(今日の写真はバラ科キイチゴ属の蔓性小低木の「ヒメゴヨウイチゴ(姫五葉苺)」である。
私はかつてこの花に「 若き霊の昇華、ブナ林床に咲く白銀の残照」というキャプションを付けたことがある。
それは、この花に昭和39年1月に秋田県立大館鳳鳴高校の山岳部生徒4名が遭難し命を落としたことを慰霊する碑のある樹齢数百年のブナの原生林下で出会ったからである。
大木に抱かれ、永遠の命のように存在していた慰霊碑。そして、それは暖かみさえ感じさせていた。ブナの社に鎮座し、柔らかな苔に覆われ緑をまとい、いつもしっとりと潤いに満ちあふれていた慰霊碑であった。
しかし、今はその面影はない。スキー場のゲレンデとなっているからだ。
「ヒメゴヨウイチゴ」は中部地方以北の亜高山帯の樹林下に生育している。葉は長い柄をもち、小葉は5枚。白い花弁はへら形で、あまり開かない。花弁も萼片も7個もある。果実は赤熟する。「ゴヨウイチゴ」の枝や萼には刺があり萼片は5個だ。だが、ヒメゴヨウイチゴには棘が無い。
名前の由来は小さく繊細な感じを与えるゴヨウイチゴという意味であり、「ゴヨウ」は「五葉」で、葉が5小葉からなることによる。別名を「トゲナシゴヨウイチゴ」ともいう。
足許にきらりと光る白銀の残照があった。それは、ブナ林床に咲く若き霊たちの昇華。日本海側の豪雪地、ブナ林内に咲くヒメゴヨウイチゴだった。この花を亡くなった日本山岳会北海道支部の4名の方々に捧げたい。)
(承前)
この「遭難」から想起される様々な問題点を新聞情報(毎日新聞電子版)に従って、私の雪山経験なども参考に検証してみたい。
冒頭でこの「雪崩遭難」のニュースに接して「愕然とした」と書いたが、その意味は…
短絡的だが、どうして、今日のような「雪質や積もり方」の時に、雪崩の頻発する、しかも樹木のない場所を登っているのだということであった。
私には、この「遭難」には「位置、地形、気象」などの違いを越えた共通する「人為的な要因」を感じてならないのだ。
■■ 十勝岳連峰・上ホロカメットク山「雪崩遭難」に関する検証 ■■
■検証1 メンバーの力量とキャリア・遭難した人たちのキャリア ■
助田さんと鈴木さんは日本山岳会に入って9年目。鶴岡さんは04年の入会、吉沢さんは今年4月にメンバーになったばかりだった。
言ってみれば、吉沢さんは、この組織における「上ホロカメットク山での雪上訓練」にあっては、初参加の「初心者」と位置づけられる。
新聞情報によれば「4人はいずれも登山歴30~40年のベテラン」「会員メンバーは登山歴20~30年のベテラン」「経験を積んだベテランが多いが、60~70歳で冬山に挑戦する人も珍しくない」という。
果たして、今回の「雪上訓練」に参加したメンバーは、本当に冬山登山に耐えうる「経験と力量」を備えていたのだろうか。
新聞では「4人はいずれも登山歴30~40年のベテラン」としているが、ただ「長い年月登山をしている」だけでベテランとすることに私は違和感を持つ。
本物の「ベテラン」とは長い「時間的な経験」と「体験的な力量を備え、その場その場で臨機応変に対処出来ること」を兼ね備えた人を指すべき言葉だ。夏場に有名な山を列をなして何十年登ろうが、本物の「ベテラン」とは呼ぶべきではない。冬山に登るには「冬山」で訓練を積んで力量をつけるしかないのである。
■検証2 非常に雪崩が発生しやすい状況の中で訓練は行われた ■
鈴木さんは、7、8年前に始まった上ホロカメットク山での雪上訓練も毎年、参加していた。「3日間にわたって降雪があり、非常に雪崩が発生しやすい状況になっていた」し、「現場周辺には雪が崩れるのを防ぐ木が生えていない」状態であった。そのような中で「雪上訓練」の「歩行」が行われていた。
雪崩の発生時、鈴木さんはパーティーの先頭に立ち、スキーで通る道をつくる役目をしていた。このパーティは全員スキー登山をしていたのである。鈴木さんは、ルートファインデイングをしながら、「踏み跡」を造るトップを務めていたのだ。
前の日にも雪崩が発生した場所付近であり、さらに、「発生の10分前に、昨日に起きたとみられる雪崩の堆積(たいせき)物を見つけた」という、そのデブリが残されている場所で、スキーによる「踏み跡」をつけて、後続する者たちの「通路:ルート」造りをしていたのである。だが、一般的にはそのような場所に入らないことが「鉄則」であろう。
「デブリ」の上部には崩落せずに残っている「雪面」や「雪塊」があるものだ。雪面に「亀裂」が入り、その下部から崩落が始まり「雪崩」となり、「亀裂」の上部は「残置」していることが多い。だが、このような事象に注意したり、配慮したという形跡は全くない。
■検証3 「毎年の雪質等の違い」などの関わる調査記録をとっていたか ■
「トップ」で「スキーで通る道」を造っていた鈴木さんは「7、8年前に始まった上ホロカメットク山での雪上訓練も毎年参加していた」そうだが、そうだとすれば今回の「訓練現場」の異常にどうして気がつかなかったのだろう。
雪山は置物のように悠久不変で存在するものではない。昨日のように今日があるわけではないのだ。7、8年間いつも同じ「積雪」「雪質」であるわけがない。毎年違うのであり、日々違うのである。この山岳会には過去8年間のこの場所での「違い」についての調査記録があるのだろうか。
上ホロカメットク山は初冬から雪崩が頻発する地域として知られている場所である。そこに毎年同じ時期に入山していながら「毎年の雪質等の違い」などに関わる調査記録がなかったとすれば、それは手抜きであり、冬山の危険を無視した行為であるとしか言いようがない。
このような綿密さに欠ける行為は、「毎年来ているのだから、大丈夫」という「安心」の上に成り立つことが多いものだ。毎年といってもそれは1年に一度のことであるが、自然は、特に雪の状態は分刻みで変化する。「毎年来ている」ということは安心や安全には本来結びつかない。
■検証4 「危険度の高い場所」でのルート造りは「トップ」任せでいいか ■
一方、「危険度が高い」と判断される場所では「トップ」を務めるのは普通はリーダーであるべきではないだろうか。そのような場所で踏み固められていない場所に入り、「危険か安全」を判断するのはリーダーの役割である。
「発生の10分前に、昨日に起きたとみられる雪崩の堆積(たいせき)物を見つけて」おきながら、この基本的なルール(約束事)がなされていなかったことも問題にされるべきである。
また、リーダーは「(登山ルートが)尾根の末端だったため大丈夫だと油断してしまった。反省している」と語っているが、この「尾根の末端だった」から大丈夫と考えること自体にも誤りがある。リーダーが語るように「雪があれば雪崩はどこでも起きるもの」なのであり、その「判断ミス」を認めている。
(この稿は明日に続く。)
私はかつてこの花に「 若き霊の昇華、ブナ林床に咲く白銀の残照」というキャプションを付けたことがある。
それは、この花に昭和39年1月に秋田県立大館鳳鳴高校の山岳部生徒4名が遭難し命を落としたことを慰霊する碑のある樹齢数百年のブナの原生林下で出会ったからである。
大木に抱かれ、永遠の命のように存在していた慰霊碑。そして、それは暖かみさえ感じさせていた。ブナの社に鎮座し、柔らかな苔に覆われ緑をまとい、いつもしっとりと潤いに満ちあふれていた慰霊碑であった。
しかし、今はその面影はない。スキー場のゲレンデとなっているからだ。
「ヒメゴヨウイチゴ」は中部地方以北の亜高山帯の樹林下に生育している。葉は長い柄をもち、小葉は5枚。白い花弁はへら形で、あまり開かない。花弁も萼片も7個もある。果実は赤熟する。「ゴヨウイチゴ」の枝や萼には刺があり萼片は5個だ。だが、ヒメゴヨウイチゴには棘が無い。
名前の由来は小さく繊細な感じを与えるゴヨウイチゴという意味であり、「ゴヨウ」は「五葉」で、葉が5小葉からなることによる。別名を「トゲナシゴヨウイチゴ」ともいう。
足許にきらりと光る白銀の残照があった。それは、ブナ林床に咲く若き霊たちの昇華。日本海側の豪雪地、ブナ林内に咲くヒメゴヨウイチゴだった。この花を亡くなった日本山岳会北海道支部の4名の方々に捧げたい。)
(承前)
この「遭難」から想起される様々な問題点を新聞情報(毎日新聞電子版)に従って、私の雪山経験なども参考に検証してみたい。
冒頭でこの「雪崩遭難」のニュースに接して「愕然とした」と書いたが、その意味は…
短絡的だが、どうして、今日のような「雪質や積もり方」の時に、雪崩の頻発する、しかも樹木のない場所を登っているのだということであった。
私には、この「遭難」には「位置、地形、気象」などの違いを越えた共通する「人為的な要因」を感じてならないのだ。
■■ 十勝岳連峰・上ホロカメットク山「雪崩遭難」に関する検証 ■■
■検証1 メンバーの力量とキャリア・遭難した人たちのキャリア ■
助田さんと鈴木さんは日本山岳会に入って9年目。鶴岡さんは04年の入会、吉沢さんは今年4月にメンバーになったばかりだった。
言ってみれば、吉沢さんは、この組織における「上ホロカメットク山での雪上訓練」にあっては、初参加の「初心者」と位置づけられる。
新聞情報によれば「4人はいずれも登山歴30~40年のベテラン」「会員メンバーは登山歴20~30年のベテラン」「経験を積んだベテランが多いが、60~70歳で冬山に挑戦する人も珍しくない」という。
果たして、今回の「雪上訓練」に参加したメンバーは、本当に冬山登山に耐えうる「経験と力量」を備えていたのだろうか。
新聞では「4人はいずれも登山歴30~40年のベテラン」としているが、ただ「長い年月登山をしている」だけでベテランとすることに私は違和感を持つ。
本物の「ベテラン」とは長い「時間的な経験」と「体験的な力量を備え、その場その場で臨機応変に対処出来ること」を兼ね備えた人を指すべき言葉だ。夏場に有名な山を列をなして何十年登ろうが、本物の「ベテラン」とは呼ぶべきではない。冬山に登るには「冬山」で訓練を積んで力量をつけるしかないのである。
■検証2 非常に雪崩が発生しやすい状況の中で訓練は行われた ■
鈴木さんは、7、8年前に始まった上ホロカメットク山での雪上訓練も毎年、参加していた。「3日間にわたって降雪があり、非常に雪崩が発生しやすい状況になっていた」し、「現場周辺には雪が崩れるのを防ぐ木が生えていない」状態であった。そのような中で「雪上訓練」の「歩行」が行われていた。
雪崩の発生時、鈴木さんはパーティーの先頭に立ち、スキーで通る道をつくる役目をしていた。このパーティは全員スキー登山をしていたのである。鈴木さんは、ルートファインデイングをしながら、「踏み跡」を造るトップを務めていたのだ。
前の日にも雪崩が発生した場所付近であり、さらに、「発生の10分前に、昨日に起きたとみられる雪崩の堆積(たいせき)物を見つけた」という、そのデブリが残されている場所で、スキーによる「踏み跡」をつけて、後続する者たちの「通路:ルート」造りをしていたのである。だが、一般的にはそのような場所に入らないことが「鉄則」であろう。
「デブリ」の上部には崩落せずに残っている「雪面」や「雪塊」があるものだ。雪面に「亀裂」が入り、その下部から崩落が始まり「雪崩」となり、「亀裂」の上部は「残置」していることが多い。だが、このような事象に注意したり、配慮したという形跡は全くない。
■検証3 「毎年の雪質等の違い」などの関わる調査記録をとっていたか ■
「トップ」で「スキーで通る道」を造っていた鈴木さんは「7、8年前に始まった上ホロカメットク山での雪上訓練も毎年参加していた」そうだが、そうだとすれば今回の「訓練現場」の異常にどうして気がつかなかったのだろう。
雪山は置物のように悠久不変で存在するものではない。昨日のように今日があるわけではないのだ。7、8年間いつも同じ「積雪」「雪質」であるわけがない。毎年違うのであり、日々違うのである。この山岳会には過去8年間のこの場所での「違い」についての調査記録があるのだろうか。
上ホロカメットク山は初冬から雪崩が頻発する地域として知られている場所である。そこに毎年同じ時期に入山していながら「毎年の雪質等の違い」などに関わる調査記録がなかったとすれば、それは手抜きであり、冬山の危険を無視した行為であるとしか言いようがない。
このような綿密さに欠ける行為は、「毎年来ているのだから、大丈夫」という「安心」の上に成り立つことが多いものだ。毎年といってもそれは1年に一度のことであるが、自然は、特に雪の状態は分刻みで変化する。「毎年来ている」ということは安心や安全には本来結びつかない。
■検証4 「危険度の高い場所」でのルート造りは「トップ」任せでいいか ■
一方、「危険度が高い」と判断される場所では「トップ」を務めるのは普通はリーダーであるべきではないだろうか。そのような場所で踏み固められていない場所に入り、「危険か安全」を判断するのはリーダーの役割である。
「発生の10分前に、昨日に起きたとみられる雪崩の堆積(たいせき)物を見つけて」おきながら、この基本的なルール(約束事)がなされていなかったことも問題にされるべきである。
また、リーダーは「(登山ルートが)尾根の末端だったため大丈夫だと油断してしまった。反省している」と語っているが、この「尾根の末端だった」から大丈夫と考えること自体にも誤りがある。リーダーが語るように「雪があれば雪崩はどこでも起きるもの」なのであり、その「判断ミス」を認めている。
(この稿は明日に続く。)