(今日の写真はバラ科サクラ属の落葉高木「オオヤマザクラ(大山桜)」だ。花名の由来は大きな山桜ということによるものだ。
桜の語源は古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが転化したものという説や他の説には、「さ」は穀物の霊を表し「くら」は神霊が鎮座する場所。「さ+くら」で、穀霊の集まるところなどがある。桜の開花が農作業の目安の一つになっていたので、いにしえの人々が桜に実りの神が宿ると考えたとしても不思議ではないだろう。
五月中旬、後長根沢を詰める。「沢を詰める」というと急流あり、滝登りありというイメージを抱くかも知れない。ところが、この沢は源頭部が急峻に落ち込んでいるので、その下流はいたって平坦である。その上広い。
源頭部直下は雪に埋まり、全層雪崩の危険もあるのでその手前で、詰めることをやめる。途中、アオイスミレ、イチリンソウ、カタクリなどが足下で迎えてくれる。
視点を転じて見ると、対岸のミズナラやブナの尾根には「淡い桃色の小宇宙」があちこちに点在している。その点在の仕方がバラバラではないのだ。
ある法則性があるのだ。それはお互いが一定の距離を保っているということである。それぞれが半径二十メートル程度の円を描くように、幹から隣の幹まで四十メートルは離れているのである。この「小宇宙」はオオヤマザクラである。
オオヤマザクラというと、あのK知事が岩木山一周道路を桜の「ネックレスロード」にしようと「号令」をして植えさせたあの桜である。山麓を首に見立て、ぐるりと巡る道を桜の「首飾り」としたものだ。だがこれだと、山麓は広いので、この女性はどうしても太い上に、「猪首」になってしまい、「美しい」というイメージは湧かない。少なくともモジリヤーニの描く細首女性の首飾りというイメージとは反対のものになってしまうだろう。
それだけではない。もっと、もっと大きな問題があるのである。そこに、知事も行政も気づかなかったことが悲しい。
岩木山環状道路沿いに植樹されたオオヤマザクラはなぜ問題なのか…それは先に述べた「自然に生えているオオヤマザクラ」の法則性、つまり「密植ではないこと」を無視したことにある。
これによって、多量の果実の落下によるその樹下の土壌の過栄養や果実などに群がる鳥や昆虫の集中などによって、これまでの生態系のバランスを壊してしまい、最後は互いに、枯死してしまうということなのである。
行政や関係者も「知事の鶴の一声」に唯々諾々として、ただ、とにかく植えればいいというものではない。
常に、「自然の生態系」に則した行動であり、「自然の生態系」を壊さないというものでなければいけない。
思うに、K知事にもう少しの「配慮」が欲しかった。だが、無理だっただろう。
日本に自生する野生の桜は、大別するとヤマザクラとヒガンザクラとオオシマザクラの三種類だ。それらが自然交配や人口交配で、恐ろしいかな今や三百種ほどの園芸種があると言われている。
昔からあった自生種は元をたどれは数種類に行きつくという。そのうち主要なものが西日本の山桜、東日本の彼岸桜、北日本の蝦夷山桜(オオヤマヤザク)だ。
山桜の花の色はもっと淡い。昔はその淡い色を桜色といった。染井吉野の片方の親が彼岸桜なので、彼岸桜は、色は染井吉野と同じで、若葉が出る前に満開になる。
蝦夷山桜は同じピンクでも花の色が濃い。
「サクラ」は万葉集の時代にも人々に愛されていた。何と万葉集には、四十五首も登場する。その中から「山部赤人」の一首を紹介しよう。
・あしひきの山桜花日並(なら)べてかく咲きたらばいと恋ひめやも (万葉集巻八)もしも山の桜が何日も咲いているのだったら、こんなに恋しいとは思わないでしょうにねえ、とでも解釈しておこう。
●● 花の名前は漢字で覚えよう(2)●●
※マンサク(金縷梅)を国語辞典ではどの語を使っているか※
① 言林(小学館)「万作・金縷梅」
② 広辞苑(岩波書店)「万作。または金縷梅」
③ 国語大辞典(小学館)「満作。漢名に金縷梅を当てるが誤用。」とある。
④ 新明解国語辞典(三省堂)「万作」
⑤ 福武国語辞典(福武書店)「万作」
※ 図鑑ではどの語を使っているか※
① 日本の樹木(山と渓谷社)「満作」
② 樹に咲く花(山と渓谷社)「満作」
③ 草木花の歳時記「四季花ごよみ」(講談社)「金縷梅」
▼マンサクと呼ばれる由来▼
国語辞典、図鑑の中では由来についての記載がないものもあるが、記載されているものに共通していることは次のとおりである。
a、雪の残っている山野で一番先に咲く、つまり(まず咲く)がマンサクとなった。
b、花が枝を覆うようにびっしり咲くので豊年満作の意でマンサクとなった。
…の二つである。
しかし、それに加えて…
c、細くねじれた花びらが十分に実らない米に似ていることから、それを嫌い反対語の「満作」をあてて呼ぶようになった。
…というのもある。
(補足「a、」の由来に関係して 福寿草のことを(場所は特定出来ないが)東北地方では「マンサク」「ツチマンサク」と呼ぶところもあると言われている。)
※「金縷梅」を用いた理由※
漢語では「金縷」を(キンル)と読む。意味は「黄金で飾った糸。黄金の糸すじ。」である。
一見、「か細くて弱々しい花びらだが、雪崩の爆風にも微動だにしないという不変さ(永久的な金の価値)」と「綾絹には欠かせない艶やかに輝く金糸」のイメージをより強く持たせるために、その意味を持つ「金縷梅」を用いたのである。「満作」や「万作」ではそのイメージが「語」から湧かないと判断したからである。
※結論は※
一般的な国語辞典の範囲では「万作」である。新聞などもこれを使っているだろう。だが、「万作・ 満作 ・金縷梅」の三語のいずれを用いても間違いではない。
「万作」以外の「マンサク」を表記してある場合は、書き手の、その花に対する思い入れや印象の違いによって使い分けられていると考えればいいのである。
花や樹木名をカタカナ表記したり、カタカナで覚えたりしているうちは、このような思いに立ち入ることは、なかなか難しいのではないかと思うのである。
桜の語源は古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが転化したものという説や他の説には、「さ」は穀物の霊を表し「くら」は神霊が鎮座する場所。「さ+くら」で、穀霊の集まるところなどがある。桜の開花が農作業の目安の一つになっていたので、いにしえの人々が桜に実りの神が宿ると考えたとしても不思議ではないだろう。
五月中旬、後長根沢を詰める。「沢を詰める」というと急流あり、滝登りありというイメージを抱くかも知れない。ところが、この沢は源頭部が急峻に落ち込んでいるので、その下流はいたって平坦である。その上広い。
源頭部直下は雪に埋まり、全層雪崩の危険もあるのでその手前で、詰めることをやめる。途中、アオイスミレ、イチリンソウ、カタクリなどが足下で迎えてくれる。
視点を転じて見ると、対岸のミズナラやブナの尾根には「淡い桃色の小宇宙」があちこちに点在している。その点在の仕方がバラバラではないのだ。
ある法則性があるのだ。それはお互いが一定の距離を保っているということである。それぞれが半径二十メートル程度の円を描くように、幹から隣の幹まで四十メートルは離れているのである。この「小宇宙」はオオヤマザクラである。
オオヤマザクラというと、あのK知事が岩木山一周道路を桜の「ネックレスロード」にしようと「号令」をして植えさせたあの桜である。山麓を首に見立て、ぐるりと巡る道を桜の「首飾り」としたものだ。だがこれだと、山麓は広いので、この女性はどうしても太い上に、「猪首」になってしまい、「美しい」というイメージは湧かない。少なくともモジリヤーニの描く細首女性の首飾りというイメージとは反対のものになってしまうだろう。
それだけではない。もっと、もっと大きな問題があるのである。そこに、知事も行政も気づかなかったことが悲しい。
岩木山環状道路沿いに植樹されたオオヤマザクラはなぜ問題なのか…それは先に述べた「自然に生えているオオヤマザクラ」の法則性、つまり「密植ではないこと」を無視したことにある。
これによって、多量の果実の落下によるその樹下の土壌の過栄養や果実などに群がる鳥や昆虫の集中などによって、これまでの生態系のバランスを壊してしまい、最後は互いに、枯死してしまうということなのである。
行政や関係者も「知事の鶴の一声」に唯々諾々として、ただ、とにかく植えればいいというものではない。
常に、「自然の生態系」に則した行動であり、「自然の生態系」を壊さないというものでなければいけない。
思うに、K知事にもう少しの「配慮」が欲しかった。だが、無理だっただろう。
日本に自生する野生の桜は、大別するとヤマザクラとヒガンザクラとオオシマザクラの三種類だ。それらが自然交配や人口交配で、恐ろしいかな今や三百種ほどの園芸種があると言われている。
昔からあった自生種は元をたどれは数種類に行きつくという。そのうち主要なものが西日本の山桜、東日本の彼岸桜、北日本の蝦夷山桜(オオヤマヤザク)だ。
山桜の花の色はもっと淡い。昔はその淡い色を桜色といった。染井吉野の片方の親が彼岸桜なので、彼岸桜は、色は染井吉野と同じで、若葉が出る前に満開になる。
蝦夷山桜は同じピンクでも花の色が濃い。
「サクラ」は万葉集の時代にも人々に愛されていた。何と万葉集には、四十五首も登場する。その中から「山部赤人」の一首を紹介しよう。
・あしひきの山桜花日並(なら)べてかく咲きたらばいと恋ひめやも (万葉集巻八)もしも山の桜が何日も咲いているのだったら、こんなに恋しいとは思わないでしょうにねえ、とでも解釈しておこう。
●● 花の名前は漢字で覚えよう(2)●●
※マンサク(金縷梅)を国語辞典ではどの語を使っているか※
① 言林(小学館)「万作・金縷梅」
② 広辞苑(岩波書店)「万作。または金縷梅」
③ 国語大辞典(小学館)「満作。漢名に金縷梅を当てるが誤用。」とある。
④ 新明解国語辞典(三省堂)「万作」
⑤ 福武国語辞典(福武書店)「万作」
※ 図鑑ではどの語を使っているか※
① 日本の樹木(山と渓谷社)「満作」
② 樹に咲く花(山と渓谷社)「満作」
③ 草木花の歳時記「四季花ごよみ」(講談社)「金縷梅」
▼マンサクと呼ばれる由来▼
国語辞典、図鑑の中では由来についての記載がないものもあるが、記載されているものに共通していることは次のとおりである。
a、雪の残っている山野で一番先に咲く、つまり(まず咲く)がマンサクとなった。
b、花が枝を覆うようにびっしり咲くので豊年満作の意でマンサクとなった。
…の二つである。
しかし、それに加えて…
c、細くねじれた花びらが十分に実らない米に似ていることから、それを嫌い反対語の「満作」をあてて呼ぶようになった。
…というのもある。
(補足「a、」の由来に関係して 福寿草のことを(場所は特定出来ないが)東北地方では「マンサク」「ツチマンサク」と呼ぶところもあると言われている。)
※「金縷梅」を用いた理由※
漢語では「金縷」を(キンル)と読む。意味は「黄金で飾った糸。黄金の糸すじ。」である。
一見、「か細くて弱々しい花びらだが、雪崩の爆風にも微動だにしないという不変さ(永久的な金の価値)」と「綾絹には欠かせない艶やかに輝く金糸」のイメージをより強く持たせるために、その意味を持つ「金縷梅」を用いたのである。「満作」や「万作」ではそのイメージが「語」から湧かないと判断したからである。
※結論は※
一般的な国語辞典の範囲では「万作」である。新聞などもこれを使っているだろう。だが、「万作・ 満作 ・金縷梅」の三語のいずれを用いても間違いではない。
「万作」以外の「マンサク」を表記してある場合は、書き手の、その花に対する思い入れや印象の違いによって使い分けられていると考えればいいのである。
花や樹木名をカタカナ表記したり、カタカナで覚えたりしているうちは、このような思いに立ち入ることは、なかなか難しいのではないかと思うのである。