若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

吉見百穴ーいまも息づく古代の香り

2010年08月29日 | ドライブ




8月22日(日)妻と二人で東松山市に近い比企郡吉見町にある「吉見の百穴(ひゃくあな)」に行って来ました。

電車だとJR高崎線の鴻巣駅から東松山行のバスで25分、または東武東上線の東松山駅から鴻巣免許センター行のバスで5分の所にあります。







観覧料300円を払って中に入ると右手に「資料館」があります。

この日も朝から猛烈な暑さでしたので、冷房の効いたこの館は百穴に関する知識を学ぶと言うよりも酷暑のオアシスとして貴重な場所でした。

ただし、ここは飲み食い禁止です。









「資料館」の隣に正岡子規の句碑がありました。

「かみの代は かくやありけん 冬籠(ふゆごもり)」とあります。

この句は明治24年11月、当地を訪れた正岡子規が詠んだものだそうです。








「埋蔵文化財センター」展示室には縄文時代の編み物、古墳時代の木製農具などの貴重な資料が展示されています。

明治の考古学者・坪井正五郎博士の小伝「吉見百穴を発掘せよ!」という、さかいひろこさんのイラスト展も開催されていました。








いよいよ百穴の見学です。







軍需工場跡入口です。

昭和19年~20年に、吉見百穴とその周辺の丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られたそうです。

現在公開されているのは、左右500メートルに亘り山腹に掘られた一部です。

この工事に携わったのは全国から集められた3000~3500人の朝鮮人労働者で、昼夜を通した突貫工事であったそうです。









今日はまだ時間が早く、入館者も少なかったので、この不気味な洞窟の中に入って行くのが私には少し怖かったのですが、妻は平気でドンドン中に入って行きます。(笑)








外の猛暑が嘘のような涼しさです。

でも・・・もう少し明るければ良いんですが・・・・(笑)









洞窟から出て、今度は北側通路の階段を昇って百穴の山頂まで行くことにしました。

急勾配の階段で心臓が破裂しそうな私を置いて妻はドンドンと昇って行きます。(笑)

山頂には売店があり甘酒や味噌おでんを販売しているとの情報でしたがあいにく今日は工事中でした。







山頂から中央通路を下ると階段の途中から沢山の玄室が見えます。








百穴という名称ですが、百(も)は「たくさん」という意味合いで、実際には現在発掘されたもので二百以上あるとのことです。








吉見百穴はヒカリゴケの自生地として国指定天然記念物となっています。

ヒカリゴケはコケ類の一種であり、緑色の光を放出しているように見えるところから、この名がついているそうです。

ヒカリゴケの生育には、一定の気温と湿度を保つ環境に恵まれることが必要で、吉見百穴の横穴墓内はこの条件に合っているのだそうです。







中を覗いてみましょう・・・・。

見にくいですが・・・・見えますか・・・?








入口正面には「百穴発掘の家」と書かれた売店があり、この店で食事をしたり土産物を買うと百穴の今昔をいろいろ丁寧に説明してくれるそうです。








吉見の百穴は今から約1300年前の古墳時代終末期の横穴墓石群であり、文献によると江戸時代の中ごろから「不思議な穴」として人々に興味をもたれていたようです。

明治20年当時、帝大(現東京大学)大学院生だった坪井正五郎博士が発掘調査を行い多数の遺物が出土しました。

当初、坪井氏により「百穴は先住民族の住居跡である。」と言われていましたが、その後調査資料が増加して、吉見百穴は古墳時代の横穴墓であることが分かりました。

大正12年には国指定史跡になったそうです。

仏教伝来・中央集権国家の誕生という日本の社会の大きな変換期に造られた横穴墓や、第二次世界大戦末期に朝鮮人の過酷な労働の犠牲のもとに造られた地下軍需工場など・・・いろいろと考えさせられる史跡でした。




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