岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

23日に見た姥石「監視塔」/ 弘前市12月議会B議員は粗野な父を諭す優しい息子のようだった(最終回)

2007-12-28 05:53:04 | Weblog
(今日の写真は23日に同行したTさんが撮したものだ。早速掲載するので、25日に掲載した写真と比較して、その積雪の少なさを実感していただきたいものだ。
 Tさんからは…「百沢登山の写真を送ります。ファイルが大きいので何回かに分けて送りますのでよろしく。フィルム写真は時間がかかりますね。フィルムスキャナを通すために画像の劣化は避けられません。姥石はもっときっちりと写っているかと思ったら、枝に遮られてよく見えないのが残念です。姥石の標識は小さく見えていますが。視覚で感じたことと実際の画像とはずいぶん違うものだと思います。」というコメントと一緒にメールで送られてきたものだ。積雪の少ないことを理解していただくために3年前の3月下旬のものを見ていただいたことに、何となく「後ろめたさ」を感じていたので、ほっとしている。あらためて、Tさんには感謝する。ありがとうございました。
 少し、写真の説明をしよう。右に見えるのが「監視塔」である。低樹木の枝にはばまれて明瞭さに欠けるが、その雪上の高さから、逆に積雪の少ないことは解るだろう。極端な言い方をすれば「土台が見えている」状態なのである。
 その左側には姥石の「ご神体」である頭に雪を載っけた大きな岩が見える。さらに左に視線を移すと、写真のほぼ中央に「姥石」の標識・標柱が見える。これも半分以上が陽光に曝されていた。さらに、その左側に見える「足跡」はトウホクノウサギのものだ。このウサギは本来「夜行性」なので「晴れて穏やかな晩」には活発に行動する。足跡がたくさん見られるということは「前の晩」のお天気がよかったことの証でもある。
 それにしても「登山中」に何匹かのウサギが、目の前を駆け抜けるのに出会った。きっと、前夜、「月夜」の中で「餅つき」に忙しくて「食事」を摂れなかったものたちが、寝ぼけ眼で食事をしていて、近づく私たちに驚いて、逃げ出したのだろう。ウサギさん、驚かしてごめんなさい。)

■■弘前市12月議会…B議員は粗野な父を諭す優しい息子のようだった。そして語る。「私は公園有料化を考えるにあたり、活動目的も、構成メンバーも違う4つの団体、グループの人たちと意見交換をしてきた。…財政難だからといって、すぐ市民に負担を求めるのではなく、いろいろなアイディアを出し合って、出来るだけ市民の希望をかなえるように知恵を絞り、汗をながしていただきたい。」と…。■■

 B議員が、意見のまとめに入る頃には、議場は「し~ん」として、ざわめきのない「静寂」に包まれていた。もちろん「ヤジ」る議員もいない。それはあたかも、冷静に、声音(こわね)静かに、優しく説得されて、議場の全員の心が和らいでいったかのようだった。議員にとっても、市長を始めとする理事者たちも大いに学ぶべきことであろう。
 居眠りをしているのかなあと思って、目を凝らして見たが、そうではない。議場の「人たち」が聞いているのである。「傾聴」しているといってもいいだろう。
 少なくとも、彼らは「心のイアフォーン」や「心のヘッドフォーン」で聞いているのだった。「異質」なものには敏感に反応して「耳を塞ぐ」。そして、頑なに「自説」やら「支持する者の言い分」を主張する。B議員が述べ始めたころの雰囲気はまさにそうだった。
 しかし、今は違うのである。彼ら特有の「異質」に反応する「センサー」が、自動的に切れたのではないのか。いやそうではなく、知らないうちに「自分」で切ったのであろう。「心ある言動」は他人の「心」を打つものなのだ。
 現に、私の「横と前にいる傍聴人」からも私語は一欠片(ひとかけら)も聞かれなかった。

 次に、B議員が最後に述べた部分を出来るだけ、再現して掲載したい。
…『私は、今回、公園有料化を考えるにあたり、活動目的も、構成メンバーも違う4つの団体、グループの人たちと意見交換をしてきた。様々な思い出や意見があった。公園の維持費についても、維持管理の方法の現状が果たして妥当であるのかといったことへの疑問の声もあった。財政状況を考えても、徴収方法の再考や入場料以外に増収を図る方法などで、市民は、少なくとも祭り期間以外は無料にすることが出来るのではないかといったアイディアを持った人もいた。
 財政難だからといって、すぐ「市民に負担を求める」のではなく、いろいろなアイディアを出し合って、財政が厳しい折ながらも、できるだけ「市民の希望をかなえるべく」知恵を絞り汗をながしていただきたい。
 財政難だということを、十分に考慮に入れた上で、なお、本改正案は、市民の公園に対する様々な思いが反映されていない、時期尚早なものである。抜本的な見直しということであれば、一旦白紙に戻した上で「全市民的な意見の集約を行った上」で、入場料以外の収益方法や経費の徹底的節減はもとより、弘前公園が市民にとってどんな存在なのかといったことも含めて、再度検討されることを要望して、反対討論とする。』

 次に、賛成の意見をある議員が述べた。私には言っていることの内容も意味もすべて分かった。しかし、その議員の「市民としての心」は理解出来なかった。それは、弘前市の主張する「有料化見直し」論にそったもので、話される言葉も、それから一歩も出るものではなく、「内容や意味」と同じであったからだ。

 採決に入った。簡単だ。議場が静まりかえったのに…議長の「起立多数で本改正案は認められました」という声が響いた。
 傍聴席からは「すべての議員」は見えない。約三分の一にあたる、少なくとも後ろの席にいる議員は見えない。見える範囲で確認したら、個人的には「有料化反対」だと言っていた「C議員」も「D議員」も「E議員」も採決の時には「起立」していた。
 正直、「ウソだろう?」と思った。そして、会派を越えて一個人の「市民」として本会議に臨んでほしいと強く念じた。
「会派」というものは「個人」の集合体である。市民は個人であり、それぞれ個性を持っている。その「個性」や「独創性」が「会派という組織や法人」に吸収されて「別な顔貌」を持つ時、そこでは「市民性や個性・独創性」が薄められてしまうのではないか。
 ある議員の言う『私個人としては「有料化反対」なのだが「私が所属する会派の意向が賛成」なので「起立」賛成したとか、または「賛成せざるを得ない」のだ』という論理は、単純に考えても「矛盾」ではないか。
「有料化反対」が否決されたことよりも、最後の最後に、私はこの疑問で重苦しい気持ちになった。
 だが、いいのだ。B議員のような議員がいるかぎり「弘前市議会」も捨てたものではないし、B議員のように「市民個人」をベースに活動出来る議員がもっと増えるように、これからも、私自身も努力しなければいけないと強く思ったのである。
                         (この稿は今日で終わり。)