(今日の「岩木山の花」はオミナエシ科オミナエシ属の多年草「オトコエシ(男郎花)」である。
花名の由来は黄花のオミナエシの対比として白花のオトコエシを白米の飯であるオトコメシ(男飯)と呼び、そのオトコメシがオトコエシに転訛したのだろうということが一般的である。
遠望の山頂からは日毎に錦秋が駈け降り、中腹を染めて山麓に迫っていた。それに合わせるように、岩木山に登る度に花との出会いは少なくなっていた。
そのような秋晴れの日である。天高く、ひつじ雲を頭上に遊ばせている色あせた山頂を眺めながら、ゆっくりと登り始め、ようやく尾根道へ続く沢筋に入った。この辺りはまだ緑が多い。道はしの藪中で抜きん出て咲いている白い花が目についた。
枝の先端に粟粒状の白い小さな花をつけているオトコエシである。傍に寄って高いその茎頂を追うと開けた上流に視界が広がり、遠くに先ほど見た色あせた山頂が見えた。
ふと、「男郎花あの稜線が大菩薩(古沢太穂)」という一句を思い出した。句中の「大菩薩」を「岩木山」としても感性と質的な違いがあるだけで情景的には遜色がないのでは…とを考えたら何だか楽しくなった。
白粟花とも言われるオトコエシだが、オミナエシに比べて背も高く、男っぽい印象で風趣は乏しいかも知れない。
◆◆ 2008年度総会無事終了(2)◆◆
総会が終わってから、参加者名簿を見た。会員でない人が最初から最後まで「熱心」に経過報告を聞き、意見に耳を傾けて「参加」していたのである。感謝の意を表したいと思って、私はその人のあとを追った。
「ありがとうございます」と言って挨拶をし、名刺を交換しながら「どうして本会の総会に傍聴に来たのですか」と訊いたところ、『岩木山を考える会の「ホームページ」と「事務局長Blog」を見ています。岩木山を考える会に興味があり、一般の人も総会に参加傍聴出来ますと「ホームページ」に書いてあったので、今日参加しました。』と言うのである。
正直、驚いた。そして、すごく嬉しかった。本会は開かれた会である。開かれていなければ社会に対して「岩木山」の様々なことを発信してはいけない。
私はブログを毎日書くなどしてはいるが、「練炭」自殺や「硫化水素」自殺など、それを煽っているのが「インターネット」という社会機能と匿名という無責任な「ホームページ」の管理と運営、それに呼応する無責任匿名の書き込みなどを知るにつれて、自分がある程度力をいれて書き続けている「行為」に、空しさを感じていた。
こんな時の、この人の行動には、驚きもあったが本心救われたような気持ちになったのである。
もう一つ、嬉しいことであり、驚いたことがあった。これも感謝すべきことである。
それは、ある地方紙の記者が、これまた最初から最後まで、総会の動きを見ていたことである。最後部の机にいたので、細かい取材などをしていたかどうかは分からないが、確実にず~と「いた」ことは確実であった。
総会に新聞記者が、このように長時間いたことは、これまでになかったことである。記事になるのかどうかは分からないが、これも本会が社会的に認知されてきている一つの証ととらえることも出来るのではないかと思った。(明日に続く)
花名の由来は黄花のオミナエシの対比として白花のオトコエシを白米の飯であるオトコメシ(男飯)と呼び、そのオトコメシがオトコエシに転訛したのだろうということが一般的である。
遠望の山頂からは日毎に錦秋が駈け降り、中腹を染めて山麓に迫っていた。それに合わせるように、岩木山に登る度に花との出会いは少なくなっていた。
そのような秋晴れの日である。天高く、ひつじ雲を頭上に遊ばせている色あせた山頂を眺めながら、ゆっくりと登り始め、ようやく尾根道へ続く沢筋に入った。この辺りはまだ緑が多い。道はしの藪中で抜きん出て咲いている白い花が目についた。
枝の先端に粟粒状の白い小さな花をつけているオトコエシである。傍に寄って高いその茎頂を追うと開けた上流に視界が広がり、遠くに先ほど見た色あせた山頂が見えた。
ふと、「男郎花あの稜線が大菩薩(古沢太穂)」という一句を思い出した。句中の「大菩薩」を「岩木山」としても感性と質的な違いがあるだけで情景的には遜色がないのでは…とを考えたら何だか楽しくなった。
白粟花とも言われるオトコエシだが、オミナエシに比べて背も高く、男っぽい印象で風趣は乏しいかも知れない。
◆◆ 2008年度総会無事終了(2)◆◆
総会が終わってから、参加者名簿を見た。会員でない人が最初から最後まで「熱心」に経過報告を聞き、意見に耳を傾けて「参加」していたのである。感謝の意を表したいと思って、私はその人のあとを追った。
「ありがとうございます」と言って挨拶をし、名刺を交換しながら「どうして本会の総会に傍聴に来たのですか」と訊いたところ、『岩木山を考える会の「ホームページ」と「事務局長Blog」を見ています。岩木山を考える会に興味があり、一般の人も総会に参加傍聴出来ますと「ホームページ」に書いてあったので、今日参加しました。』と言うのである。
正直、驚いた。そして、すごく嬉しかった。本会は開かれた会である。開かれていなければ社会に対して「岩木山」の様々なことを発信してはいけない。
私はブログを毎日書くなどしてはいるが、「練炭」自殺や「硫化水素」自殺など、それを煽っているのが「インターネット」という社会機能と匿名という無責任な「ホームページ」の管理と運営、それに呼応する無責任匿名の書き込みなどを知るにつれて、自分がある程度力をいれて書き続けている「行為」に、空しさを感じていた。
こんな時の、この人の行動には、驚きもあったが本心救われたような気持ちになったのである。
もう一つ、嬉しいことであり、驚いたことがあった。これも感謝すべきことである。
それは、ある地方紙の記者が、これまた最初から最後まで、総会の動きを見ていたことである。最後部の机にいたので、細かい取材などをしていたかどうかは分からないが、確実にず~と「いた」ことは確実であった。
総会に新聞記者が、このように長時間いたことは、これまでになかったことである。記事になるのかどうかは分からないが、これも本会が社会的に認知されてきている一つの証ととらえることも出来るのではないかと思った。(明日に続く)