(今日の花は、ある花の冬枯れ「花の名残り」である。咲いている時のものに「キャプション」を付けると「秋冷の中、顔容(かんばせ)を淡紅に染める美女」とでもなろうか。
それが「枯れ果てる」とこのような姿になり、冬を過ごし、六月の開花期を迎える。この枯れ花の他に、30日の自然観察では、リョウブやタニウツギの枯れ花にも出会った。
この花に似ている花はたくさんある。人間というものは、たくさんあることやものには余り関心がないもののようだ。私にはそれらが皆同じに見えていて、とりわけ関心はなかった。
ある年の朔日(ついたち)山、いわゆる御山参詣の翌日、一番のバスで終点の枯木平で降りた。そこから二ツ森の裾をまく間道をとおり、鰺ヶ沢町松代の石倉集落の南端にある大ノ平(松代)登山道入口に着いたのは既に十時近かった。時間が気になっていた。私は走るように追子森に向かった。
この登山道は標高一一三九メートルの追子森までは、その山頂にある社への参拝者や山菜採りなどが利用しているので比較的安定していて、迷うことも難儀する箇所もなかった。
間伐はされているが結構樹齢を重ねたブナ林が続き、それを抜けるとコメツガ林が出てきて追子森となる。
しかし、その追子森から長平登山道の出合までは根曲がり竹が密生していてかなりの藪こぎを強いられる。予想は的中した。
年々藪はきつくなっている。登山道は完全に消失状態で、地面に付けられた「踏み跡」はない。あるものは、竹や木の枝にまばらに付けられた赤布(送り)だけである。それを見落とすと先には進めない。
藪の中からは空も見えない。竹格子の檻に入れられているも同然なのだ。どこにいるのかも解らないまま、気がついたら西法寺森と岩木山本体との鞍部の取り付きにいた。
斜面がきつくなり、竹を支えにへばり付くように登る。竹格子の奥がいくらか明るくなってきた。竹がまばらになってきた証拠である。その明るい隙間に淡いが紅色がキラキラと輝いた。何だろう、赤布ではなかった。
…それはまさに秋冷の中で顔容(かんばせ)を淡紅に染めて恥じらう美女の風情であった。ほっとした。その周りの竹は膝ほどの高さになっていて、出合は直ぐそこだった。
だが、その時私はこの淡い紅の花の名前を知らなかったし、もちろん、あのいつもよく目にしていた白い花が季節の推移によって変異したことなど知る由もなかった。
私がこの花の名前をしっかりと認識したのは、似た花の識別が出来るようになり、名前の由来を知ってからだ。
さあ、この花の名前は次のどれだろう。答えは明日、発表しよう。
(1.ケナシヤブデマリ 2.カンボク 3.ツルアジサイ 4.ノリウツギ 5.エゾアジサイ)
■■ 弥生登山口周辺でNHK弘前文化センター自然観察講座を実施(2) ■■
とにかくいいお天気だった。昨年、一昨年と同じ3月の最終日曜日に、野外で実施してきたこの講座では、雪の上を「ワカン」や「スノーシュー」を着けて「歩行」することも受講者の「楽しみ」の一つとなっていた。だが、今回は雪が少なく、場所によってはないところもあり、「長靴」だけで十分歩くことが出来たので、「ワカン」や「スノーシュー」の出番は全くなかった。
今回の観察地は、弥生登山道入り口周辺である。そこは岩木山東面の標高300mに位置している。昭和初期に入植して出来た「上弥生」地区やリンゴ園と隣接する「自然と人工」が混在する場所である。
リンゴ園から大黒沢の左岸をたどり、植林地のカラマツ林を通り、観察をしながらミズナラ林伐採地(現在スギ林地)からミズナラ林を通って、周遊して帰ってくるというルートであった。実動距離は約1.5kmぐらいである。
主な観察地はミズナラを中心にクロマツ、アカマツ、カラマツ、オオヤマザクラ、カエデ、クロモジなどが混在する林とその林縁だ。
雪が少ないとはいっても、さすがに林内には積雪が残っていて、タヌキ、アナグマ(マミ)、ウサギ、テンなどの足跡が観察された。タヌキの足跡は本当にかわいいものだ。まるで、丸みを帯びた梅の花の文様のようだ。平地を歩く時、彼らは「足の爪」を出さないので「柔らかい」足跡になるのだ。
カラマツの幹元には、小さな「根開き」が見られた。根開きとは幹が陽光によって暖められて、その輻射熱が周りの雪を解かすことによって出来る「幹周りの丸い穴」である。
その根開きの地上に「瑞々しい緑葉」を発見した。葉の形と模様に特徴があって、それが名前の由来にもなっている。腎葉一薬草であった。葉の形が腎臓に、葉脈が無数に走る腎臓の血管、葉柄が膀胱に連なる管というわけである。この命名は実に「学問」ぽい。素朴さなどまったくない。嫌みな名付け方だとこの葉や花を見るたびに思うのである。
木の冬芽としては、ホウノキやタムシバを観察した。林の中で迷って「方角を知りたい時にはタムシバのつぼみを見ろ」と言われる。タムシバの花芽は陽光に向かって、そちら側だけが膨らんでいた。この膨らみの方角が「南」なのである。
明るく淡い橙色の幹、その幹のはげた表皮を、ひらひらさせているのはウダイカンバだ。その表皮を少しはぎ取って、ライターで「火」を点ける。黒い油性の煙を出して、勢いよく燃えるのだ。「ウダイカンバ」の「ウ」は鵜飼いの「鵜」である。
鵜匠が鵜を使って「鮎漁」をする時の「明かり」に用いたことからの命名だと言われている。
大きな桐の木があった。その傍には20mを遙かに越えるヒマラヤスギもあった。これらの樹木はみんな「人」が植えたものだ。まさに、「自然と人工」が混在する場所であることの証明であろう。
何と、その桐の幹にはキツツキ類(コゲラだと思うが)の採餌痕が数カ所にあった。これも弛まざる「自然と人工」の所産だろう。
ヒマラヤスギの大木は2本あった。70年ほど経っているらしい。これはマツ科ヒマラヤスギ属 の常緑高木で、ヒマラヤ北西部からアフガニスタン東部が原産だ。明治12年頃渡来し、庭木、公園樹などの植採が多い。
弘前公園の本丸にもあるそうだ。原産地では50mにも達するそうだ。枝が水平に広がり、樹冠は円錐形になるという非常に格好のいい樹木である。遠目の木立姿は「杉」に見えるが、近づいて「葉」を見ると、まさに「松葉」なのである。これもおもしろいことだ。
それが「枯れ果てる」とこのような姿になり、冬を過ごし、六月の開花期を迎える。この枯れ花の他に、30日の自然観察では、リョウブやタニウツギの枯れ花にも出会った。
この花に似ている花はたくさんある。人間というものは、たくさんあることやものには余り関心がないもののようだ。私にはそれらが皆同じに見えていて、とりわけ関心はなかった。
ある年の朔日(ついたち)山、いわゆる御山参詣の翌日、一番のバスで終点の枯木平で降りた。そこから二ツ森の裾をまく間道をとおり、鰺ヶ沢町松代の石倉集落の南端にある大ノ平(松代)登山道入口に着いたのは既に十時近かった。時間が気になっていた。私は走るように追子森に向かった。
この登山道は標高一一三九メートルの追子森までは、その山頂にある社への参拝者や山菜採りなどが利用しているので比較的安定していて、迷うことも難儀する箇所もなかった。
間伐はされているが結構樹齢を重ねたブナ林が続き、それを抜けるとコメツガ林が出てきて追子森となる。
しかし、その追子森から長平登山道の出合までは根曲がり竹が密生していてかなりの藪こぎを強いられる。予想は的中した。
年々藪はきつくなっている。登山道は完全に消失状態で、地面に付けられた「踏み跡」はない。あるものは、竹や木の枝にまばらに付けられた赤布(送り)だけである。それを見落とすと先には進めない。
藪の中からは空も見えない。竹格子の檻に入れられているも同然なのだ。どこにいるのかも解らないまま、気がついたら西法寺森と岩木山本体との鞍部の取り付きにいた。
斜面がきつくなり、竹を支えにへばり付くように登る。竹格子の奥がいくらか明るくなってきた。竹がまばらになってきた証拠である。その明るい隙間に淡いが紅色がキラキラと輝いた。何だろう、赤布ではなかった。
…それはまさに秋冷の中で顔容(かんばせ)を淡紅に染めて恥じらう美女の風情であった。ほっとした。その周りの竹は膝ほどの高さになっていて、出合は直ぐそこだった。
だが、その時私はこの淡い紅の花の名前を知らなかったし、もちろん、あのいつもよく目にしていた白い花が季節の推移によって変異したことなど知る由もなかった。
私がこの花の名前をしっかりと認識したのは、似た花の識別が出来るようになり、名前の由来を知ってからだ。
さあ、この花の名前は次のどれだろう。答えは明日、発表しよう。
(1.ケナシヤブデマリ 2.カンボク 3.ツルアジサイ 4.ノリウツギ 5.エゾアジサイ)
■■ 弥生登山口周辺でNHK弘前文化センター自然観察講座を実施(2) ■■
とにかくいいお天気だった。昨年、一昨年と同じ3月の最終日曜日に、野外で実施してきたこの講座では、雪の上を「ワカン」や「スノーシュー」を着けて「歩行」することも受講者の「楽しみ」の一つとなっていた。だが、今回は雪が少なく、場所によってはないところもあり、「長靴」だけで十分歩くことが出来たので、「ワカン」や「スノーシュー」の出番は全くなかった。
今回の観察地は、弥生登山道入り口周辺である。そこは岩木山東面の標高300mに位置している。昭和初期に入植して出来た「上弥生」地区やリンゴ園と隣接する「自然と人工」が混在する場所である。
リンゴ園から大黒沢の左岸をたどり、植林地のカラマツ林を通り、観察をしながらミズナラ林伐採地(現在スギ林地)からミズナラ林を通って、周遊して帰ってくるというルートであった。実動距離は約1.5kmぐらいである。
主な観察地はミズナラを中心にクロマツ、アカマツ、カラマツ、オオヤマザクラ、カエデ、クロモジなどが混在する林とその林縁だ。
雪が少ないとはいっても、さすがに林内には積雪が残っていて、タヌキ、アナグマ(マミ)、ウサギ、テンなどの足跡が観察された。タヌキの足跡は本当にかわいいものだ。まるで、丸みを帯びた梅の花の文様のようだ。平地を歩く時、彼らは「足の爪」を出さないので「柔らかい」足跡になるのだ。
カラマツの幹元には、小さな「根開き」が見られた。根開きとは幹が陽光によって暖められて、その輻射熱が周りの雪を解かすことによって出来る「幹周りの丸い穴」である。
その根開きの地上に「瑞々しい緑葉」を発見した。葉の形と模様に特徴があって、それが名前の由来にもなっている。腎葉一薬草であった。葉の形が腎臓に、葉脈が無数に走る腎臓の血管、葉柄が膀胱に連なる管というわけである。この命名は実に「学問」ぽい。素朴さなどまったくない。嫌みな名付け方だとこの葉や花を見るたびに思うのである。
木の冬芽としては、ホウノキやタムシバを観察した。林の中で迷って「方角を知りたい時にはタムシバのつぼみを見ろ」と言われる。タムシバの花芽は陽光に向かって、そちら側だけが膨らんでいた。この膨らみの方角が「南」なのである。
明るく淡い橙色の幹、その幹のはげた表皮を、ひらひらさせているのはウダイカンバだ。その表皮を少しはぎ取って、ライターで「火」を点ける。黒い油性の煙を出して、勢いよく燃えるのだ。「ウダイカンバ」の「ウ」は鵜飼いの「鵜」である。
鵜匠が鵜を使って「鮎漁」をする時の「明かり」に用いたことからの命名だと言われている。
大きな桐の木があった。その傍には20mを遙かに越えるヒマラヤスギもあった。これらの樹木はみんな「人」が植えたものだ。まさに、「自然と人工」が混在する場所であることの証明であろう。
何と、その桐の幹にはキツツキ類(コゲラだと思うが)の採餌痕が数カ所にあった。これも弛まざる「自然と人工」の所産だろう。
ヒマラヤスギの大木は2本あった。70年ほど経っているらしい。これはマツ科ヒマラヤスギ属 の常緑高木で、ヒマラヤ北西部からアフガニスタン東部が原産だ。明治12年頃渡来し、庭木、公園樹などの植採が多い。
弘前公園の本丸にもあるそうだ。原産地では50mにも達するそうだ。枝が水平に広がり、樹冠は円錐形になるという非常に格好のいい樹木である。遠目の木立姿は「杉」に見えるが、近づいて「葉」を見ると、まさに「松葉」なのである。これもおもしろいことだ。