(今日の花はバラ科サクラ属の落葉高木「カスミザクラ(霞桜)」である。花名の由来は皐月の山で点々と花の咲かせている様子が霞のかっているように見えることによる。
北海道、本州、四国に分布する野生種で山地の斜面に多くは生育する。
五月の十日前後だと思うのだが、とにかく天気に恵まれ、気分は最高によかった。山頂から残雪を辿って下山を続け、中腹部にある登山道沿いに出た。所々に雪を残している登山道の小さく狭い南に向かう法面には「アオイスミレ」が満開で、午後の日射しを浴びて「芳香」が充満していた。香りというよりも「春の生気」と言った方がいいかも知れない。その登山道最後の沢を渡ったら、今度はカタクリが迎えてくれる。
それを見やりながら、砕石の敷かれた林道に出る。広い林道だ。頭上が明るくなった。それは頭上に梢がない開放の空があるだけではない。頭上は白一色に染まって明るくなったのである。頭上の明るい白色は高木「カスミザクラ」の花だった。ソメイヨシノよりも二週間程度遅れて咲き始めるので、まさに満開だった。この樹皮はカバ細工に使われる。)
●● その生育環境を奪われた花、咲くべきところに咲く花(その5)●●
(ヤマシャクヤクについて)
…その日のうちに返信があった。
『確かに受信しております。わざわざお送りいただき、ありがとうございました。』
これで一安心である。そして待つこと一ヶ月と一週間目の7月7日に次の連絡があった。
『御返事が遅くなり失礼申し上げました。いただいた御写真を「花おりおり」の担当記者が筆者に見てもらったところ、やはりヤマシャクヤクだそうです。
写真を見る限り、岩木山にもあるのですね。一般の図鑑ではなく、レッドデータブックには、東北、北海道に存在するとのことだそうですが、「もう少し現地での確認調査など検討が必要」…というのが筆者の感想です。
貴重な情報をお寄せいただきまして、まことにありがとうございました。』
…以上で私と朝日新聞広報部とのやりとりは終わった。
このやりとりを通じて私には「東北地方でもヤマシャクヤクは自生する」ことが理解出来た。しかし、何となく釈然としないものがしこりとなって残っている。
それは、5月14日付「花おりおり」を見た多くの朝日新聞読者は「ヤマシャクヤク」は「関東以西の山地に分布する」ものだと理解しているということである。このままでいいのかという思いでもある。
多くの読者を抱える新聞が「誤ったり、偏った情報」を読者に提示して、「そのまま」訂正もなく「過ごすこと」はおかしいのではないだろうか。少なくとコラムの枠内にでも「訂正」、または「補足」という形で掲載するべきだと思うがどうであろう。
私は植物関係とは無縁な素人である。植物関係の専門家たちにとっては、このような場合どのように扱うのだろう。
一般的に図鑑等に表記されている「分布領域」に正誤が生じた場合、だれがそれを統一的に発表して訂正していくのだろう。そのような取り決めのようなものがあるのであろうか。いずれにしてもそれは「専門家」の内々のことだろう。
このコラム「花おりおり」を楽しんで読んで見ている者の大半は、植物関係とは縁のない「ずぶの素人衆」なのである。素人にとって大事なことは「素朴な真実」であると考えている。
「もう少し現地での確認調査など検討が必要」と筆者が言うのであれば、本会としても資料の提供から現地調査に同行するなど協力は惜しまないつもりである。
なお、青森県の稀少な野生生物-青森県レッドデータブック-にも「ヤマシャクヤク」の表記がある。
…一条の木漏れ日の中に踊るコケイラン(小蘭)はまさに蘭科の花だ…
これには登山道沿いでも出会うことがある。しかし、草陰や藪の奥にでしか咲かないので、出会う機会が少なく、会ったとして間遠な間隔でぽつり…ぽつりと佇立(ちょりつ)している場合が多い。
ところで、これも本来的には林中・林下の花であって、咲くべき林中では群落なしていることがある。
一本が目につくとその周囲には必ず、数本から十数本が、林の外周の明るさよりも半減以下に暗い木漏れ日を受けて、羽虫の羽音に全身を微かに振るわせて咲き誇っている。
時には細い一条の木漏れ日をサーチライトとして、小さな一輪一輪がきらきらと輝きながら踊る。
暑くて明るい直射日光の下では、強すぎる光線に灼(や)かれて、この可愛い踊り子たちは熱射病で死んでしまうだろう。
微かな緑の風と仄(ほの)かな木々の枝葉をフエルターとした優しい陽光が育む林下の生命、それがコケイランだろう。
時、所、位を全うし、本来の自分で輝いているものはすべて美しいのである。
他人の模倣に走る前に、これら花々から学ぶことが人間には多くあるのではないだろうか。
自然あるがままに咲いているヤマシャクヤクやコケイランに出会うと私は何だか有り難い気持ちになる。そして、いつまでも彼女たちとの共生が続くことを素直に願うのである。
北海道、本州、四国に分布する野生種で山地の斜面に多くは生育する。
五月の十日前後だと思うのだが、とにかく天気に恵まれ、気分は最高によかった。山頂から残雪を辿って下山を続け、中腹部にある登山道沿いに出た。所々に雪を残している登山道の小さく狭い南に向かう法面には「アオイスミレ」が満開で、午後の日射しを浴びて「芳香」が充満していた。香りというよりも「春の生気」と言った方がいいかも知れない。その登山道最後の沢を渡ったら、今度はカタクリが迎えてくれる。
それを見やりながら、砕石の敷かれた林道に出る。広い林道だ。頭上が明るくなった。それは頭上に梢がない開放の空があるだけではない。頭上は白一色に染まって明るくなったのである。頭上の明るい白色は高木「カスミザクラ」の花だった。ソメイヨシノよりも二週間程度遅れて咲き始めるので、まさに満開だった。この樹皮はカバ細工に使われる。)
●● その生育環境を奪われた花、咲くべきところに咲く花(その5)●●
(ヤマシャクヤクについて)
…その日のうちに返信があった。
『確かに受信しております。わざわざお送りいただき、ありがとうございました。』
これで一安心である。そして待つこと一ヶ月と一週間目の7月7日に次の連絡があった。
『御返事が遅くなり失礼申し上げました。いただいた御写真を「花おりおり」の担当記者が筆者に見てもらったところ、やはりヤマシャクヤクだそうです。
写真を見る限り、岩木山にもあるのですね。一般の図鑑ではなく、レッドデータブックには、東北、北海道に存在するとのことだそうですが、「もう少し現地での確認調査など検討が必要」…というのが筆者の感想です。
貴重な情報をお寄せいただきまして、まことにありがとうございました。』
…以上で私と朝日新聞広報部とのやりとりは終わった。
このやりとりを通じて私には「東北地方でもヤマシャクヤクは自生する」ことが理解出来た。しかし、何となく釈然としないものがしこりとなって残っている。
それは、5月14日付「花おりおり」を見た多くの朝日新聞読者は「ヤマシャクヤク」は「関東以西の山地に分布する」ものだと理解しているということである。このままでいいのかという思いでもある。
多くの読者を抱える新聞が「誤ったり、偏った情報」を読者に提示して、「そのまま」訂正もなく「過ごすこと」はおかしいのではないだろうか。少なくとコラムの枠内にでも「訂正」、または「補足」という形で掲載するべきだと思うがどうであろう。
私は植物関係とは無縁な素人である。植物関係の専門家たちにとっては、このような場合どのように扱うのだろう。
一般的に図鑑等に表記されている「分布領域」に正誤が生じた場合、だれがそれを統一的に発表して訂正していくのだろう。そのような取り決めのようなものがあるのであろうか。いずれにしてもそれは「専門家」の内々のことだろう。
このコラム「花おりおり」を楽しんで読んで見ている者の大半は、植物関係とは縁のない「ずぶの素人衆」なのである。素人にとって大事なことは「素朴な真実」であると考えている。
「もう少し現地での確認調査など検討が必要」と筆者が言うのであれば、本会としても資料の提供から現地調査に同行するなど協力は惜しまないつもりである。
なお、青森県の稀少な野生生物-青森県レッドデータブック-にも「ヤマシャクヤク」の表記がある。
…一条の木漏れ日の中に踊るコケイラン(小蘭)はまさに蘭科の花だ…
これには登山道沿いでも出会うことがある。しかし、草陰や藪の奥にでしか咲かないので、出会う機会が少なく、会ったとして間遠な間隔でぽつり…ぽつりと佇立(ちょりつ)している場合が多い。
ところで、これも本来的には林中・林下の花であって、咲くべき林中では群落なしていることがある。
一本が目につくとその周囲には必ず、数本から十数本が、林の外周の明るさよりも半減以下に暗い木漏れ日を受けて、羽虫の羽音に全身を微かに振るわせて咲き誇っている。
時には細い一条の木漏れ日をサーチライトとして、小さな一輪一輪がきらきらと輝きながら踊る。
暑くて明るい直射日光の下では、強すぎる光線に灼(や)かれて、この可愛い踊り子たちは熱射病で死んでしまうだろう。
微かな緑の風と仄(ほの)かな木々の枝葉をフエルターとした優しい陽光が育む林下の生命、それがコケイランだろう。
時、所、位を全うし、本来の自分で輝いているものはすべて美しいのである。
他人の模倣に走る前に、これら花々から学ぶことが人間には多くあるのではないだろうか。
自然あるがままに咲いているヤマシャクヤクやコケイランに出会うと私は何だか有り難い気持ちになる。そして、いつまでも彼女たちとの共生が続くことを素直に願うのである。