岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「ヒグラシ」の死骸の秘密/B議員から届いた驚きの事実/A議員のブログから

2007-12-31 06:15:15 | Weblog
(2007年も今日で終わりだ。今日の写真は昨日に引き続いて「雪上で発見されたセミ(ヒグラシ)の死骸」である。)

 ■■「ヒグラシ」の死骸の秘密 ■■

 昨日も書いたが「雪上にまとまってセミの死骸」を見たことは初めての体験だった。何かの異変異常か、今季の極端に雪の少ないことに関わりがあるのだろうか。
 私は推理する。結論は「地球温暖化」である。「ヒグラシ」の出現期は7月から10月と長いのである。詳しくは解らないが「セミ」類の羽化は「気温」と「日照時間」に深く関係するらしい。「日照時間」の長短は「温暖化」と直接は関係がないだろう。だから、この際、これを割愛する。
 温暖化は「気温」を上げるだけではない。モンスーン気候では「季節異常」をも引き起こす。季節の移ろいを早めたり、遅らせたりする。
 これは「季節の推移」に合わせた生活をしている昆虫や獣、両生類にとっては大変い厄介なことだ。人間は「文明」でその異常を乗り越える。だが、その文明が温暖化の元凶なのである。
 例年ならば「冬」にならなければいけない時期なのに、いつまでも「秋」である。「秋になる時期」なのに「気温」はいまだ「夏」なのである。これを「ヒグラシ」の羽化に当てはめてみようではないか。
 前述したが「ヒグラシ」は10月中も羽化をする。今年の10月は「温(ぬく)」かった。まだ、夏を引きずっていた。11月に入っても上旬ごろはまだ、「温(ぬく)」かった。「ヒグラシ」にしてみれば、通常の遅い出現期である「暖かい10月」が、11月に入っても続いたのである。そして、その11月の上旬に、地下での長い長い生活にピリオドを打って、土を穿って地上に出て、ミズナラの幹を伝い、枝葉につかまり、固い殻を破って成虫へと羽化をしたのだ。
 ところが、今季は11月の中旬から「早い降雪」を見せた。ところが、その後は殆ど降雪がない。羽化して子孫を残すために「命」の限りを尽くして行動していた「ヒグラシ」は冷たい雪を浴びて「凍死」した。
 昆虫類は変温動物なので「気温」から自分たちの体温を摂取している。大体、体温が18℃より下がると「動け」なくなる。「動けなくなり」幹に張り付いたまま、「凍死」したのである。例年ならば降雪のある前に、地上に落ちて寿命を閉じて、他の生きものの餌になってしまい、さらに雪に覆われて私たちの目には触れないのだ。
 この「ヒグラシ」たちは「地球温暖化」の被害者である。その被害者が私たちになることは遠い未来のことではない。

    ■■ B議員から届いた驚きの事実 ■■ 

 私のブログを読んだ弘前市議会B議員から届いた「メール」から解った事実を紹介しよう。その事実を報告する前に、B議員の真摯な人柄や姿勢に触れていただきたいので、「メール」のその部分をそのまま、引用したい。
『ブログ、拝読させていただきました。あまりに、身に余るもったいないお言葉に、ただただ恐縮するばかりです。
 自分は、むしろ、弱くてだらしのない人間だということをよく知ってますので、だからこそ、自分で約束したこと、「損得ではなく善悪で考え行動する」「市民の目線で考える」といったことを、必死になって守っていきたいと、肝に銘じている次第です。
 これからも、よろしくお願いします。もし、私が、当初の約束を違えそうになったら、あるいは横柄・傲慢なそぶりや礼を失するような振る舞いをしていたら、どうぞ遠慮なくご叱責ください。』
他の議員諸君にも一読して貰いたい気分である。

     ●● 驚きの事実 ●●

 その1: 「私の横と前にいた3人の傍(蝶)人」の1人は、元弘前市の何とか部長だそうだ。この人物は、あの前市長が推し進めた「弥生地区自然体験型拠点施設」建設を担当した実務責任者の一人なのだそうだ。

 傍聴席にいた「御仁」が元何とか部長とは、お里が知れるというものだ。「傍聴」の意味を「傍喋」と考えているのである。「何とか部長」にしてあの程度に「非礼」極まりない「傍蝶」をするのだから、理事者側やそれらに追随する輩の「公正」さや「知性・教養」「人格」はあの「レベル」なのだろうか。情けない話しだ。
 そんな中で、A議員やB議員たちは、非常に辛く苦しいだろうなあと、あらためて思った。特にB議員が選んだ道は「苦しい道」だろう。
 現在の社会に「公正と正義」の大道はない。一皮剥くとその下に見えることは「不公正、不正義」だけである。今年の漢字「偽」がその事実を如実に示している。その中で、「公正と正義」を掲げることはつらく苦しいことだ。
 今回の議会におけるA議員やB議員の発言や意見の論述などは、特に「弘前公園有料化見直し」に対する「論述」は私がブログで書いた視点に立つと、それは「弘前市議会史」に輝きを持って残るものだ断言出来る。

 
 その2: 「弘前公園有料化見直し」条例改正案に反対したのは7人である。この7人の中の4人は「赤丸4人組(付箋付の議員ということらしい。市議会で市長や理事者に市民の目線で、詰問的な態度で迫るので、特別視されているということだろう。)」と呼ばれ、揶揄されているという。

 反対した議員の名前が分かってほっとした。この7名は「想定内」だった。ほかにあと3名ほどが「個人的には反対」と言っていたものだ。残念である。
 だが、潜在的に「個人」としての反対は、他にもいるのだ。時間はかかるだろうが、「党派や会派」を越えて、「個人として意見が言えるような議会」にしていかねばならない。そうなれば、議会は「生き生き」してくるはずだ。傍聴していると、確かにその「生き生き」が、かすかではあるが感じられるのだ。7人が10人に、そして15人に、…18人になれば過半数を越える。
 未来は明るい。2007年の最終日に「未来の光明」を見ることが出来て私は嬉しい。
 そのために、私たち「市民」として、しなければいけないことは「特定の企業」「利益団体」「地域・地縁団体」などを「背負って」いる人たちを「議員」として選ばないということだろう。

 ■■ A議員のブログから ■■

 12月22日のブログ「弘前市12月議会の最終日・傍聴席で…」を読んだA議員が、自分の「ブログ」(議会を変える、弘前が変わる)で、そのことについての感想やら何やらについて詳細に書いていた。
 少なくとも民主的とは言い難い「慣習」に縛られた、いや「縛られた」ことを利用して、または「慣習」にあぐらをかいて、自分たちの「保身」を図ろうとするA、B、C、~G議員以外の「議員」の姿が克明に報告されていた。一読する価値は十分あるので、私のブログを訪れる方々は、是非読んでいただきたい。
 旧態依然とした議員や議会運営、「なあなあ、まあまあ」主義で物事の本質を素通りしていくような、言い換えれば市側の提案をそのまま、咀嚼することもなく吟味もなく運ぼうとする者たちに向かって、敢然と戦いを臨んでいるのである。
 その姿は果敢であり、清々しいものだ。彼は議会に「真の議論」が出来る環境を創り出そうと必死なのである。
 市民のみなさん、「弘前市議会が開かれている時」は是非「傍聴」に出かけようではないか。A議員やB議員の発言や態度に接すると、私たちも「思考」の「リフレッシュ」が出来ること、間違いないと思う。

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(よいお年をお迎え下さい。)