岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

掌状葉の上の淡い臙脂の花柄と小さな淡黄色の点滅 / 咲き出す花に思いを込めて春を待とう  

2008-04-06 08:54:44 | Weblog
(今日の写真はカエデ科カエデ属の落葉小高木の「ミネカエデ(嶺楓)」だ。花名の由来は高い山、つまり峰状の場所に生えている楓ということである。

 楓の仲間は、秋に眺めるのがいいのだと考えるのは、少々早計である。だからといって春に、楓を含めた種々の若葉の綾を「春もみじ」などという訳の分からない言葉で呼ぶことにも賛成出来ない。これを漢字で書くと「春紅葉」となり、完全に季節が分裂・反意する。
 だが、楓の若葉は瑞々しく、初々しい艶がある。特に、亜高山帯の林内に生えている楓の仲間は柔らかい葉の色彩を放っていて美しい。
 西法寺森の裾にある竹の藪をくぐり抜けて、岩の連なる登山道に出た。まずはハクサンシャクナゲの大きな葉が出迎えてくれる。その横に掌状の葉が広がり、葉の上部に長さ五センチほどの花序を、若い枝先につけているものが目についた。オガラバナか。いや違う、花のつき方と花が違う。だが、葉の形は掌状で、五つに中裂し、ほぼそっくりだ。これはカエデ、ミネカエデだ。背丈は三メートル。奥にはイヌツゲも見える。葉の上の小さな空には、淡い臙脂の花柄と小さな淡黄色の花が点滅していた。

        ●●咲き出す花に思いを込めて春を待とう ●●  

「今年は雪が少ない」とは、もはや言うべきではないだろう。これほどに暖冬、少雪が恒常化してしまうと「今年も雪が少ない」であり、そのうちに暖かいことと少ないことが当然となり、冬季の冷たい北西の吹き出しや「雨返し」やこれまでの一般的な冬の気象が話題になるのかも知れない。
暖冬、少雪の影響で岩木山でも早咲きのマンサクは咲いている。
 ところで、実際に岩木山に入ってみると、里や平地とはかなり暖冬の趣が違っている。雪が少ないといっても里のそれと正比例的に呼応している訳ではない。
 先日も岩木山の北面、小白沢稜線を登ったが積雪量は、私の「定点」(注)では平年並みなのだ。ただ、言えることは積雪に締まりがないということである。時間が経てば沈降するのは確実であろう。ところが南面の定点では逆に少ないのである。
これは今年の異変「西に高気圧、東に低気圧」によるものだろうか。
 今季の「西高」は日本の西側で発生はするが、中国の中央部から韓国の南部を通り、本州の南西部を通過するという特徴を持っている。つまり北に偏らず南を覆うのである。
 「東低」は、主に三陸沖合という日本の東側で発達して東に移動する。ところが、今季のそれは、極端に北に偏って移動し発達している。これでは我々が昔から馴染んできた「冬季の気象」を体感することは出来ない。記憶では、ごうごうという建物を揺るがすような降雪を伴う強風の吹き荒れた日はわずかに一日であった。
そして、奇妙な雨降りと雷鳴の続いた「寒中」であった。
私たち人間は気象の変異に科学的な文明で対処する。寒ければ厚着をし、火気で暖をとる。暑ければ薄着を、クーラーで冷気を補う。しかし、人間以外のすべての生物は文明的な対処は出来ない。かつて恐竜が絶滅したのもこれが要因だ。さらに「移動」出来ない植物はそれゆえに変異への対処を苦手とする。
 彼女たちは私たちの物差しでは測れないような長い長い時間をかけてその気象、地質に適応して進化してきた。
 もしも、この変異が彼女たちの進化した時間と同等にゆっくりゆっくりとしていれば、適応して生き延びることが出来るだろう。
 しかし、野生を失い、生物として進化から取り残された「鈍感な私たち人間」ですら感じ取ることが出来るほどの極端に性急な変異には、全く対応出来ないのだ。そこには「絶滅」という終わりしかない。
注:定点(毎年同じ場所で樹木を基準に積雪の高さを観測している。)