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●元日進市議の友人の「思い出を語る会」に参加しました

 彼女が二期目だったでしょうか?くも膜下出血で議会中に倒れ、その入院がきっかけで更に血液の病気がみつかり、長い間病気とつきあい、今年の7月に他界した後藤尚子さんの「思い出を語る会」に行ってきました。

 彼女は、1995年に議員に挑戦しようとしましたが、まだ古い選挙が続いていて、諸条件が整わずかないませんでした。そして、立候補をあきらめ、自分と同じ思いの人がたくさんいるだろうと、「女性を議会にネットワーク!あいち・ぎふ・みえ」を立ち上げ、選挙の仕方や議員活動のしかたなどを伝える活動をはじめました。
 このネットワークの活動から多くの女性議員を議場に送り出すことになっていきました。

 私(吉川)は、自分が議員になるなんて考えもせず、どうやったら私たちの思いを伝えてくれる議員を送り出せるのかを学ぶことと、環境問題に取り組んでいたので、議員の人達に環境問題にも取り組んで欲しい。そんな思いでネットワークの一員となっていました。

■ 選挙がまちを変える!女性の無党派市民派議員を増やそう!
  議員の役割は、市民や市民団体と議会・行政との橋渡し。  

 彼女は、1999年議員選挙に挑戦したわけですが、思い出を語る会で、彼女が選挙に挑戦したときの15分間のテレビ番組が映し出されました。障がい者団体などに支えられた選挙風景でした。
 その中で語った言葉が「議員の役割は、市民や市民団体と議会・行政との橋渡しであり、コーディネーターです」という趣旨のこと。
 この言葉は、私に「今の活動のしかたは間違っていないよ」とメッセージを届けてくれたと感じました。

・ 最後まで障がい者のために、そして自分の時間も大切にして暮らしたんだ・・・・

 会場には、車いすのひとや視覚障害の方もたくさん集まっていました。
 日進市の行事に参加するたび思うことは、障害のある人もまちづくりに参加しているということ。こうした方々もみんなと同じように行事に参加し、意見を述べる場が保障されていること。
 尚子さんの功績だと思っています。

 そして日進市は、今では4名の市民派女性議員を含む8名の女性議員がいるまちとなっています。

 当日、壁に写真が貼られていました。一部紹介です。亡くなる数ヶ月前から、身辺整理を始め、私にも連絡が来ました。そして、彼女の意志を引き継ぎ今では「女性を議会に!ネットワーク」の副代表をさせて頂いています。普通の女性が議員になり、普通に生活の声が上げられるようになるよう微力ながら頑張って行こうと思っています。

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