岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

私は似非(えせ)自然愛好者か(?)

2007-12-12 05:25:40 | Weblog
(今日の写真だが、どこから「岩木山のどこ」を見て写したかが直ぐに分かる人はエライ。 ここからだと、鰺ヶ沢スキー場のゲレンデが2本しか見えない。真ん中に逆U字型に、木々が伐採されている場所がそうだ。
 「コクド鰺ヶ沢スキー場」が、最後の最後まで「上級者のニーズ」に応えるために「拡張する」といって開設・敷設したところである。本気で上級者の要望に応えるつもりならば、写真中央に見える大鳴沢右岸尾根の、赤倉稜線から続く急峻な痩せ尾根に造ればよかっただろう。
 しかし、そこだったら、ホンモノの「上級者」しか滑れることが不可能だ。だから、営業的に採算があわなかった。というよりも「上級者のニーズ」とは最初から真っ赤な「ウソ」だった。
 その実は、わずか数カ国、参加者も10名に満たない冬季アジア競技大会「モーグルスキー競技場」として使うための「拡張」であった。今でも、何故、正直に「冬季アジア競技大会」のために使うので拡張すると言わなかったのか、不思議でならない。
 一応、「不思議」と私は今、書いているが、「隠さなければいけない事情」があったからである。青森県の「冬季アジア競技大会」に対する予算は、当初の数億円から48億円に膨らんだ。大騒ぎになった。「冬季アジア競技大会」開催反対の声は多く、さらに強くなった。
 そんな中、青森県と鰺ヶ沢スキー場は「ニホンザリガニ」や「クマゲラ」生息を無視し、さらに、鰺ヶ沢町民たちの「水源涵養保安林」伐採反対の声を聞かないで、「慌てふためいて」工事を強行した。本会はその時「工事差し止め請求」の訴訟行動に出た。
 「拡張工事」が目的だったのだ。それをする中で「金」を動かすことが目的だったのである。これ以上、世論として「反対」が大きく、強くなる前に、「工事」を完遂させる必要が「キムラ」と「コクド」の密約の中にあったのだ。
 だから、「工事」が終わってしまえば「後」はどうなろうと知ったことではない。「上級者のニーズ」も「冬季アジア競技大会」も知ったことか。すべて、「想定内」のことだったのである。
 そこにはクマゲラがいた。かれらの「採餌木」があった。「糞」を拾い「DNA」検査をしたら、明らかに本州産「クマゲラ」であることが分かったが、県はそれを認めなかった。 そこには「クマ」の爪痕を幹に残すブナの大木がいっぱいあった。そこは「クマ」の住む森だった。そのブナも2000本以上が伐られてしまった。
 町史に、大事に育ててきたと明記されている「ヒノキ」もあった。年輪が250もある「ヒノキ」がどんどん伐られた。
 大きな岩を13本のブナが抱きかかえるように生えていた。私たちはそれを「岩抱き13本ブナ」と名付けて、せめて、これだけは伐らないで欲しいと「懇願」したが、まるで、「反対者」への見せしめのように、「真っ先」に伐られてしまった。あの「岩抱き13本ブナ」は相当に「観光価値」のある資源であったと思うが、「鰺ヶ沢町」はそれを失った。 このことは「鰺ヶ沢町」の将来を暗示しているように思えてならなかった。
 写真では見えないが、ここから西の尾根にはさらに11本のゲレンデがある。寄生火山である笹森山や鍋森山を含めた複雑な地形が、素晴らしい自然景観を醸し出していたところであった。
 この麓から眺めて、心休まる場所に、まるで「頭にバリカンを入れた」ような切れ込みを造っておいて、「ゲレンデから眺める日本海が美しいスキー場」などと宣伝文句で言っているのだから、鰺ヶ沢町の方々、世話がないですよ。まるであほくさい話しだ。
 最近はこの「ゲレンデ」を滑る者は殆どいない。これも「コクド」に計画には入っていた「想定通り」のこと、けっして「想定外」なことではない。
 「コクド、鰺ヶ沢スキー場」は、かかった費用を当該自治体の青森県や鰺ヶ沢町に、すべて押しつけて、さっさと出て行ってしまった。
 鰺ヶ沢の町長さん、怒って下さい。スキー場のアクセス道路に町税を何億円使ったか。「ホテル」の水道施設のために何億円使ったか、固定資産税を割安に、または免除にした「損失」は如何ほどだったか。そして、町に「何が」残ったのか。
 あなた方が好きな言葉である「町の活性化」はなされたか。答えはすべて、「負(ふ)」であろう。それでも、今年の春の選挙で、町民はあなたを選んだ。まるで底なしだ。)

         ■■ 私は似非(えせ)自然愛好者か(?) ■■

あなたも私も自然愛好者だとしよう。そこで、「山小屋」で生活することについて考えてみたい。
 山小屋では「薪(たきぎ)」で火を燃やして、暖をとり、炊事をするだろう。化石燃料を使わないから、この行為だけを取り上げると「自然と触れあうこと」だと考えられないこともない。
 だが、もし電気を引くことができたらどうするだろう。引くだろうなあ。電気が引けなくても、携帯電話は持つだろう。どこかで人工的な都市生活との接点を保とうとするはずだ。
 果たして、食糧は自給出来るのか。出来ないから、おそらく、町のスーパーマーケットで食料を買い込むことだろう。「生鮮食品」には「冷凍庫」が必要だ。毎日、干物と漬け物だけでは、病気になるのが落ちだ。
 それよりも、秋口になると、隙間という隙間から家屋内に侵入して来る「カメムシ」はどうだろう。「カメムシ」と同居出来るか。「同居」を許せば「寝具や布団」にまで入り込んでくる。同衾(どうきん)(同じ布団でねむること)は可能だろうか。
 越冬するカメムシは暖気に敏感だ。カメムシは布団や衣服、何にでも侵入して来る。さらに、保存食料や、目の前にある所持品にまで入り込み異臭を放つ。
 津軽では「クセンコムシ」と呼ばれる、あの独特な「異臭」がなければ、ノミやシラミと同衾していたというご先祖様、いや、私の幼少期には、日本人の大半がそうだったので、「虫」との同衾は耐えられないものではないはずだ。
 だが、「カメムシの臭い」が好きになれる人はいるだろうか。好きになれないまでもあの臭いを日常のものとして許容出来る人はいるだろうか。
 もしも、「初恋」の人が「カメムシ」の「香り」を漂わせていたとしたら、それは、「初恋」などという、淡くて純情な情念など「生まれる」はずもないだろう。
 私には、決して「カメムシ」は好きになれないし、同衾などは耐えられない。
このような自分なのに「自然の息吹に触れることが好きだ」とか「自然との共生・共存」と言っているのだから、私は全くの「ウソツキ」であり、似非(えせ)自然愛好者である。
 私は自然に回帰出来ない人間なのだ。人工的な所産から逃れられないほど文明に浸りきった生活を数10年にわたってしてきてしまった。

 それでも、やはり私は今、狂おしいほどに「少年の日々」に戻りたいのだ。