若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

巣鴨界隈ーその4-とげぬき地蔵

2009年04月22日 | 電車でおでかけ




4月18日(土)妻と二人で飛鳥山公園から旧古河庭園、六義園を散策した後、私の左足に少し痛みを感じたので、巣鴨駅前のデニーズで休憩を兼ねて昼食を取りました。

昼食後、足の具合もすっかり良くなったので、巣鴨地蔵通り商店街に入りました。









「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきました。

巣鴨地蔵通りは江戸時代、中山道の出発地点日本橋から出発して最初の休憩所が江戸六地蔵尊 眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、町並みが作られました。







ここの商店街は食料品・衣類・花屋・日常全て使用している雑貨類等々何でも売っています。 

しかも値段が安いのでお年寄りもためらうことなく買っていました。

観光客と商店街がまさに一体となっている雰囲気でした。












「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれるこのお寺、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいます。

慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。










境内には、”洗い観音”があり、タワシが白布に変わったが、病気や痛いところをこすると、効き目があると言われ、縁日には順番待ちの長い列が続きます。










何しろすごい人出で、今日もテレビ局の取材やら、北朝鮮拉致被害者の署名活動などが行われていました。









巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。

ここは中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所「飛鳥山」、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていました。

庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。









今日の「巣鴨界隈散策」はここまでだねと妻と話し合い、巣鴨庚申塚から都電荒川線の踏切を渡りJR板橋駅へと向かいました。









板橋駅前には新撰組の近藤勇と土方歳三の墓がありました。

ちょうど「滝野川・新撰組まつり」が行われていました。

板橋駅から埼京線に乗り、赤羽で高崎線に乗り換えて帰路に着きました。

今日も楽しい一日でした。

夕食のビールがとても美味かったです。




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巣鴨界隈ーその3-六義園

2009年04月21日 | 電車でおでかけ





4月18日(土)妻と二人で旧古河庭園を見終えた後、本郷通りを更に南へ歩きました。

JR駒込駅を過ぎるとすぐに和歌の庭・六義園が見えてきました。

ここは正門ではなく染井門です。








染井門から入ると、千里場という江戸時代の馬場跡を歩きます。

すぐそこに山手線が走っているとはとても思えない静寂さです。








六義園には紀州和歌の浦を写した池が庭園の中央に造られています。

回遊式築山泉水庭園の要諦をなすのが、中央の泉水に浮かぶこの「中の島」です。

名前を「妹山(いもやま)・背山(せやま)」、または「妹背山(いもせやま)」と呼びます。

古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼び、この「中の島」は男女の間柄を表現しています。

残念ながら中には一般観覧者は入ることはできません。








木立の中を歩いていくと、滝見の茶屋へと辿りつきます。

その周辺は、昼なお暗い樹林の中を渓流が走り、岩の間から落ちて水しぶきをあげています。

あずまやからは、滝や水分石(みずわけいし)などの景観や水音が楽しめます。







吹上茶屋は庭園がもっとも美しく見える場所の一つです。

甘いお菓子とホロ苦い抹茶の味が、またこの庭園にとても似合ってます。








藤代峠付近には沢山のツツジが植えてあり、峠に向かう階段にはツツジの素晴らしいトンネルがありました。








日本で一番高い築山(35m)の藤代峠から紀の川の眺めです。

藤代峠は紀州(和歌山)にある同名の峠から名付けられました。

私は和歌山の生まれなのですが(私のホームページ「お気に入りの街」を参照)、

和歌山の藤代峠は非常に見晴らしが良く西に淡路島、北に和歌の浦、紀三井寺が見えるのです。




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巣鴨界隈ーその2-旧古河庭園

2009年04月20日 | 電車でおでかけ





4月18日(土)妻と二人で王子の飛鳥山公園を見た後、本郷通りを南に下り、旧古河庭園を散策しました。








古河庭園は明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となったそうです。

北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。








洋風庭園はジョサイア・コンドル設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。

現在のバラ園には、プリンセスマサコ等の品種が植えられています。








洋風庭園の南側にはツツジ園があり今が盛りと咲いていました。







ツツジ園を更に下に降りると広大な日本庭園が広がっています。

日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛により作庭されたそうです。

日本庭園の中心は心字池です。








雪見灯籠が新緑に映えています。

このほか各所に「奥の院型灯籠」や「泰平型灯籠」などたくさんの灯籠がありました。









水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立てのひとつがこの枯滝だそうです。









茶室では、一服500円でお茶をたててもらうことが出来るそうです。








台地斜面上の大滝付近の植え込みが深山の趣を醸し出しており、庭園の構成に深みを与えています。

この大滝は庭園の設計者小川治兵衛がもっとも力をそそいだと言われています。










洋館はコンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工したそうです。

躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然スレート葺き、地上2階・地下1階となっています。

洋館建物内の見学は、往復葉書による事前の申込みが必要だそうです。

喉が渇いたので庭園内の売店でコーヒーを飲んだ後、古河庭園を出て、本郷通りを更に南に下り、「六義園」へ向かいました。



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巣鴨界隈ーその1-飛鳥山公園

2009年04月19日 | 電車でおでかけ




4月18日(土)妻も仕事が休みだったので二人で巣鴨界隈を散策しました。

最初に京浜東北線の王子駅で降りて飛鳥山公園へ行きました。







江戸時代から桜の名所で知られる王子の飛鳥山。

その山の下に戦後の闇市から続くレトロな飲み屋横丁が今も当時のままに残っています。

ここがその「さくら新道」です。








飛鳥山公園の一角は、渋沢栄一が1879年から亡くなる1931年まで、初めは別荘として、後には本邸として住まった邸の跡です。

渋沢邸とその付属施設の大半は太平洋戦争時の空襲で焼失してしまい、現在、青淵文庫と晩香廬のみが残っています。







山形亭(茶室)跡です。

西洋館の書斎でくつろぐ渋沢栄一が窓越しにぼんやりと見える山形亭を遠望する写真も残されているそうです。







青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。

1925(大正14)年の竣工で、栄一の書庫として、また接客の場としても使用されました。

渋沢家の家紋「違い柏」に因んで柏の葉をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。








晩香廬(ばんこうろ)は、渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室です。

1917(大正6)年の竣工で、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。







晩香廬は内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。








飛鳥山公園を出て本郷通りを歩き旧古河庭園に向かいました。

途中、「七社神社」という神社がありました。

社殿の左右にある八重桜「御衣黄」と「福禄寿」が見事に開花していました。




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春爛漫

2009年04月18日 | 我が庭






我が家の庭も今の季節が一番です。









アメリカハナミズキが今年も白い花をたくさん咲かせました。









ベニカナメモチの「赤」とドウダンツツジの「緑」、それに「ピンクや赤」のツツジが前庭を賑わしています。









銀マサキの新緑は本当に綺麗です。









お隣のキンモクセイの生垣も見事です。










ガーデニングが一番楽しい季節です。




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