5月31日(火)角館の「田町武家屋敷ホテル」の美味しい朝食を食べたあと、私達は角館駅8時45分発の「こまち95号」に乗り込みました。
大曲駅で奥羽線に乗り換え、新庄駅で睦羽西線に乗り換え、新庄駅で買った駅弁を睦羽西線の中で食べながら、雄大な庄内平野のノンビリ二人旅です。
酒田駅には12時18分に到着し、駅で貸自転車(無料)を借りて、いよいよ酒田市内を散策です。
相生町1丁目の交差点を左折して県道42号線(酒田港線)を自転車で南へ一直線です。
一番町の交差点を右折して国道40号線に入るとすぐ右手に「本間家旧本邸」が見えてきました。
江戸時代に紅花や米を関西へ運ぶ西廻り航路が開かれ、酒田は北前船の拠点として「西の堺・東の酒田」と言われるほど栄えました。
その中でも『本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に』と俗謡に謡われるほどの豪商だったのが本間家です。
本間家三代光丘が幕府の巡見使宿舎として明和5年(1768)に新築し、庄内藩主酒井家に献上した、二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。
巡見使一行が江戸に戻ると屋敷を酒井氏から拝領し、商家造りの方で邸宅として昭和20年(1945)春まで使われました。(巡見使・・・・大名領の民情政情を視察するため派遣された役人)
酒田を代表する廻船問屋「鐙屋(あぶみや)」は、酒田三十六人衆として町政にも参画し、江戸時代の日本海海運の大きな役割を担っていました。
その繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永大蔵」(にっぽんえいたいぐら)にも記されるほどでした。
屋敷は石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りとなっており、内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、板の間が並んでいます。
新井田川に架かる山居橋を渡ると、酒田一番の観光スポット「山居(さんきょ)倉庫」に到着です。
米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。
白壁、土蔵づくり12棟が立ち並ぶ景観は、米どころ庄内のシンボルとして有名です。
夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。
山居倉庫の2棟を改良し、観光施設として平成16年にオープンした「酒田夢の倶楽(くら)」です。
ここで私達はコーヒータイム。
この中にあるファストフードでコーヒーを注文し、ケヤキ並木を眺めながら旅の疲れを癒しました。
本港通りを「日和山(ひよりやま)公園」に向かって再び自転車を走らせます。
その途中にある「みなとオアシス酒田」の「さかた海鮮市場」に立ち寄りました。
庄内浜で水揚げされたばかりの魚介が並ぶ鮮魚店や食事処があります。
江戸幕府は直轄領であった庄内から「庄内米」を大坂まで効率よく大量輸送できるように、河村瑞賢(ずいけん)に航路開拓を命じます。
河村瑞賢は、出羽酒田から日本海沿岸を回り瀬戸内海・紀州沖・遠州灘を経て江戸に入る航路、西廻り航路を開拓し、輸送に要する時間と費用を大幅に軽減することに成功しました。
写真は日和山公園に建つ河村瑞賢像です。
日和山公園は酒田港を望む砂丘の高台にあります。
日和山とは、かつて北前船の船頭たちが最上川と日本海を望む海路の日和を見た丘で現在は一帯が公園として整備され、酒田市民の憩いの場となっています。
写真は西廻り航路の開拓により、庄内米を酒田港から江戸に回漕するために活躍した「千石船」を実物の二分の一に縮尺して再現したもので、日本海沿岸をかたどった修景池に白い帆を張って浮かべられています。
松尾芭蕉像です。
芭蕉が弟子の河合曾良を伴い『おくのほそ道』で立ち寄った酒田では、「暑き日を海にいれたり最上川」と「あつみ山や吹浦かけて夕すヾみ」の、2つの俳句を残しています。
日和山公園でひと際、目を引くのが、白亜の木造六角洋式灯台(宮野浦灯台)です。
明治28年(1895)、最上川左岸河口宮野浦に竣工で、酒田出身の大工棟梁佐藤泰太郎が手がけたそうです。
日本最初の洋式灯台は、明治2年(1869)神奈川県観音崎灯台ですが、木造灯台として残っているのはこの灯台が最古のものと言われています。
北前船の往来によって全国とつながった酒田は、華やかで自由闊達な港町文化が形成されました。
茶道や俳諧、生花が教養の一つとして盛んになり、茶屋文化、料亭文化と共に風流を競いました。
「山王(さんのう)クラブ」は明治28年建築の酒田を代表する規模と格式をもった元料亭です。
北前船の寄港地として栄えた酒田の歴史や来酒した文人墨客(ぶんじんぼっか)を紹介しています。
日本三大つるし飾りの「傘福」や人形作家辻村寿三郎氏の作品が常設展示されています。
港町の風情漂う舞娘坂に建つのが「相馬樓」。
かや葺きの門と朱色の塀がひときわ目を引きます。
江戸時代から続いた酒田を代表する料亭「相馬屋」を改装して、平成12年に「相馬樓」としてオープンしました。
2階の大広間では、酒田舞娘の踊りと食事が楽しめます。
また、土蔵には雛人形や竹久夢二などの美術品が展示されています。
そして、この相馬楼を一躍有名にしたのが「相馬屋事件」の舞台になったことです。
酒田の豪商や県会議員など17名が相馬屋2階で宮中の御宴と称して大新年会を催し、不敬罪で逮捕されたというものです。
以上で私達は酒田市内散策を終え、酒田駅15時28分発の羽越線に乗り込み、今宵の宿泊先である山形県のあつみ温泉「萬国屋」へ向かいました。