2月14日(日)妻と二人でプリウスに乗って、さいたま市岩槻区まで行ってきました。
国道122号線沿いに東武野田線の踏切を渡り、すぐの信号を左折すると「愛宕神社」が見えてきました。
この境内では毎年7月に『岩槻・朝顔市』が開催されるそうです。
岩槻特産の朝顔は東京入谷の朝顔市にも出荷されています。
再び国道122号に戻り、「時乃鐘最中」という店で妻は大好物の最中を買い込みました。
その左隣奥に茅葺屋根で寄棟造りのとても趣のある寺が見えました。
「願生寺」という浄土宗のお寺です。
どこから見ても本当に姿の美しいお寺で、本堂手前左手にある一本の古い大きな櫻がこれまた春には見事に咲き誇るそうです。
東武野田線岩槻駅に向かう通りを左折すると、仙台の青葉城にある伊達正宗候のような銅像が見えてきました。
「芳林寺」という曹洞宗のお寺です。
銅像は太田道灌公騎馬像で平成19年に落成しました。
太田道灌は武略に秀でるとともに、岩槻城・江戸城・川越城を築くなど築城の才能も充分に発揮したようです。
さらに漢詩や和歌の道にも優れた文人武将であったそうです。
そのため古くよりその徳を慕う建築や土木の仕事に携わる人々の信仰を集め、また学問成就の願いにも霊験をあらわしたと伝えられています。
次に行ったのが、裏小路の一角にある「岩槻藩・遷喬館(せんきょうかん)」です。
寛政11年(1799)に、岩槻藩士の儒学者児玉南柯(こだまなんか)が創設した私塾であり、文化年間に藩校となりました。
建物は武家屋敷を利用したものであり、木造平屋建て、茅葺屋根の構造です。
現在では江戸時代に児玉南柯が創設した当時の姿に復元され、吹きさらしの玄関や漆喰の壁、生徒の入口を設けています。
江戸時代、全国には多くの藩校が開設されていましたが、現在も建物が残っているものは非常に少なく、埼玉県内では唯一残っているのがこの遷喬館だそうです。
遷喬館から歩いて約10分の渋江小路には「時の鐘」があります。
岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671)当時の岩槻城主阿部正春が設置しました。
以来、享保5年(1720)の改鋳を経て、現在に至るまで、美しい音色を響かせて、今も午前6時と午後6時には、市民に時を知らせています。
「時の鐘」から諏訪小路(昔の武家屋敷)を歩くと、いよいよ岩槻城址公園に到着です。
写真の建物は「岩槻城・城門(黒門)」と呼ばれています。
明治維新後、県庁の表門として使用するために移築され、戦後に返還されたので、城内での本来の位置は不明ですが、三の丸藩主居宅の長屋門であったといわれています。
岩槻城址公園は、約600本の桜が咲く県内有数の桜の名所です。
自然林に囲まれた起伏の多い公園で、岩槻城の土塁が今も現存しており、園内の菖蒲池には朱塗りの「八ツ橋」がかけられており、公園の彩りがなお一層引き立ちます。
岩槻城址公園で今日の散策を終了し岩槻駅近くの駐車場に引き返しました。
帰路、東武東上線の線路を越えたところに「久伊豆神社」の参道が見えました。
500メートルもあろうかという立派な参道で、本殿まで行きたかったのですが、歩き始めてすでに2時間以上経過しており、時刻も1時を過ぎて空腹を覚えていましたのでここは、またの機会に、ということで帰路に着きました。
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