岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

十勝岳連峰・上ホロカメットク山で発生した雪崩とその事故について考える(1)

2007-12-01 05:40:07 | Weblog
(今日の写真は白い花の菊、岩木山に咲くキク科ヨメナ属の多年草である「ユウガギク(柚香菊)」だ。近畿地方以北の本州に分布し、山野の草地などに生えて高さが1m程度になる。地下茎をのばして増え、茎はよく分枝する。葉は薄く、下部や中部の葉は裂けるものや羽状に中裂するものもある。だが上部の葉は長楕円形だ。
 花名の由来は「柚子の香りがする菊」であるが、ユズ(柚子)の香りは実際には殆ど感得出来ない。8月から10月にかけて清楚な白い花を咲かせる。
 この花を亡くなった日本山岳会北海道支部の4名の方々に捧げたいと思う。)

    ■■ 新聞情報の客観性を信じて、私の思いを書くことにする ■■

 (同じ日本山岳会会員として十勝岳連峰・上ホロカメットク山で発生した雪崩事故で亡くなった日本山岳会北海道支部の4名の御霊に深く合掌するとともに、ご遺族の方々に哀悼の意を捧げる。)   

 11月23日、岩木山松代尾根(大ノ平コース)登山から戻って来て、夕食後に見たテレビのニュースに愕然とした。

     ■■  十勝岳連峰・上ホロカメットク山「雪崩遭難」の概要  ■■

『北海道・上川管内上富良野町の十勝岳連峰・上ホロカメットク山(標高1920m)の安政火口付近で、日本山岳会北海道支部のパーティー11人が雪崩に巻き込まれた。雪崩は23日午後0時5分ごろに発生。3人は意識不明(心肺停止状態)のままテントに収容、1人は行方不明』
『道警などは24日朝、心肺停止状態でテントに残されていた札幌市厚別区厚別北1の4、団体職員、鈴木和夫さん(63)▽同区上野幌2の1、無職、鶴岡節子さん(56)▽同市中央区円山西町7、元会社員、吉沢宣哉さん(60)を収容した。行方不明だった十勝管内芽室町西4の5、無職、助田陽一さん(68)も同9時ごろ、テント近くで雪に埋まっているのが見つかった。』
『助田陽一さんの死因は富良野署が25日、旭川医大で遺体を司法解剖した結果、全身圧迫による窒息死と判明した。死亡した4人の死因はいずれも窒息死。』

 この「遭難」から想起される様々な問題点を新聞情報(毎日新聞電子版)に従って、私の雪山経験なども参考に検証してみたい。
 冒頭でこの「雪崩遭難」のニュースに接して「愕然とした」と書いたが、その意味は…
短絡的だが、どうして、今日のような「雪質や積もり方」の時に、雪崩の頻発する、しかも樹木のない場所を登っているのだということであった。
 私の体験はほぼ、「岩木山」に特定されるから、もちろん、「雪質の違いや地形の違い」などからの比較・推測には無理があるであろう。しかし、私には、この「遭難」には「位置、地形、気象」などの違いを越えた共通する「人為的な要因」を感じてならないのだ。

■十勝岳連峰・上ホロカメットク山(標高1920m)は初冬から雪崩が頻発する地域として知られていたということ■

 「今回事故が起きた十勝岳連峰の上ホロカメットク山は初冬から雪崩が頻発する地域として知られ、88年、94年の死亡事故も11月に起きていた。今月13日にもスキーヤーが巻き込まれる事故があったばかりだ。」だという。また、雪崩「発生の10分前に、昨日に起きたとみられる雪崩の堆積(たいせき)物を見つけた」とリーダーは証言している。
 北海道支部の十勝岳連峰・上ホロカメットク山で行われる雪上訓練は7、8年前から始まったという。
 当日は日本気象協会北海道支社によると、『上川地方は21~23日にかけて、真冬並みの寒気に見舞われて大雪になり、3日間で30~50cmの雪が積もった。』され、樋口和生・北海道山岳ガイド協会副理事長は「新雪が相当積もっていたので、雪崩が起きやすい状況だったのではないか」と推測している。

              ■ 雪崩発生の要因 ■

 24日の捜索に参加した北海道雪崩研究会の佐藤範育広報事業部長は、気温の上昇で雪が解けた「弱層」の上に新雪が堆積(たいせき)した二重の層の存在を推測。これは、寒暖の差が激しいときにできる、非常に雪崩が発生しやすい状況を示すという。現場周辺には雪が崩れるのを防ぐ木が生えていないことから「自然的原因と人為的原因が重なった可能性がある」と指摘した。
 上ホロカメットク山では例年、11月の連休に各登山団体による雪上訓練が行われていた。23日も複数の団体が入山、多数の人が雪上を歩いたため雪の層に衝撃が加えられ、雪崩を引き起こした可能性があるという。

              ■ 雪崩の規模と実態 ■

 日本雪氷学会北海道支部が25日現地調査をした結果、雪崩の規模は幅70m、奥行き460m、深さ0.7mで、この時期に同山で起きた雪崩としては最大規模だったことが分かった。亡くなった4人が見つかった安政火口付近を中心に調査したところ、雪の斜面から深さ0.6mの所に厚さ1cmの霜状の「弱層」を発見した。寒暖の差が激しい時にできる非常に雪崩が起きやすい状態だった。尾関俊浩・道教育大准教授(雪害科学)は、弱層の上に堆積(たいせき)した雪が高速で流れ落ちる「面発生乾雪表層雪崩」の可能性を指摘した。
 一方、発生原因については「人為的か自然的かを判断できる段階ではない」と断定を避けた。

         ■ 雪崩発生時の様子と直後の対応 ■

 雪崩の発生時、鈴木さんはパーティーの先頭に立ち、スキーで通る道をつくる役目をしていた。鈴木和夫さん、助田陽一さん、吉沢宣哉さん、鶴岡節子さんの順で先導していたという。
 「ドカン」という音がして見上げたら雪が落ちてきたという。雪崩は23日午後0時5分ごろ発生。当時、雪は降っていたものの、視界は50~60メートルあり、風も強くなかった。「雪崩にやられたと思い、気がついたらうつぶせで雪に埋もれていた。地面が崩れるという感じではなく、雪が落ちてきたというようだった」とチーフリーダーの中村さんは語る。
 中村さんは、すぐに気道を確保。両腕を伸ばしたところ背中の上の雪が崩れ、体が地上に出た。周囲を見渡したところ、登っていた場所から50メートルほど流されていたようだった。数人が自力で脱出に成功、「別のパーティー」も救助に駆けつけていた。10分ほどで、亡くなった鶴岡節子さんを発見、心臓マッサージや人工呼吸を行った。同じく吉沢宣哉さんと鈴木和夫さんが2メートルの雪中から見つかった時には、既に2時間が経過していた。
 懸命の捜索を続けたが、助田陽一さんは見つからなかった。

           ■ ビーコンの装着について ■

 また、日本山岳会北海道支部の調べで、亡くなった4人のうち、吉沢宣哉さんのほかに鈴木和夫さんも雪に埋もれた際に自らの位置を発信する「ビーコン」を装備していたことが分かった。

       ■「油断してしまった」とリーダーは判断ミスを認めている ■

 パーティーのリーダーを務めた中村喜吉さんは「雪崩の予見性」について「発生の10分前に、昨日に起きたとみられる雪崩の堆積物を見つけたが(登山ルートが)尾根の末端だったため大丈夫だと油断してしまった。反省している」と判断ミスを認めた。
 「上ホロカメットク山で13日にスキー客が雪崩に巻き込まれたことも知っていた」といい「雪があれば雪崩はどこでも起きるものだった」と沈痛な表情で認めた。
 4人はいずれも登山歴30~40年のベテランが、吉沢さんと鈴木さん以外は雪崩で雪に埋もれた際に自らの位置を発信する「ビーコン」を装備していなかった。この点について中村さんは「今、思えば失敗だった」と話した。 (明日は各項目についての「検証」を記載する。)