岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

自然の息吹きに触れるということ…(その4)

2007-12-10 05:53:40 | Weblog
(今日の写真は寄生火山の1つである森山から写した岩木山だ。どこから見ても岩木山はいつもどっしりしているが、ここから見るものが一番どっしりとして雄大である。ただ雄大なだけではない。
 爆裂火口が造りだした荒々しい崖頭、深く入り組んだ開析谷、ぎざぎざとした岩稜を感じさせる峰峰、決して太宰治の言う「十二単の裾を広げた」という女性的な優美さはない。まさに鋭く刻まれた巨大な岩の三角錐だ。写真左の頂が鳥海山、その下部に見える逆三角形の切れ込みが「瀧ノ沢」の崖頭と落ち込む沢の源頭である。
 この写真に見られる時季だと、「瀧ノ沢」右岸尾根を詰めて行くことが出来る。その尾根は、すばらしい「ミズナラ」の大木が続く、岩木山では殆ど見ることの出来ない場所になっている。
 百沢登山道尾根の焼止まり小屋付近から長いトラバースをして行くことも可能だが、そこは「新雪」「底雪」を問わず「雪崩」発生の常習地帯なので危険だ。行かないほうがいい。)

        ■■ 少年期を育んでくれた「自然」を壊すもの(1) ■■
(承前)
  
 ところで、相対的に考えると「建設」は常に何らかの破壊の上に成り立つものではないだろうか。沢に「堰堤(ダム)」を「建設」すると、その場とその周囲の「自然」は「破壊」されるというわけだ。

 世に「…建設」とか「…土木」「…建築」「…建築工業」「…興業」「…産業」「…工務店」「…建業」「…組」「…工建」「…土建」など果ては、大工さんまで「建設」業を営む業種は多い。実にこの「なんとか建設」というのは数社の大手ゼネコンを筆頭にして中小のゼネコンから、零細まで、何と全国に「58万社」もあるというのだ。
 「580.000」社とは、仮に1日1社を訪問すると1589年もかかるという気が遠くなるものだ。まさに、日本は土建王国なのである。青森県の人口に換算割合をすると約2人に1人が「建設関係の会社」ということになるから、ますます恐れ入るばかりだ。
 この58万社が、何らかの形で「自然破壊」に関わってきた。
社員の数は大きい会社で数万人、1人社長の零細まで加えていくと、自然の「破壊」に関わって「生計」を立てている人たちの「数」は、何百万人になるか分からない。
 それだけではない。自然を壊さないまでも、「建設」の資材や材料に関わる企業、果ては下請け企業や孫請け企業、国や自治体の「建設」関係担当者まで入れていくと数千万人に膨れあがるのではないだろうか。

何も「自然破壊」はこの「建設」関係会社の専売特許ではない。彼らに匹敵するほどに「自然」を「破壊」して、そこで別な「自然」を生活の手段にする業種がある。
 それは「農業」である。こちらの方は、「弥生時代」から「自然破壊」を続けてきたという伝統があり、どうも社会的に既に「認知」されていると思っているのだろうか。何の臆面もなく、森林を伐採し、畑地開墾や植樹に勤しむのである。

 岩木山は「陸上の小さな離れ小島」だ。離れ小島に棲む生物の種類数は面積に比例するといわれている。麓の生物も「開発」という名の「自然破壊」により周囲から切り離され孤立し、高山部に棲む生物ほど孤立化は深刻だ。
 岩木山を一周する環状道路は60km弱だが、この道を境に、岩木山と「より外側の地域と連なる自然」はないに等しい状態だ。そのため移動力のある大型動物以外は交流が難しくなっている。

 岩木山の東から南斜面には、何の臆面もなく、森林を伐採し、畑地を開墾して造られた「リンゴ園」が多い。
 元々、その辺りは「コナラ」などの林であり、「トウホクノウサギ」が暮らす場所だった。「トウホクノウサギ」の生息場所を、前からの「住人」であるこの「トウホクノウサギ」の了解を得ることもせずに一方的に、つまり「共存するべき相手」を無視し、「人」さまの都合だけで、「生息場所」を「リンゴ園」に変えてしまったのである。
 「トウホクノウサギ」にすれば、その場所は「家屋のあるところであり、餌場であった」わけだ。
 「ある人」が住んでいた家と屋敷があった。その周りは田んぼだったり畑だったりで、そこの「住人」は食べ物を自給して生活をしていた。
 ある時、突然、重機やブルドーザー、それにダンプカーで「他人」がそこにやってきた。そして、家を踏みつぶし、稲や野菜を引き抜き、地ならしをして、そこに「リンゴ」の苗木を植えた。
 「トウホクノウサギ」の立場を「ある人」に置き換えて考えれば直ぐ分かることだ。
何と残酷で非道なことであろう。まるで重火器や戦車、航空機を投入して進められる地上戦における「占領」と同じだ。
 一方的に森林を伐採して、そこを農地にしたり、または建造物を建てることは、「戦争では相手を配慮することがない」のと、よく似ているではないか。
「ある人」つまり、「トウホクノウサギ」は住み場所を奪われて、行くあてもなく占領された林と土地の脇に「掘っ立て小屋」(伐り残されている木々の藪下や根元を掘って造った穴)を立てて、住み着いた。毎日、食べるものを手に入れる手段さえも奪われてしまったのだ。もちろん、「食べ物」もなくなった。
 「トウホクノウサギ」にとって「リンゴ」の若い木や苗は「ご馳走」である。「トウホクノウサギ」の歯は、鉈の刃ほどに鋭い。親指ほどの枝は一囓りでちぎり落とす。
 また、円形の幹や枝の樹皮も大好物だ。これなどは、木工用の轆轤(ろくろ)に当てられる刃物のように、歯を使いながらきれいに樹皮を「剥き(むき)取る」のだ。
 この「食べ物不足」と「トウホクノウサギの習性」からして、「リンゴの枝に対するウサギの食害」は当然考えられた結果であろう。誰が食べ物不足に追い込んだのだ。それは、森を奪った「人」だ。
 そこを「リンゴ園」にした「人」が、する前にこの「食害」のことを考えなかったとすれば、それは「リンゴ園」を開いた人の怠慢か、または「そこの自然や住んでいる動物について学習しなかった」か「学習する能力がなかった」のである。
 自分の立場や都合のことしか考えられないような「人」は、やはり「人」という生きものに過ぎない。他の多くの植物を含めた「生きもの」はすべて、自然の中で「共存」すべき術を身につけている。 (明日に続く。)