若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

袋田の滝

2010年07月22日 | 旅行




7月17日(土)妻と二人で長男家族の住む福島県郡山市に出かけました。

自宅から郡山市までは通常、国道4号線沿いを行くルートがメジャーですが、それだけでは飽きるので、太平洋岸の国道6号線沿いを行くルートも経験しました。

そして今回は、その中間の国道118号線沿いを行くルートを選びました。

妻が「袋田の滝を見たい」と言い出したからです。

袋田の滝は、茨城県久慈郡大子町袋田にある滝で、位置は、久慈川支流の滝川上流にあります。

華厳滝、那智滝とともに日本三名瀑のひとつに挙げられ、日本の滝百選にも選定されています。

袋田の滝周辺には、たくさんの土産店があります。

公営の駐車場は遠いので、土産店の駐車場に駐車することになります。

駐車料金は500円です。







滝の全景を観賞するためには、「袋田の滝トンネル」(長さ276m、高さ3m、巾員4m)を通って観瀑台へ行く必要があります。

入場料は、大人300円です。






従来の観瀑台へは、袋田の滝トンネルを通り、徒歩約5分。

目の前一面に滝が見えます。

35度近い暑い日でしたが、そんな暑さも吹っ飛ぶような見事さです。







袋田の滝トンネルの途中に新設した2機のエレベーターで、上部に上がると新観瀑台です。

新観瀑台は2008年(平成20年)にオープンしたそうです。

3つのデッキからなり、従来の観瀑台よりも、第1デッキは約44メートル、第2デッキは約48メートル、第3デッキは約51メートル上にあるため、最上段を含めた滝の全景を観賞することが出来ます。







トンネル内には四度瀧不動尊が奉納されています。

この滝の別名「四度の滝」は、滝川が4段に岩肌を落ちることから名づけられたとされる説と、昔、この地を訪れた西行法師が「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と、この滝を絶賛したと伝えられていることから名づけられたとされる説があるそうです。







新観瀑台の右側には吊り橋が見えます。

トンネル内を戻って吊り橋に行ってみることにしました。







吊り橋から見た滝の景観です。

左側に新観瀑台が見えます。









吊り橋を渡ると上に上る階段があります。

これが袋田の滝自然探求路です。

階段は急で、すぐに息が切れてしまいそうですがそこから見た吊り橋の光景もなかなかのものです。






今回は盛夏の「袋田の滝」でしたが、西行法師の言うように、新芽吹く木々の緑と清らかな水音が織りなすハーモニーの春、色とりどりの紅葉が渓谷を飾る秋、そして凍結した滝の神秘的な美しさの冬にも訪れてみたい、そんな気持ちにさせられる見事な滝でした。




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日本橋界隈

2010年07月11日 | 電車でおでかけ




7月10日(土)妻の会社が休みであったので二人で東京日本橋界隈へ出かけました。

梅雨明けを思わせるような夏日でした。

東京駅八重洲中央口からのスタートとなります。

まず東京駅の大丸百貨店の威容に驚かされました。

百貨店業界が不振だとはとても思えないような見事な外観です。










ブリジストン美術館の手前を左折して中央通りを神田駅方面に歩くと、日本橋高島屋が見えてきました。

1831年(天保2年)、 初代の飯田新七が、京都烏丸松原で、古着・木綿商(屋号「たかしまや」)を創業。

1932年、現在の大阪店(難波)を竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店し、また、翌年1933年には、東京・日本橋に東京店を開店させ、知名度を飛躍的に高めたそうです。









高島屋のすぐ隣に老舗「山本山」があります。

初代山本嘉兵衛が京都から江戸日本橋に移り茶舗を創業し、煎茶の創製、玉露の発明など緑茶の普及に貢献してきました。








日本橋交差点の信号を渡り、細い路地を右に100mほど歩くと、小さな公園の脇に「名水白木屋の井戸」の記念碑を見つけました。

日本橋交差点角にあった東急百貨店(平成6年1月閉店)は、昭和33年まで白木屋という屋号でした。

白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店で、二代目彦太郎が正徳2年(1712年)に掘った井戸の水は、付近の住民のみならず、広く「白木名水」とうたわれました。

現在、白木名水は消失しましたが、東京都指定の旧跡として記念碑があります。









「名水白木屋の井戸」記念碑のすぐ隣に「たいめいけん」という老舗の食堂がありました。

外観は昔ながらの平凡な食堂という感じです。

創業は昭和6年(1931年)、初代の故・茂出木心護氏は名コックとして数々の名著を残したそうです。

故・伊丹十三さんが愛したという「タンポポオムライス」(1850円)が有名だそうです。









中央通りに戻り、いよいよ日本橋を渡ります。

日本橋の脇に日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)記念碑がありました。

記念碑は乙姫をかたどったもので、竜宮城の住人である海の魚がことごとく日本橋に集まったことをあらわしているそうです。

幕府の膳所に供するために漁業をしていた佃島の漁師たちはのち、日々上納する残りの鮮魚を舟板の上で並べて一般に販売するようになりました。

これが日本橋魚河岸の始まりだそうです。









日本橋は、慶長8年(1603年)に初めて架けられ、その翌年、いわゆる五街道の制が確立されてからは日本の中心、江戸繁栄の象徴となりました。

明治に入ってからは、この橋の中央が国内諸街道の起点と定められ、今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。

しかし、今では橋の上を高速道路が走り、日本を代表する橋としては残念な風景となっています。









日本橋を渡ると三越新館とそれに続く旧館・三越日本橋本店です。

現在の商号「三越」は、創業時の「越後屋」と三井家の「三井」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものです。

この年に「デパートメントストア宣言」を行い、日本での百貨店の歴史が始まったそうです。









三井グループの祖である三井高利が「越後屋」を構えて以来、日本橋は三井グループの本拠地となってきました。

1929年に竣工した三井本館は昭和初期を代表する事務所建築として高い歴史的価値を認められており、1998年には、大規模オフィスビルとして初の重要文化財にも指定されました。

外壁を囲むコリント式の列柱や、1階営業フロアのドリス式円柱群と吹き抜け大空間、繊細な装飾の施されたインテリアなど、デザイン・施工両面において日本の建築界に大きな影響を与えてきました。









三井本館の裏手に日本銀行本店(1896年完成)が見えました。

高い外壁に囲まれた荘重なたたずまい、緑色の屋根は優美さをうかがわせます。

赤レンガの東京駅と同じく、明治期の建築家・辰野金吾が設計したそうで、バロック様式とルネサンス様式を取り入れたネオバロック様式だそうです。









南分館には日本銀行金融研究所「貨幣博物館」があり入場料は無料です。

館内には古代から現在に至るまでの日本の貨幣、記念硬貨、世界の珍しい貨幣などが展示されています。

昭和57年に日本銀行創立100周年を記念して設置され、昭和60年11月に開館して年間7万人もの人が訪れているとのことです。

館内はカメラ撮影禁止です。








これで日本橋界隈の散策はとりあえず終わりです。

妻が「日本橋三井タワーにある千疋屋(せんびきや)でフルーツジャムを土産に買いたい」と言うので立ち寄りました。

お腹も空いたので、1階フルーツショップ奥にあるパーラー「Caffe di FESTA」に入り、定番のマンゴーカレーライスを注文しました。

2Fで食べれば余裕の1000円越えですが、ここではフルーツカクテル付き、アフター珈琲とセットで900円という格安メニューでマンゴーの甘味に引き立てられたカレーが満喫できます。

カレー好きの方、日本橋へ行ったときは是非おすすめですよ。





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