岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ヨーロッパの森、日本の森、そしてヤドリギは…

2007-12-16 07:09:42 | Weblog
(今日の写真は、ヤドリギ科ヤドリギ属の寄生性の常緑樹であるヤドリギである。これは北海道から九州、朝鮮・中国に分布する。落葉の高木に寄生し、ヒレンジャクやキレンジャクなどの鳥によって、実は食べられて散布される。実は粘液を含んでおり、枝などに「粘って」定着する。発芽したヤドリギは、根を幹の中に食い込ませ、樹木から水分と養分を吸収しながら成長するのだ。
 この写真はヤドリギの花である。高木に寄生していることが多いので近くで見ることが出来ないが、あちこちと歩いていると、直ぐ目の前で咲いているものに出会うこともある。
 その一つがこれである。4月上旬、後長根沢の中部で出会ったものだ。もう一つある。それは赤倉登山道沿い標高600mほどの所である。何と、それは「ナナカマド」に寄生しているものであった。「ナナカマド」は固い木である。しかも、枝や幹に「皺」が少ない。付着することが難しいのでは考えていたが、植物の生命というのは人が思うほど「柔」ではなかった。
 いずれも、積雪がまだ、3mほどある時期に出会っている。雪が消えてしまうと「高く」なるので、発見も写真に撮ることも難しくなってしまうのである。枝の先端の黄色みがかった橙色のものが花である。この「茂み」の中には赤い実も見えるのだが、ヤドリギは実を着けながら花を咲かせるのである。) 

      ■■ヨーロッパの森、日本の森、そしてヤドリギは…■■

 ところで、今から2000数百年前のヨ-ロッパでは、オ-ク(カシ、ナラなどの総称)の巨木が「森の王者」として大地を覆っていたという。「ガリア戦記」には「ゲルマ-ニアには60日間歩いても端に到達できないような深い森があった。」とあるそうだ。
 そのような森で、人々が聖なる木として崇めたのは、単なる巨木ではなくヤドリギが寄生している木であった。
 秋から冬にかけて、森の木々は葉を全部落とし、死んでしまったようになる。ところがヤドリギだけは生き生きと緑の葉や赤い実をつけている。人々は葉や実の中には木々の生命が凝縮していると考えていた。
 そして、この聖なる木々の神、つまり森の神を司った者たちをドルイド僧と呼んだ。ドルイドとは「オ-クの知恵を持つ者」という意味であるそうだ。
 彼等は冬の終わりになると、聖なる巨木に登り、金の鎌でヤドリギの枝を切り取って、人々に分け与えた。この枝には解毒作用や子供を授ける力があると人々は考えていたのである。

 一方、ヤドリギは東洋でも古くから縁起のいい木とされていて、漢方では枝や葉を婦人病薬にしていたという事実もある。
 古代ヨ-ロッパの人々は木や動物の生命と人間の生命が同じであると考えていたのである。

 我々日本人もまた、狼や狐、それに蛇などの森に棲むの動物を、森の神とかその化身やお使いと見立て崇めてきたのである。このように伝統的に森に抱いてきた観念は、三峯神社に祀られる狼、この狼が変身した狐信仰であるお稲荷さま、社やご神体に張られるしめ繩もまた森の守護神である蛇の象徴的具体化として、今日なお我々の精神風土の中に見られるものである。
 また日本人は、その昔、「幹一本首ひとつ、枝一本腕ひとつ」などとして、木々を守ったことなどは、古代ヨ-ロッパ人の考え方と非常に似ていたのであった。
 ところが、森を支配する文明が、キリスト教の下に「聖なる森など存在しない。森の中に神などいない。
 神は唯一であり、その神と人間に奉仕するために森は存在するのだ。人間の幸福のためならば、森はいくら破壊してもかまわない」という主張のもとにヨ-ロッパを覆いつくしたのである。
 今あるヨ-ロッパの森は、ここ百数十年間に人の手で蘇えさせられたものと言われている。それでもやはり、蘇ることの出来ない地方もある。イギリスなどの山にはまったく森は見受けられないという。
 ドルイド僧たちはオ-クの巨木を、ヤドリギを、森を、動物を、森のこころを必死に守ろうとした。大宇宙も小宇宙もあるがものとして受け入れながら、森の神や大地母神に支えられる森の文明の存続を願った。
 しかし、キリスト教による宇宙の一元化は、広範に、しかも強力に進み、彼等は殺され、森は伐り開かれ、動物は裁判にかけられ、「豊かな生命をたたえる女性」は「魔女」として殺された。

 こうして、ヨ-ロッパの森の神は滅び、世界は唯一の神(一神教)の摂理の下に確立していったのである。
 私には、賢治とドルイド僧が重なって見えてくる。木々の、草花の持つ命が、動物の生命が、あるがままの色彩となって、光り輝く森を守ることが、森の民としての我々の現実的な存在意義なのではあるまいか。
 日本は「山と森と水」の国である。日本の風土は、すべてこの三つに支えられている。私たち日本人は、文化も産業もこの三つを基盤に作り上げてきた。
 農業を例にして、この関わり合いを少し考えてみよう。
 …山は雪を頂き、それを蓄えて水瓶として水田の「水」を供給してきた。森はこれまた、降った雨を一気に流すことをしない「水瓶」であった。それだけではない。秋に落とす葉は、水田の肥料になった。不足分の肥料は「都市部」、たとえば城下町人家から出る「糞尿」を当てた。「水」は恵みの何ものでもないが、時には洪水として荒れ狂った。だが、「水田」は高さはないが「広い」ダムだった。だから、洪水被害は最少に抑えられていた。
 水の流れである「川」や「沢」には多くの生きものがいた。森の木の葉や河畔の木々の葉が水中に落ちて、分解し、それがプランクトンの餌になる。そのプランクトンを餌とする魚が増える。そして、その魚を食べる大型の魚が増える。木々につく虫も魚の餌になる。多くの虫が川に落ちるのである。
 魚を目当てに鳥が集まる。鳥は糞を川に落とす。分解、餌、そして排泄、この循環が絶えることなく続いてきた。
 農民たちは、この自然の仕組みに、「自分たち」をとけ込ませることで「自然の恩恵」を受けてきた。
 江戸時代から、各藩の「名君藩主」の条件は「治水治山」が出来るか出来ないかにあったのである。「治水」とは水を治めるであり、「治山」とは山を、森を収めることである。

 頭上のヤドリギの群落は、いつまでも自分色に、明るく輝いていた。岩木山は、そしてこのミズナラの木立はやはり、イ-ハト-ブの森である。
 おもしろいことに(私は許し難いと思うが)、ヨ-ロッパでは今でも「クリスマス」の飾りに、異教の民が、森の命として崇めたヤドリギの枝、葉、それに実を使うそうである。