(今日の写真は岩木山水無沢の左岸尾根をかなり登って来たところから、対岸の尾根上部とその稜線を写したものだ。水無沢は読んで字の如しで「湧水」がない。雪解け水や雨水は流れ込むが、夏場は枯れることがある。しかし、下流では少ないが湧き出している場所もある。伏流水なのだ。岩木山の弥生側山麓には、そのような場所が結構見られる。あの計画されて、「凍結」された「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設」建設現場もそのような地下を水が流れるところであり、しかも土石流地帯であった。
この尾根には古い登山道がある。あるといっても、現在は、「雪解け直後の草がまだ芽生えていない時期」にだけ「あること」が認められるということであって、もはや、歩くためや登り降りをするための「道」ではない。かつては「登山道」があったことを「偲ばせる」だけの残骸である。完全に廃道となっていて、利用することは不可能だ。
今から30年ほど前の5万分の1地図にはちゃんと出ていたし、私も何回か登り降りをしている。
最初に利用したのは、赤倉登山道を降りてきて、大開の手前にはっきりと、地図が示すとおりの「分岐点」があり、そこから下山した時である。上部はまだ「踏み跡」が判然としていたが、弥生に近づくにつれ、次第に「踏み跡」は低木や下草に覆われていった。
だが、枝を掻き上げ、下草を寄せると、長い年月、多くの人に、踏み固められた「踏み跡」が私を案内してくれた。
赤倉登山道の、この道への「分岐点」は本道が「廃道」化してもかなり長いこと残っていた。つい最近まで、というよりは赤倉講の一信者が不法に登山道を整備するまでは、はっきりと、ここから「別な道」という具体性を保って残っていたものである。
しかし、「整備」に名を借りた周囲の木々の伐採が「根曲がり竹」の生長を促して、その「分岐点」を塞いでしまったのだ。勝手な行動が先人たちの「歴史」をも壊してしまったのだ。古い地図と磁石を使えば探せないことはないとは思うが、今はまったく分からない。「明日に続く」)
■■会報44号は出来たのだが…■■
色々な事情が重なって発行が遅れた…・
「第28回東北自然保護の集い(岩手県・花巻市大沢温泉で開催)」への参加のため、その事前準備として、「大会事務局」との色々な折衝や連絡があった。昨年本会が大会主管をやったのでその「煩雑」さは体験済み。出来るだけ岩手県の事務局の手を煩わせないために、参加申し込みも「岩木山を考える会」という組織名にして「一括申し込み」にした。 本会からの参加者は10名だったので、「大会事務局」は10名にそれぞれ対応しなければいけない。「大会事務局」対10名の「事務連絡」や参加費授受などの事務処理が出てくるのである。そのような「煩雑な事務処理」を出来るだけ軽減した方がいいと考えたから「一括申し込み」にしたのである。
ところが、そうすることは「私」が「大会事務局」の仕事を肩代わりするということでもあった。参加者数の確定・報告を承けて、「大会事務局」から事前に送られてくる要項や大会開催場所の案内図などをその都度、本会参加者に配らねばならない。手渡し・郵送と様々である。
さらに、参加費等の納入。配車と運転のお願い。経路や集合場所や時間の確認。本会参加者への準備と連絡。文書やハガキにして送ることなどが私に課せられた仕事であった。 加えて「岩木山を考える会」のこととして、報告や発表のための「レジメや文書作り」、それの80部以上の印刷。「お土産」の「地酒」の手配などなどと、まあ色々あるもんだ。 帰ってきてからは「大会参加のまとめを書い」て「ブログ」で発表。「大会事務局」からは、まだ「集い」のまとめは送られて来ていない。昨年は3日後にまとめあげて、4日目には発送が完了していた。今年は遅い。
それが終わって一段落することもなく、弥生ネット主催の「弘前公園有料化を考える市民集会」に参加した。ただ、参加するのは「楽」である。私は「市民集会」に使うための文書とA4の写真を作り、集会当日には発表した。
それを受けて、東奥日報が「公園の自然」に関する資料がほしいというので30ページ近い文書に仕上げて持参した。どのように使われるのか、まだ記事にはなっていないようだ。
そうしている内に、NHK文化センター講座「津軽富士・岩木山」の準備が始まった。テーマは「花と実(果実)」である。ゲーム性を持たせる講座にしようと腐心した。具体的には「果実」の種類から、この果実は花の時は「どんな花」なのかを探るというものになった。「花と果実の当てっこ」を画像を見ながらするというものだった。
「岩木山ものしりマップ」の編集締め切りが近づいていた。あるジャンル(部門)からの文書が来ないのだ。忘れているわけではないだろう。だが、それを待っていると時間切れになってしまう。約束は11月末日なのだ。他の部門はすでに出来上がっていた。
そのジャンルだけが「未校了」の状態で、とうとう12月に入ってしまった。もう待てない。きっと、忘れているか、私に言えない組織的な「事情」でも発生したのだろう。今更、「急いで提出して下さい」と言って、それに応えて「提出」されても、遅れたことには変わりはないし、さらに「遅れる」ことになる。これ以上の「遅れ」は許されない。
そうなると、自分が知り得る範囲で書くしかない。「門外漢」という無謀性を恐れながらも何とか書き上げたのである。そして、担当のSさんに、12月上旬に手渡すことが出来た。
そのような訳で「会報」の編集と発行が遅れていた。予定だと11月末には郵送出来るはずだったが、何と20日も遅れてしまった。一昨日、印刷に回した。今日の夕方には、B5版8ページのものが出来上がって来る予定である。
明日の朝、9時30分から会報の「郵送事務」を事務局で行うので、お手伝い出来る会員はお出で下さい。
ところで、昨日、「封筒」の「差出人」欄(ミチノクコザクラが印刷されているもの)と宛名印刷をそれぞれ350枚、合計「700回」の印刷をした。朝の6時から12時半までかかってしまった。
プリンターの調子が悪い。封筒印刷の場合、1枚の「厚さ」が普通紙の場合と違うので、その運びと送りが微妙にずれるらしい。時々、「バリッ」という音を出して「停止」する。以前からそうなのだが、最近は特にそうだ。昨年も故障して、メーカーに送っている。いよいよ寿命なのだろうか。だが、まだ、6年ほどしか使用していないのだ。
因みにプリンターは「Epson PM-4000 PX 」である。
この尾根には古い登山道がある。あるといっても、現在は、「雪解け直後の草がまだ芽生えていない時期」にだけ「あること」が認められるということであって、もはや、歩くためや登り降りをするための「道」ではない。かつては「登山道」があったことを「偲ばせる」だけの残骸である。完全に廃道となっていて、利用することは不可能だ。
今から30年ほど前の5万分の1地図にはちゃんと出ていたし、私も何回か登り降りをしている。
最初に利用したのは、赤倉登山道を降りてきて、大開の手前にはっきりと、地図が示すとおりの「分岐点」があり、そこから下山した時である。上部はまだ「踏み跡」が判然としていたが、弥生に近づくにつれ、次第に「踏み跡」は低木や下草に覆われていった。
だが、枝を掻き上げ、下草を寄せると、長い年月、多くの人に、踏み固められた「踏み跡」が私を案内してくれた。
赤倉登山道の、この道への「分岐点」は本道が「廃道」化してもかなり長いこと残っていた。つい最近まで、というよりは赤倉講の一信者が不法に登山道を整備するまでは、はっきりと、ここから「別な道」という具体性を保って残っていたものである。
しかし、「整備」に名を借りた周囲の木々の伐採が「根曲がり竹」の生長を促して、その「分岐点」を塞いでしまったのだ。勝手な行動が先人たちの「歴史」をも壊してしまったのだ。古い地図と磁石を使えば探せないことはないとは思うが、今はまったく分からない。「明日に続く」)
■■会報44号は出来たのだが…■■
色々な事情が重なって発行が遅れた…・
「第28回東北自然保護の集い(岩手県・花巻市大沢温泉で開催)」への参加のため、その事前準備として、「大会事務局」との色々な折衝や連絡があった。昨年本会が大会主管をやったのでその「煩雑」さは体験済み。出来るだけ岩手県の事務局の手を煩わせないために、参加申し込みも「岩木山を考える会」という組織名にして「一括申し込み」にした。 本会からの参加者は10名だったので、「大会事務局」は10名にそれぞれ対応しなければいけない。「大会事務局」対10名の「事務連絡」や参加費授受などの事務処理が出てくるのである。そのような「煩雑な事務処理」を出来るだけ軽減した方がいいと考えたから「一括申し込み」にしたのである。
ところが、そうすることは「私」が「大会事務局」の仕事を肩代わりするということでもあった。参加者数の確定・報告を承けて、「大会事務局」から事前に送られてくる要項や大会開催場所の案内図などをその都度、本会参加者に配らねばならない。手渡し・郵送と様々である。
さらに、参加費等の納入。配車と運転のお願い。経路や集合場所や時間の確認。本会参加者への準備と連絡。文書やハガキにして送ることなどが私に課せられた仕事であった。 加えて「岩木山を考える会」のこととして、報告や発表のための「レジメや文書作り」、それの80部以上の印刷。「お土産」の「地酒」の手配などなどと、まあ色々あるもんだ。 帰ってきてからは「大会参加のまとめを書い」て「ブログ」で発表。「大会事務局」からは、まだ「集い」のまとめは送られて来ていない。昨年は3日後にまとめあげて、4日目には発送が完了していた。今年は遅い。
それが終わって一段落することもなく、弥生ネット主催の「弘前公園有料化を考える市民集会」に参加した。ただ、参加するのは「楽」である。私は「市民集会」に使うための文書とA4の写真を作り、集会当日には発表した。
それを受けて、東奥日報が「公園の自然」に関する資料がほしいというので30ページ近い文書に仕上げて持参した。どのように使われるのか、まだ記事にはなっていないようだ。
そうしている内に、NHK文化センター講座「津軽富士・岩木山」の準備が始まった。テーマは「花と実(果実)」である。ゲーム性を持たせる講座にしようと腐心した。具体的には「果実」の種類から、この果実は花の時は「どんな花」なのかを探るというものになった。「花と果実の当てっこ」を画像を見ながらするというものだった。
「岩木山ものしりマップ」の編集締め切りが近づいていた。あるジャンル(部門)からの文書が来ないのだ。忘れているわけではないだろう。だが、それを待っていると時間切れになってしまう。約束は11月末日なのだ。他の部門はすでに出来上がっていた。
そのジャンルだけが「未校了」の状態で、とうとう12月に入ってしまった。もう待てない。きっと、忘れているか、私に言えない組織的な「事情」でも発生したのだろう。今更、「急いで提出して下さい」と言って、それに応えて「提出」されても、遅れたことには変わりはないし、さらに「遅れる」ことになる。これ以上の「遅れ」は許されない。
そうなると、自分が知り得る範囲で書くしかない。「門外漢」という無謀性を恐れながらも何とか書き上げたのである。そして、担当のSさんに、12月上旬に手渡すことが出来た。
そのような訳で「会報」の編集と発行が遅れていた。予定だと11月末には郵送出来るはずだったが、何と20日も遅れてしまった。一昨日、印刷に回した。今日の夕方には、B5版8ページのものが出来上がって来る予定である。
明日の朝、9時30分から会報の「郵送事務」を事務局で行うので、お手伝い出来る会員はお出で下さい。
ところで、昨日、「封筒」の「差出人」欄(ミチノクコザクラが印刷されているもの)と宛名印刷をそれぞれ350枚、合計「700回」の印刷をした。朝の6時から12時半までかかってしまった。
プリンターの調子が悪い。封筒印刷の場合、1枚の「厚さ」が普通紙の場合と違うので、その運びと送りが微妙にずれるらしい。時々、「バリッ」という音を出して「停止」する。以前からそうなのだが、最近は特にそうだ。昨年も故障して、メーカーに送っている。いよいよ寿命なのだろうか。だが、まだ、6年ほどしか使用していないのだ。
因みにプリンターは「Epson PM-4000 PX 」である。