岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

自然の息吹きに触れるということ…(その5)

2007-12-11 06:46:05 | Weblog
((今日の写真は弘前市から鰺ヶ沢町に行く道路、その途中の大森地区にある巌鬼神社の岩木山よりの上部で写したものだ。山頂を基準にして説明しよう。直ぐ左下が耳成岩(みみなしいわ)だが、逆光になってはっきりしない。
 その下に見える3つの岩稜が弘前から見ると右端の「巌鬼山」である。そこから少し右に下って広く落ち込んでいるところが赤倉沢である。写真のほぼ中央部分になる。その右上部の切り立って窓のようになっているところを「赤倉のキレット(切れ戸)」と私たちは呼んでいる。このピークは風の強さでは岩木山で一番である。雪煙が舞い上がるようなこの日などは、この「ピーク」には近づかないほうがいい。飛ばされるのが落ちだからである。それよりも「ピーク」まで行けないだろう。
 向かって右の沢は「白狐沢」である。その右岸尾根には昔、登山道があったものだ。その途中の扇ノ金目山には「クマ」に囓られた標識が今でも一部残っている。だが、夏場は廃道で利用できない。)

      ■■ 少年期を育んでくれた「自然」を壊すもの(2) ■■
(承前)

 恐らく、「トウホクノウサギ」の住む森を、勝手に伐採、開墾して畑や「リンゴ園」にしたわけではないだろう。そこには「行政」の指導も介在したはずだ。
 「リンゴ園」を開いた人が、そのような「自然の成り立ちや事実」に関する知識がなければ当然、「行政」は指導して、「止めさせて」しかるべきだろう。
 それが出来なければ「自然の成り立ちや事実」に関する知識を与えた上で、『どのような「結果」になろうが、それはすべて、あなたの「自己責任」の範囲で処理されるべきことだ』と理解させる必要があったのである。
 そのような指導すらなかったとなれば、「行政」も怠慢であり、その上、指導する能力がないと批判されても致し方ないだろう。

 また、「圧雪による枝折れ被害」も同じである。その場所は平地ではない。里でもない。岩木山の南や東の麓は、それなりの標高がある。平地よりも高いのだ。積雪は平地よりも多い。しかも、岩木山では南面と東面が特別積雪が多い場所なのである。
 積雪が多く深ければ当然、圧雪による「枝折れ被害」はある。当初から予想してかかるべきである事柄だ。
 その場所で、「リンゴ園」を開くことに伴う「リスクやデメリット」を十分理解してのことだったのならば、結果はすべて「自己責任の範疇」だろう。
 「トウホクノウサギによる食害」も多雪による「枝折れ被害」も、すべては自己責任で処理されることだ。
 ところが、それらに対して、自治体が見舞金や補償金を給付するような動きをする。裏にいるのが政治家であり、その意や圧力を受けた行政・役所が実行しようとするのである。
 現に、「補償金」という補助金を支払った自治体もある。
 「自己責任」を棚に上げて、そこには選挙の票頼みしかない。政治家たちが「国民のみなさま」「県民のみなさま」「市民のみなさま」「町民のみなさ」「村民のみなさま」または「農民のみなさま」と言う時、そこには人々1人1人の「人権」も「願い」も「苦境」も「苦悩」もない。
 政治家の頭にあることは、常に次の「選挙」のことである。また見えているものは、「人々の人格を持った生身の顔」でなく、「投票用紙」という小さく薄っぺらな「紙切れ」に過ぎないのである。彼らにとって、国民、県民、市民、町民、村民、農民、人間は一枚の紙切れでしかないのだ。まさに、私たちは政治や制度の上では「軽く」扱われている。
 補助金農政の一端が「ウサギによる食害」や「多雪による枝折れ被害」ということにまで見えるから、「日本の農業は先が見えない」のだ。
 「甘える」のも「甘やかす」のもいい加減にしろ。「ウサギ」は甘えてはいない。私には「トウホクノウサギ」の気持ちが痛いほど分かるのである。
 これは「河川敷のリンゴ園」にも当てはまる。「河川敷」は大水になると、洪水となり冠水する場所である。そのことを覚悟して栽培することが「自己責任」だ。だれかが「河川敷」でリンゴを栽培してくれと頼んだのか。そうではないだろう。リスクを十分理解した上で自主的に、そこに「リンゴ園」を開いたのだから、その「結果」は自分に求めるのが筋だろう。
 だがしかし、これに対しても、自治体は補償金を給付したりしているから、まったくもって「甘い」。論理も何もない。滅茶苦茶だ。
 これもすべて、政権維持という自己目的に陥っている選挙のためなのだろう。ああ、これだと、何年経っても日本はよくならないなあ…。

 さて、岩木山の自然の変化にもう一度目を向けてみよう。
岩木山の山麓や草原は、「リンゴ園」の薬剤散布や「畑地」への「肥施」等により、都市住宅地よりも貧しい生態系となっている。ここには、もはや、「岩木山の生態系」と共通するものはない。
 岩木山の山麓からは草原や草山、芝地が消えた。コナラやミズナラが生えていた、いわゆる「雑木林」が影を潜めた。
 それに伴い、草原や芝地の植物であるキキョウ、センブリ、クララ、ワレモコウ、オキナグサなどが消えた。そして、これらの植物を「食草」としている蝶の中で、過去30年ほどの間に絶滅しているか、しつつあるものには、コナラ林の「ゴマンシジミ・ウラゴマダラシジミ」などのシジミチョウ類がある。
 草原(採草地)は村落から遠いところは放置され、ミズナラ林などは伐採されて「リンゴ園」や「畑地」になった。山麓の「オオルリシジミ」が棲む本来の草原も、いち早くリンゴ園となってしまい、「オオルリシジミ」は絶滅した。現在、青森県では「オオルリシジミ」などの「草原の蝶」が発見されたという報告はない。
 消えたのは蝶だけではない。甲殻類の「カニ」もそうである。「ニホンザリガニ」も「リンゴ園」や「畑地」近くの「沢」からは姿を消した。山麓上部の、昔からの沢の末端に「細々」と生息しているに過ぎない。これだと、「ザリガニ」ならず「ワズカニ」だ。
 岩木山の近くに高舘山がある。現在の弘前市岩木地区、兼平の上部である。この近くから、かつては「平板な自然石」である「兼平石」を掘り出していた。この高舘山のどんな小さな沢にも「サワガニ」がいた。しかし、現在はすべてが「リンゴ園」となってしまい、「サワガニ」はもちろんいないし、里山という風情はどこにもない。
 因みに、リンゴ作りの名人、Kさんは…
『リンゴ園の周囲は、手つかずの森にしておくことの方がいい。その森とリンゴの木が共存するからである。リンゴ園に発生する害虫を森の虫が食べてくれる(ハチや蜘蛛などが捕虫してくれるということだろう)。害虫もいなくなるだから、害虫駆除・殺虫のための劇薬を散布しなくてもいいから「安全・安心」ないいリンゴが採れる。自然な森の空気とリンゴ園の「生気」みたいなものが交流して、より自然度の強いリンゴになる。』…と言っているのを聞いたことがあるのだが、頷ける話しであろう。

 ところで、戦後60数年の我が国を見ると…、
 建設業が支持・支援する政党が、農民が支持し応援する政党が日本の政治、それに県や市の政治を牛耳ってきたわけである。建設業種が日本の経済を、国費を含んだ公費を消費する公共事業で支えてきたし、支えているということは瞭然であろう。
 言い換えると「自然破壊」の業種が日本経済を支え、「自然破壊」の党が政権を担当して、現在に至っているということになるわけである。これだと政治は変わらないし、日本は変わらない。
 このような事実の中で、真っ向から「自然保護や保全」「自然との共生・共存」「自然の再生」を掲げて運動していくことは生やさしいことではない。極端な話し、四面楚歌の状態にあると言っていいだろう。私は岩木山を接点にして「自然保護」と関わりを持つようになって、すでに30数年になる。だが、未だもって孤軍奮闘という感は免れない。

 「自然に親しみ、自然に癒されたい」とする登山者や登山客が「自動車道路、リフト、ロープウエイ、人工的に整備された登山道」などの、いわゆる「文明の利器に安住している」ならば、極端なところ、それは「自然破壊に与(くみ)している」ことに他ならないのである。(明日に続く。)