岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

秋の彩りを一身に集めて濃い青紫色に咲く鳳凰花 / 地球温暖化、待ったなし

2008-04-19 05:57:10 | Weblog
 (今日の写真はキンポウゲ科トリカブト属の多年草「ヤマトリカブト(山鳥兜)」だ。花名の由来は、花の形が舞楽のときにかぶる鳥(鳳凰)の頭を象った兜に似ていることからこの名で呼ばれている。『出雲風土記』や『康頼本草』などをみると奈良・平安時代には於宇(おう)と呼ばれていたらしい。だが、「於宇」は今日では忘れ去られた名である。

 ある年の十月、NHK弘前文化センター自然観察会で岩木山の北麓を歩いた。
その日、岩木山の北面中腹部にある二子沼自然観察会をひととおり終わって、ブナ林からその縁に出てきた。その場所は林道となっており、両側の樹木の葉陰はあるものの、切り開かれているので明るかった。秋に、そのような場所で真っ先に出迎えてくれるものがガンクビソウである。だが、非常にひっそりと目立たずに迎えてくれる。それは舌状花(ぜつじょうか)「菊の仲間の花で、花びらのように見えるものをいう。実は、舌状花も一つの花である」がないからである。
 図鑑等では「本州から琉球の暖温帯域の森林に生育する多年草」と説明されているが、これは広義の場合であろう。狭義では「発達した森林には生育出来ない」と言える。それは、林内といっても、小道沿いや林縁、または倒木のあった場所や崩壊地など、明るい場所にしか生育しないということである。
 そこから、駐車スペースまでまだ、歩くことになっていた。歩きながら、この時季に咲く花に、私は思いを巡らしていた。
 実は、斉藤史の短歌に「草の葉に斬られし夏もとく過ぎて水分(みくまり)あたり咲く鳥兜」があって「鳥兜」を歌題にしているものがある。
 ところで、私はずっと長い間、八甲田山域や白神山地ではごく普通に見られるこの花に、岩木山の主要な登山道で会うことがなかった。何故、自生していないのだろうかという不思議な思いと悔しい思いと毒草なんだから、なくてもいいやという自棄的な気分になりかかっていた。
 斉藤の歌意は「 覆い茂る草々の葉に断ち切られてしまっていた夏の強い日射しも、早くも過ぎ去って今はない。多くの草は枯れて、夏の間見えなかったみまくり(沢の分岐点)周辺には秋の花、鳥兜が濃い色彩で咲いている」である。これに従うと「沢の分岐点」に咲くことが多いらしい。私は林道を横切る白沢の支流に「秋の彩りを一身に集めて濃い青紫色に咲く鳳凰花」との出会いを求めて、入っていった。色彩に欠ける藪に動かない彩り。晩秋に咲く濃い青紫色の花、ヤマトリカブトとの出会いだった…。この花は秋の彩りには欠かせないものだ。
「今生は病む生なりき鳥頭(石田波郷)」という俳句もある。
石田波郷は当時、不治の病とされていた肺結核だった。この俳句を作って間もなく死亡した。結核のことを猛毒の鳥兜(鳥頭)に喩えているのだろう。
 句意は「私の人生は病気の中にあるものだった。まるで鳥兜の毒を体の中で醸成しているようなものだ。」とでもなろうか。
 花の形の面白さもさることながら、この草は有数の猛毒植物の一つである。全草に強いアルカロイドという毒を持っている。特に根に猛毒があるが、神経痛やリュウマチの薬にも、鎮痛剤・麻酔剤などに用いられる。
 毒草だが花や葉に触っても何でもない。心配しないで鑑賞していい。
 
『水分』:「みくまり」と読む。「水配り」のことで、①山や滝から流れ出た水が種々の方向に分かれる所。水の分岐点。②貯水を調節する所。水を配分するところ。この文章での意味は①で、みくまりの神。 
 
      ●●地球温暖化、待ったなし●●

    毎日新聞2008年4月18日付「憂楽帳」:温暖化と「蚊」…から考える

 世界保健機関(WHO)に「蚊の話になると一晩でも止まらない」と評される日本人専門家、一盛(いちもり)和世さんがいるそうだ。
 「熱帯病対策に取り組む専門官。太平洋の島国で、ヒトに感染するフィラリア対策に長年取り組んだ後、06年からジュネーブの本部で熱帯病対策のチームに入った。」人である。

 その一盛さんが今、懸念しているのが地球温暖化だ。気温が高くなれば、蚊の発生が増え、活動も活発になる。そうすれば、蚊が媒介する病気の流行も拡大すると考えられるからだ。
そして…「温暖化の影響は、もう現実に起きている。温室効果ガスの排出削減だけでなく、人々の健康に与える影響を少なくするための対策に力を入れなければならないんです」と言う。
 実際に、70年代には東南アジアなど限られた地域にしかなかったデング熱は、いまや世界の熱帯・亜熱帯地域のほぼ全域に広がった。患者数も、ここ40年で10倍以上に増えた。

東京などでは熱帯性の「蚊」が越冬し始めていると聞く。そうこうしているうちに九州や四国、加えて九州並みに「温暖」な地域である房総地方などの森にはマラリアを媒介するハマダラカが生息するようになるかも知れない。
 侵略戦争ではあったが60数年前の戦争で、南方に拡大していった日本軍の将兵の多くは、この「マラリア」によって死亡した。生き残った者も、その後遺症で苦しんだ。何も将兵だけでない。多くの民間日本人もこの「マラリア」に悩ませられ苦労したのである。現在も地球規模で見た場合、アフリカ、東南アジアなどで多数の人が「マラリア」に苦しみ苛まれている。

 宇宙だ、人工衛星だと騒ぐ前に、道路特定財源で道路を造ろうという前に、「温暖化」を止めることに目を向けて、動き出そう。
 「ガソリンが安くなったので、連休は自動車で遠出をする」などと考えている人は結構多いだろう。せめて、「遠出」を止めて「近出」くらいにしておけないものだろうか。