9月14日(日)妻と二人で秩父方面へ「埼玉モダンたてもの」を見て歩き、小鹿野町からいよいよ秩父市内に到着です。
車を「ウニクス秩父」の駐車場に止め、ヤオコー上野町店で昼食の寿司を買って食べたあと、最初に「ちちぶ銘仙館」へ行きました。
「ちちぶ銘仙館」は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管、展示しており本館やノコギリ屋根の工場棟などは、国の登録有形文化財に指定されている昭和初期の特徴的な面影が漂う建物です。
「ちちぶ銘仙館」から国道140号を渡って秩父市役所で観光パンフをもらい、「お花畑駅」を越えて、「番場通り」を秩父神社方面へ歩いて行きます。
この立派な門構えと表札のハイカラな洋風建築が明治43年に建てられた「旧片山医院」です。
ピンクに塗られた下見板張りの外壁に、和瓦葺きの寄棟屋根が載っていますが、玄関ポーチを中心としたシンメシリーな外観は、歴史を感じさせてくれます。
看板建築の立ち並ぶ四つ角にやって来ると、たくさんの人たちが行列をなす店がありました。
「安田屋」という、テレビにも度々紹介されている有名な、お肉屋さんです。
大正五年創業で、国の登録有形文化財に指定されています。
秩父名物の味噌漬けは豚肉の他、牛肉・猪肉も取り扱っており、店頭では手作りメンチカツ、コロッケなどの揚物もあります。
これは、同じく四つ角に立つ「小池煙草店」です。
昭和初期に建てられた木造2階建てのハイカラな看板建築です。
窓の装飾も凝っており、ちょっと見えにくいですが右から書いた看板がレトロです。
これも登録有形文化財として国に指定されています。
その前に建つのが「カクテルバーsnob(旧大月旅館別館)」。
大正15年に建てられたアールデコ調の建物で、これも国の登録有形文化財です。
もうひとつ四つ角に立つモダンなお店が「パリー食堂」。
昭和2年建造の店舗は、一見3階建てに見えるように造られた看板建築で、実は木造2階建です。
今も建築当時の面影を残していることから、やはり国の登録有形文化財に指定されています。
「番場通り」を秩父神社方面に歩いて、次の四つ角を左折すると、見えてくるのが、昭和2年に建てられた「近藤歯科医院」です。
木造2階建ての医院棟(洋風)を核として、平屋建の住居棟(和風)が接し、全体はL字型の形態になっています。
通り側の外観は、ハーフティンバー風の真壁造で、壁をドイツ風に仕上げ、屋根は桟瓦葺となっています。
「番場通り」に戻り、更に歩くと明治36年開業の「旧岩田医院」です。
この建物も「旧片山医院」と同じく、和瓦葺きの寄棟屋根に、下見板張りの外壁です。
「番場通り」の一本隣りの「黒門通り」は、登録有形文化財になった「秩父銘仙出張所」や、昭和レトロな佇まいが今もなお残る歴史深い一角です。
「秩父銘仙出張所」は三軒あり、すべて木造二階建ての開放的な建物になります。
創業80年を越える「藤澤泰山堂印房」と「泰山堂cafe」は中で繋がっており、青田母娘さんが「泰山堂cafe」を営んでいます。
もう一軒は「そば処 入船」で、なかなか趣のある建物で、昼時には行列をなしています。
これは宮側町・秩父往還にある大正時代に建てられた「上石商店」です。
店頭に備え付けられたステンドグラスが素敵な、旧建材屋です。
商店両脇には「うだつ」、向かって右手の横壁は、いわゆる「なまこ壁」の模様になっています。
「上石商店」の隣が「旧松竹秩父国際劇場」です。
回り舞台・せり上がり・花道などを備えた本格的な芝居小屋として明治33年に建てられました。
昭和25年に東京浅草にあった国際劇場を模してファサードを改修。
しかし昭和58年に閉館、以降隣接する上石建材の倉庫として使われていました。
老朽化による取り壊しも計画されましたが、イタリアンレストランに利用されることになり改修されました。
以上で秩父エリアの「埼玉モダンたてもの見て歩き」を終わりとします。
時間の都合で「旧秩父橋」、「旧秩父駅舎」、「横瀬小学校」を見ることが出来ませんでしたがまたの機会に妻と一緒に愛車プリウスに乗って、訪ねてみようと思っています。