や「スキー」による「ラッセル」を十分こなしていない者は、決して「ベテラン」ではない。この遭難現場となった「十勝岳連峰・上ホロカメットク山」が「冬山」登山としては「初体験」である者も「ベテラン」という意味は持たないだろう。
私は34年間連続して年末岩木山登山をしてきた。毎年、12月には3~4回にわたって「ワカン」を使って「ラッセル」訓練をしていた。
ある年のことだ。岳温泉神社からの登山道は、入り口から既に膝上の深雪であった。15キロを越えるザックを背負っていたものだからアルバイトはきつかった。だが、その日のうちに頂上へ行って帰ってくる自信はあった。
その訓練の時、同じバスから降りた登山者がいた。後で解ったことだが、弘前大学医学部山岳部の5人パーティである。彼等は「スキー」登山だった。私より少し遅く出発したようだが、私のラッセル跡を辿っていながらも、私を追い越して行ったのは、夏道分岐のちょっと手前であった。
「ワカン」に比べると「スキー」は楽であるし、その上スピーディであるが、危険でもある。だからこそ、毎年の12月に入ってからの訓練はいずれも「ワカン」だった。その前の年も「ワカン」だった。そして、日帰り登頂は完璧に可能であった。
■検証10 「スキー登山」であったということを考える・山スキーのデメリットを実地的に理解していたのか ■
この登山メンバーは最初12名であった。11名がスキーで残りの1人がスノーシューであったという。ところが、深い雪のため、「スノーシュー」で参加した人は「行動」不能となり、引き返した。「ワカン」にしろ「スノーシュー」にしろ、スキーに比べると埋まり方が深く、負荷が大きい。スキーは負荷が少なく軽いのである。
この時点でリーダーは判断をするべきであっただろう。その判断にはスキーの持つデメリットを十分反映させる必要があったのである。
「スキー」は「速登」と「速降」するのにとても便利な道具である。岩木山の場合、単独でも特別、軟雪の上、深い雪でなければスキーを使うと日帰り登頂は出来るようだ。もちろん、だれにでも出来るというわけではない。それなりの体力と技術は要求される。
実際に「ワカン」使用だと、軟雪の上、深い雪という条件下では丸一日かかるだろう。ひょっとすると、最低一泊は必要であろうし、時には2泊を要するかも知れない。かつては2泊3日が楽しみながら、冬の岩木山を登る定番的な日程であった。
スキーを使うことで日帰り登頂が出来るのは、滑面にシールを装着することで、下りには滑るが登る時には、後ろに下がらないという機能に負うところが多い。つまり、「ワカン」は歩くことであり、スキーは滑ることにその基本がある。
この基本的な違いが「速さ」となって現われる。速さは雪との抵抗値、あるいは摩擦値が小さいことに依る。雪との抵抗値は「ワカン」を装着した時のそれと比べると問題にならないほど小さい。
スキー登山は、スキーを滑らして運ぶことで高度を稼ぎ、自身の重さと荷重を上に移動させるというものだ。ここに抵抗値の違いが出てくる。
スキーを操作する人は、スキーという乗り物のエンジンであり、荷物であり、運転者である。一人で三者を兼ねなければいけない。
しかも、その行動が静的な部分と動的な部分という相矛盾する要素を持ちながら、全体としては動くのである。加えて、遅い動きではなく、速いのである。
速さは加速度的に物理的な負荷を多く大きくしていく。これがあらゆる危険に結びついていくわけだ。その上、山には道路交通標識も信号機もない。だから、時には運転者自身が標識や信号にならなければいけない。
それにしてもスキー登山は「ワカン」登山に比べると楽である。スキー登山で、輪かん登山と同じような負荷を得ることは、もちろん可能である。それはひたすら速く、猛スピードで登高する場合に限られるであろう。
しかし、そうであっても、「ワカンラッセル」の全身的な負荷に比較すると、ある部分に限られた、つまり心肺機能だけに強くて大きい負荷がかかるに過ぎないだろう。
あえて、他にスキー登山のメリットを探せば、バランス感覚がつくということと上腕の力が増強されるということぐらいだろう。やはり、長時間に渡る「ワカンラッセル」の方が登山者独特な総合的な力をつけるのには最適だと言える。
高所登山などを望む者、少なくともアルピニズムを大切にして山行を続けようと考えている人は実行したらいかがだろうか。雪国である。一歩外に出ると雪だらけという恵まれた環境を無駄にすることはない。
「ワカン」登山に比べて、「スキー」登山の危険性は、次の理由から高いのである。
1. 捻挫等の事故に遭う確率が高い。単純な捻挫でも動けなくなってしまうことがある。
2. 雪崩に巻き込まれる確率が高く、巻き込まれると、スキーが足枷となり脱出が不可能に近い。
3. 視界不能な時の下山では、そのスピード性のためにルートを外すことが多く、それとともに雪庇の踏み抜きや谷や崖からの転落、立ち木や岩壁との衝突などが多い。
4. 直線的なトレースを採ることが多くなるため、雪面に切り込みを入れることになり、新雪上のトラバースでは特に雪崩を発生させやすい。私自身、トラバース中に雪崩に遭った。幸い斜面が短かったので胸程度の埋まり方で済んだ上に、軽い表層雪崩だったので助かった。
5. 積雪に対して「ワカン」よりも間接的な触感から、雪庇などに深く大きく入り込む度合が高く、気づいた時はすでに崩落している場合がある。また、輪かんに比べるとスキーのほうの面積が広いので雪面に対して広範囲に衝撃や負荷を与えやすい。
6.「ワカン」よりも埋まり方が浅いので「雪層」中の「弱層」を体感する度合いが少ない。
ところで、「十勝岳連峰・上ホロカメットク山」で雪崩に遭遇した「日本山岳会北海道支部パーティ」のメンバーたちは『スキーは「速登」と「速降」するのにとても便利な道具である』という側面にだけ、傾注していなかったのだろうか。
以上述べた「スキー」の持つ「デメリット」に対して「実地」的な理解がどのくらいあったのであろうか。
また、雪崩に遭遇することを想定した時、特に「スキー」登山をする者にとってナイフは重大な意味を持つ。
身体を束縛するすべてのベルトやロープ類は瞬時にして切断出来るナイフを、常に身につけておくべきだ。ザックのポケットなどに入れて置くなどはもってのほかである。首から吊し胸ポケットに入れておくのが一番だろう。
ただ、だてに首から吊しているだけではいけない。格好だけでなく、すぐに簡単に刃が出せて、よく切れるもので11mmのザイルなど一触で切れるほどに刃は鋭利にしておくことだ。
ストックやザックのベルト、スキーの流れ止め紐、靴紐、場合によっては靴を切り裂いて足を出さねばならないこともある。
このナイフに関することは、「ワカン」登山者にも当然言えることではある。
(この稿は今日で終わりとなる。)
(承前)
■ 十勝岳連峰・上ホロカメットク山「雪崩遭難」に関する検証 ■
■検証9 「パーティを組み、トップを交代しながら進む」形体の登山と「単独行」との関連性が理解されていたのか ■
「ワカン」登高でも「スキー」登高でも「単独行」であるがゆえに、途切れることのない「雪質」の変化に気づくものだ。いずれにしても「単独行」の場合は「雪」との全身をかけた闘いとなる場合が多いから、「雪質」や「積もり方」の異変には敏感に反応するのである。
「雪質」が湿っぽくなったとか、サラサラと乾いたものになってきたとか、柔らかくなったとか、霰(あられ)状になってきたとか、結晶が大きく集まっているものに変わってきたとか、軽くなったとか、重くなったとかなどの微妙な変化を感得しながら登高は続けられるのである。
「積もり方」が多くなったとか、吹き溜まりが目立つようになってきたとか、深く埋まるようになってきたとか、浅くなってきたとか、最下層が固くなってきたとか、踏み抜く都度に抵抗が出てきたとか、その抵抗も踏み抜きに2度あるとか3度あるとかなどの変化によって「弱層」発見の目安にしたりする中で登高は続けられるのである。
これら感得されたすべての事象を総括しながら、「雪崩の発生」を予知し、「雪崩を避ける」手だてを講じながら「ワカン」にしろ「スキー」にしろ、「ラッセル」登高は続けられるのである。
だが、残念ながら、「新聞情報」による限りでは「日本山岳会北海道支部パーティ」の行動には以上のようなことは何一つ発見されない。
「パーティ」を組んで登高することを否定するのではない。交代交代でトップを務めながら行われる「登高」を否定するものでもない。
言いたいことは「パーティを組み、トップを交代しながら進む」形体の登山に参加する前に、「メンバー」は「単独行」での「ワカン」や「スキー」による「ラッセル」を十分こなしておくということである。そして、上述したような「雪質」と「積もり方」の微妙な変化が体感できるように、その変化から「雪崩発生」を「予知」できるような力量をつけておくということである。
「パーティを組み、トップを交代しながら進む」形体の登山では、「トップ」を務める時間と距離は短いものだ。しかも、「トップ」の体力的な「負荷」は、「ラスト」を0とすれば、10という激務である。「短く」しかも「激務」であるから、微妙な多くの変化に気づかず見落とすという弱点を持っている。だからこそ、「メンバー」は「単独行」での「ワカン」や「スキー」による「ラッセル」を十分こなしておくことが求められるのである。
20~30年の経験を持つ「ベテラン」といわれても、冬山登山に関しては「単独行」での「ワカン」や「スキー」による「ラッセル」を十分こなしていない者は、決して「ベテラン」ではない。この遭難現場となった「十勝岳連峰・上ホロカメットク山」が「冬山」登山としては「初体験」である者も「ベテラン」という意味は持たないだろう。
私は34年間連続して年末岩木山登山をしてきた。毎年、12月には3~4回にわたって「ワカン」を使って「ラッセル」訓練をしていた。
ある年のことだ。岳温泉神社からの登山道は、入り口から既に膝上の深雪であった。15キロを越えるザックを背負っていたものだからアルバイトはきつかった。だが、その日のうちに頂上へ行って帰ってくる自信はあった。
その訓練の時、同じバスから降りた登山者がいた。後で解ったことだが、弘前大学医学部山岳部の5人パーティである。彼等は「スキー」登山だった。私より少し遅く出発したようだが、私のラッセル跡を辿っていながらも、私を追い越して行ったのは、夏道分岐のちょっと手前であった。
「ワカン」に比べると「スキー」は楽であるし、その上スピーディであるが、危険でもある。だからこそ、毎年の12月に入ってからの訓練はいずれも「ワカン」だった。その前の年も「ワカン」だった。そして、日帰り登頂は完璧に可能であった。
■検証10 「スキー登山」であったということを考える・山スキーのデメリットを実地的に理解していたのか ■
この登山メンバーは最初12名であった。11名がスキーで残りの1人がスノーシューであったという。ところが、深い雪のため、「スノーシュー」で参加した人は「行動」不能となり、引き返した。「ワカン」にしろ「スノーシュー」にしろ、スキーに比べると埋まり方が深く、負荷が大きい。スキーは負荷が少なく軽いのである。
この時点でリーダーは判断をするべきであっただろう。その判断にはスキーの持つデメリットを十分反映させる必要があったのである。
「スキー」は「速登」と「速降」するのにとても便利な道具である。岩木山の場合、単独でも特別、軟雪の上、深い雪でなければスキーを使うと日帰り登頂は出来るようだ。もちろん、だれにでも出来るというわけではない。それなりの体力と技術は要求される。
実際に「ワカン」使用だと、軟雪の上、深い雪という条件下では丸一日かかるだろう。ひょっとすると、最低一泊は必要であろうし、時には2泊を要するかも知れない。かつては2泊3日が楽しみながら、冬の岩木山を登る定番的な日程であった。
スキーを使うことで日帰り登頂が出来るのは、滑面にシールを装着することで、下りには滑るが登る時には、後ろに下がらないという機能に負うところが多い。つまり、「ワカン」は歩くことであり、スキーは滑ることにその基本がある。
この基本的な違いが「速さ」となって現われる。速さは雪との抵抗値、あるいは摩擦値が小さいことに依る。雪との抵抗値は「ワカン」を装着した時のそれと比べると問題にならないほど小さい。
スキー登山は、スキーを滑らして運ぶことで高度を稼ぎ、自身の重さと荷重を上に移動させるというものだ。ここに抵抗値の違いが出てくる。
スキーを操作する人は、スキーという乗り物のエンジンであり、荷物であり、運転者である。一人で三者を兼ねなければいけない。
しかも、その行動が静的な部分と動的な部分という相矛盾する要素を持ちながら、全体としては動くのである。加えて、遅い動きではなく、速いのである。
速さは加速度的に物理的な負荷を多く大きくしていく。これがあらゆる危険に結びついていくわけだ。その上、山には道路交通標識も信号機もない。だから、時には運転者自身が標識や信号にならなければいけない。
それにしてもスキー登山は「ワカン」登山に比べると楽である。スキー登山で、輪かん登山と同じような負荷を得ることは、もちろん可能である。それはひたすら速く、猛スピードで登高する場合に限られるであろう。
しかし、そうであっても、「ワカンラッセル」の全身的な負荷に比較すると、ある部分に限られた、つまり心肺機能だけに強くて大きい負荷がかかるに過ぎないだろう。
あえて、他にスキー登山のメリットを探せば、バランス感覚がつくということと上腕の力が増強されるということぐらいだろう。やはり、長時間に渡る「ワカンラッセル」の方が登山者独特な総合的な力をつけるのには最適だと言える。
高所登山などを望む者、少なくともアルピニズムを大切にして山行を続けようと考えている人は実行したらいかがだろうか。雪国である。一歩外に出ると雪だらけという恵まれた環境を無駄にすることはない。
「ワカン」登山に比べて、「スキー」登山の危険性は、次の理由から高いのである。
1. 捻挫等の事故に遭う確率が高い。単純な捻挫でも動けなくなってしまうことがある。
2. 雪崩に巻き込まれる確率が高く、巻き込まれると、スキーが足枷となり脱出が不可能に近い。
3. 視界不能な時の下山では、そのスピード性のためにルートを外すことが多く、それとともに雪庇の踏み抜きや谷や崖からの転落、立ち木や岩壁との衝突などが多い。
4. 直線的なトレースを採ることが多くなるため、雪面に切り込みを入れることになり、新雪上のトラバースでは特に雪崩を発生させやすい。私自身、トラバース中に雪崩に遭った。幸い斜面が短かったので胸程度の埋まり方で済んだ上に、軽い表層雪崩だったので助かった。
5. 積雪に対して「ワカン」よりも間接的な触感から、雪庇などに深く大きく入り込む度合が高く、気づいた時はすでに崩落している場合がある。また、輪かんに比べるとスキーのほうの面積が広いので雪面に対して広範囲に衝撃や負荷を与えやすい。
6.「ワカン」よりも埋まり方が浅いので「雪層」中の「弱層」を体感する度合いが少ない。
ところで、「十勝岳連峰・上ホロカメットク山」で雪崩に遭遇した「日本山岳会北海道支部パーティ」のメンバーたちは『スキーは「速登」と「速降」するのにとても便利な道具である』という側面にだけ、傾注していなかったのだろうか。
以上述べた「スキー」の持つ「デメリット」に対して「実地」的な理解がどのくらいあったのであろうか。
また、雪崩に遭遇することを想定した時、特に「スキー」登山をする者にとってナイフは重大な意味を持つ。
身体を束縛するすべてのベルトやロープ類は瞬時にして切断出来るナイフを、常に身につけておくべきだ。ザックのポケットなどに入れて置くなどはもってのほかである。首から吊し胸ポケットに入れておくのが一番だろう。
ただ、だてに首から吊しているだけではいけない。格好だけでなく、すぐに簡単に刃が出せて、よく切れるもので11mmのザイルなど一触で切れるほどに刃は鋭利にしておくことだ。
ストックやザックのベルト、スキーの流れ止め紐、靴紐、場合によっては靴を切り裂いて足を出さねばならないこともある。
このナイフに関することは、「ワカン」登山者にも当然言えることではある。
(この稿は今日で終わりとなる。)