岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

弘前市12月議会の最終日・傍聴席で…B議員はまるで粗野な父を諭す優しい息子のようだった(その2)

2007-12-24 06:36:28 | Weblog
(今日の写真は赤倉登山道「赤倉御殿」付近の風衝地から「弥生」からの「廃道」が続いている尾根を写したものだ。写真中央下部に見える緑の群落が「コメツガ」である。その右側を「廃道」は通っている。そして、その上部で赤倉登山道と合流するのだ。写真下部の左側に大きく写っている緑も「コメツガ」であり、この稜線に沿って「赤倉登山道」がある。この写真を撮したのは秋10月だ。

 …承前…
 登山道を造る際に、一番大事なことはこの「分かりやすさ」である。先人はそれをしっかり守っていた。「岩場」を登り切ると赤倉尾根に出る。赤倉登山道は西暦700年代に、すでに造営されていた。
 登山道のある尾根に出たら、そこにある道を利用することは「理に適って」いる。しかも、苦しい「直登」でなく、斜めに横切る感じで登っていくと「赤倉登山道」に出るのだから、なおさらである。合理的ですらある。
 私は、数度しか、登高と下山をしたことはないが、この登山道とこの稜線登りが好きだった。だから、今でも「残雪期」には登り降りをしている。
 現在、誰でも登ることの出来る登山道は、岩木山に5本しかない。しかし、私の調査だと「廃道化」したものを入れると12本もある。
 この5本の中で一番新しいのが「弥生登山道」である。戦前に入植した人たちが、自分たちの「登山道」として開鑿したのだ。
 だからであろうか、津軽の登山道の「里程」としては使われない「合目」という概念が標識に使われている。この「何合目」という表記は「津軽岩木スカイライン」という「超新しい自動車道登山道」にも「岩木山の8合目まで上る有料自動車道で…」とか「駐車場から9合目の鳥の海(鳥海山)までリフトがあり」という形で使われている。だが不思議なことに1合目から7合目を示す標識や呼称される場所はない。一応つながっていると考えられる「岳登山道」にもない。どこからか借りてきたとしか思えない、この唐突感は何なのだろう。富士山などは「合目」という「里程」を使っているが、それを「真似」たのだろうか。何でも「真似」をすればいいというものではないだろう。津軽の「富士」なのだから主体性は、「津軽」にある。津軽地方で「登山里程」に「合目」を使っているところはないだろう。もちろん、それ以外の、岩木山の昔からの登山道では「…合目」という名称はない。すべて、「地名」表記である。私はだからとても「違和感」を持つのだが、関係者には違和感はないらしい。
 昭和40(1965)年8月25日に「津軽岩木スカイライン」が開通して以来、他の12の登山道はどんどん荒廃し、廃道となった。そして、今や5つの登山道だけが確保されている状態である。これは登山客の95%以上が「津軽岩木スカイライン」に集中するという「一極化」のなせることなのである。「津軽岩木スカイライン」が出来たことによって津軽の多くの人々は、守り育ててきた、自分たちの「登山道」を失ったのである。

■■弘前市12月議会の最終日・傍聴席で…B議員はまるで粗野な父を諭す優しい息子のようだった(その2)■■
(承前)
 昨日『 』内で(…討論についても、敢えて本会議で行うものである。それは「市民の声」を、是非、市長はじめ理事者全員に届けたいと願ったからに他ならない。)という部分があったが、少し端折り過ぎたので、以下のように付け加える。
(この「弘前公園有料化反対」の討論についても、「私は所属する経済文教委員会において、若干したが」、敢えて本会議で行うものである。)
 ここにはB議員の「多くの市民」の声を出来るだけ多くの市長を始めとする理事者、それに市議会議員に伝えて、聞いて貰いたいという心情が溢れている。
 各種委員会で討論しても、そこはあくまでもその「委員」たちだけが集まっているところであり、参加者は少ない。「各種委員会」での決定は、それを担当する係や理事者にしか通知されない。つまり、すべてにおいて「狭い」範囲での討論であり、そのことに対する「市民の声」も少数の者にしか届かない。
 「国会が形骸化している。それは本会議が単なる採決の場であり、討論・議論の場となっていないからである。」と言われて久しい。「各種委員会」が数を頼みに結論を急ぎ、「本会議」がまた数に頼んで採決する。民主主義の根幹は「徹底した議論と討論」である。議論や討論のない国会、形骸化とはそれを言う。
 B議員はひょっとしたそのことを思ったのかも知れない。そして、市長、理事者、市議が一同に会する「本会議」で「反対討論」をしたのである。
 これは、1人でも多くの市民の声を、より多くの弘前市関係者に話したい、それが、一市議会議員としての「務め」であると考えたからに他ならないのだ。「市民に対する約束を守りたい」という、立候補の時の決意の現れでもあるだろう。まさに、「勇気」ある行動であったのだ。

 さらに、B議員は続けた…。
『市民の立場から、この弘前公園有料化見直しに関する条例を考えると、市長が市長選挙で掲げて戦った、2つの大きな「選挙公約」に目を向けないわけにはいかない。
 市長は、「弘前公園有料化の抜本的見直し」と「市民参加型の市政運営」という項目を、公約の中の柱の1つとしてあげていた。その時の選挙相手は「弘前公園の有料制の現在の形を作った前市長だったので、「抜本的見直し」という言葉を聞いて、「無料に戻すことも含めて、ゼロから見直すんだ」と思った市民は決して少なくない。
 特に、公園をこよなく愛し、そこを散策することを生活の一部として暮らしてきた人や有料化に疑問を抱いてきた人の中には、その公約で、現市長に投票した人も少なからずいただろう。
 ところが、今回実際に行われた見直し作業は、そうした人々の期待を裏切るものだった。私は、「今回示された見直し案」について言っているのではない。その過程の話をしている。
 今年はじめ行われた、有料化見直しついての市民アンケートでは、最初から、無料が望ましいという選択肢はなかった。有料を前提に、料金、期間、範囲等を尋ねる設問であった。
 先の経済文教委員会で質問したら、「無料という選択肢はなかったが、無料を望む人は、その他という選択肢を選んでそこに意見を書いてきた…」という返答が返ってきた。
 冗談ではない。あらかじめ印刷された選択肢の中から選んでただ〇をつけるのと、その他、という項目に〇をつけた上でさらに(   )の中に「文字を自分で書き込むこと」では、回答する側の心理としては極端な負担になる。これが分からないことはないだろう。 今回の見直しは、ゼロからの抜本的な見直しではなく、有料を崩さない範囲での小手先の見直しであることが明らかになったのだ。
 現市長の「選挙公約」に期待し、投票した人の中からも、「だまされた」とか「公約違反だ」という声も一人二人ではないということを、はっきりと申し述べておかなければならない。
 これは、今の、国政における「消えた年金」問題と同じで、誰も「無料にする」と言ったわけではないから公約違反ではないとか、選挙だから「抜本的」と多少誇張したんだとかといえなくもないが、そのような意見が市民の中にあることは、是非わかっていただきたい。』
(『 』内の表記は私が勝手に「である調」としたが、実際は「です・ます調」で丁寧な述べ方をしていた。)
ここにも、B議員の市民側に立った姿勢が如実に表れていると思うのだ。
因みに、「消えた年金」問題で、あのような無責任でいい加減な「弁解的」発言をした結果、自民党は大幅に支持率を下げて30%台に下落してしまった。政治家にとってB議員のような「真摯(しんし)」な態度は「必要絶対条件」だろう。
 市民の目はシビアだし、期待感が強いほど「反発」が多く、強くなることを「噛みしめる」べきだろう。(明日に続く。)