岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

素朴な信仰、赤倉社屋群の南面で煌めくブナ林縁の白き結界 / 志賀坊森林公園のこと

2008-04-17 05:57:14 | Weblog
(今日の写真はバラ科リンゴ属の落葉小高木「ズミ(酸実・酢実)」である。「素朴な信仰、赤倉社屋群の南面で煌めくブナ林縁の白き結界」というキャプションがいいのではないかと考えた。
 花名の由来は樹皮から黄色の染料が作られ、それを「染み(そみ)」と呼んでいたがズミに転訛したことによるそうだ。

風薫るという明るく新鮮な季節が里を後にする頃である。ちょうど、リンゴ農家にあっては「猫の手も借りたい」ほど忙しい受粉作業が一段落したころとでもいえるだろうか。
標高五~六百メートルの山麓の森ではタウチザクラやオオヤマザクラの花が散り始めヤマナシやズミの花が咲き始める。
自動車を持たないものにとっては赤倉登山道からの登りは不便である。鰺ヶ沢行きのバスに乗って大森で下車してとことこと歩いてやっと大石神社や赤倉社屋群に着く。
 北に面する標高四百メートルあたりからブナが目立ってきて、その林縁は淡い白色で取り囲まれている。ズミの花である。
 植松法子の短歌に「満開のズミの白きを結界のごと廻らせてブナの純林」と「ブナの森出でてまた会うズミの花ゆうべまぶしくこの世を照らす」というのがある。
 最初のものは「 満開のズミの白い花が咲いている。それはまるでブナ純林を取り囲んで侵入を許さない結界のように見えたよ」とでも解釈されようか。
 ちょうど赤倉講の社屋群が途切れるあたりにその大木はあるのだ。だから、いっそうその気分は助長されて高ぶるのである。
 だが、そこを通り抜けて登山道尾根の石仏道に出てしまうと、ブナ林に入るのだが、もはやずみの花に出会うことはない。
 「ブナの森を通り抜けるとまたズミの花に出会った。この花の白さはまさに薄暗いこの世の夕べを眩しいほどに照らすものだ。何と清楚であることよ。」という二首目の歌題はあてはまらない。
 しかし、北向きの薄暗い林縁を眩しいほどに照らす白い花々の織りなす清楚な宇宙は二度目に通り過ぎるブナの森にあってもいい。

結界=仏語(区切ってそこから中に入れないようにする境界…女人結界など)

   ●●志賀坊森林公園で「ウオッチング青森弘前支部(?)」と「NHK弘前文化センター」が担当する自然観察会が20日に開かれる●●

  ◆ と き 平成19年4月20日(日) 
                   10:00~13:30
  ◆ ところ 平川市広船『志賀坊森林公園』
  
  ◆ 持ち物/服装 等
  ・簡単な山歩きができる服装~長袖シャツ・長ズボン・帽子・手袋(軍手)・長靴 等
  ・雨具、ある方は双眼鏡等
  ・昼食/水筒/筆記用具 その他(当日の天候により防寒対策等も)

「NHK弘前文化センター」関係は、3年間続けている講座「津軽富士・岩木山」の4年目の最初の自然観察野外講座である。
 
 この事前調査のために、12日、15日と2日間出かけた。両日ともに「自転車」で行った。
 「岩木山オタク」である私は「志賀坊森林公園」のことをこれまで名前でしか知らなかった。この森は、もともと平賀町広船地区の林で、住民によって営々と管理され、保護され、育てられてきた場所である。
 「岩木山がよく見えるのですよ」という人たちの「お薦め」が、講座を開く場所としての「決めて」となった。確かによく見える。太宰治が「じゅうにひとえの裾」を云々と書いたが、その裾にあたる広くて長い山麓がすべてなだらかな線となって見える。その上、弘前から南東に開けた津軽平野の東側がすべて見える。当然岩木山の北側は見えない。
 だが、事前調査をして、「見える」だけに価値があるのではないということを十分理解した。
 それはこの時季、つまり「スプリング・エフェメラルズ(春のはかないいのち)」の観察地としては、最高の場所であるということだ。すばらしい「里山」である。
 弘前市は岩木町と相馬村と合併したので、いくつかの「里山」を苦労もせずに手に入れることが出来たが、合併以前はほぼ、「里山」がない状態だった。まるで「濡れ手で粟」である。平川市にはこのような「里山」がまだあるのだ。
 
 12日はTさんと自転車で下見に行って来た。行く時も小雨、観察調査の時も小雨、冷たい風、帰りは本格的な雨であった。気温もすごく低く、往きの自転車走行で汗をかいた体は冷え切ってしまい、すごく堪えた。
 また、体はすっかり雨に洗われたのだが…、ただ、この観察地は「早春」の植物の宝庫で、心洗われて帰ってきたのである。
 雨天や曇天の日は「カタクリ」「キクザキイチリンソウ」「フクジュソウ」などは花びらを開かない。一面に生えてはいるが、その色とりどりの「色彩」が実感されない。そのことがすごく残念だった。それに、二、三、もう少し調べたいことがあったのだが、それも出来なかった。もちろん、岩木山も雲に覆われて見えなかった。
 気象庁の天気図を読んで、15日は確実に晴天であると踏んだ。そして、15日はすばらしい天気となった。そこで、もう一度、自転車で志賀坊森林公園まで行った。午前9時半に出発をして、帰宅したのは15時過ぎであった。
 12日には、「志賀坊森林公園」に辿り着く最後の急な坂を自転車で登り切れず途中で降りて、引っ張るというだらしのなさだった。あとで気づいたのだが「ギヤ」を一番軽い状態にしないで、ペダルを踏んでいたのだが、それにしても情けない力のなさである。Tさんは一気に駆け上がっていったというのに…。
 ところが、15日には、その急な坂を、1回だけサドルにかけたまま休んだだけだった。何とかギヤを一番軽いところに入れて登り切ったのである。嬉しい。

「カタクリ」「キクザキイチリンソウ」「フクジュソウ」などは陽光を浴びて開いていた。「アオイスミレ」や「スミレサイシン」はその芳香を漂わせ、「ナニワヅ」がその香りに別な香りをアレンジして、春の「香りの世界」は賑やかであった。「ニリンソウ」も間もなく開花する程度まで蕾を膨らませていた。
 途中出会ったグループにあれこれと質問されて、2つの女性グループのガイドをする羽目になってしまった。その上、ベストの忘れ物を拾い、管理人に届けるということまですることになったのである。
 岩木山はその日もまた、恥じらう乙女だった。春霞(はるがすみ)の美しさは日本人好みの風情である。だが、春の岩木山にとって、それは「御簾(みす)」でしかない。遙か遠くにぼんやりと輪郭のない岩木山が佇んでいるだけだった。