若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

金沢・能登を旅する-その2

2013年05月08日 | 旅行



金沢・能登を旅する2日目の4月25日(木)は金沢駅からJR七尾線で七尾へ行き、レンタカーを借りて能登半島をドライブしました。

借りた車はもちろんプリウスです。

4月1日から完全無料化になった能登有料道路と国道249号線を走り「能登金剛」を満喫しました。

一帯の海岸は日本海の荒波によって浸食されたもので、名称は朝鮮半島有数の景勝地、金剛山に因み、それに匹敵する景観という意味合いで「能登金剛」と名づけられました。

見所としては巌門、碁盤島、関野鼻、ヤセの断崖、義経の舟隠しなどがあります。

最初に行ったのが「巌門(がんもん)」です。

「巌門」は波食によって形成された天然の洞門で幅6m、高さ15m、奥行き60mにも及ぶ大規模なもの。





景色が素晴らしいため、義経主従が上陸し碁を打ったと云われている「碁盤島(ごばんじま)」です。

義経は何度打っても弁慶にかなわず、怒って碁盤を投げつけたそうです。

また碁盤島にある池の中には碁盤型の岩の塊があるそうです。





「巌門」から外浦の海に沿って北へ向かうと「ヤセの断崖」です。

松本清張の名作「ゼロの焦点」の舞台となった断崖絶壁です。

昭和36年と平成21年に公開された映画の撮影地で、能登金剛の中でも人気が高い観光地です。

その昔、断崖周辺の土地がやせていたことや、断崖の上に立ち身を乗り出して崖下を覗くと身がやせる思いがすることなどから「ヤセ」の名がついたと言われています。

高さ35mの崖上から一望する日本海の眺めは定評があるそうですが、高所恐怖症の私は怖くて近付くことさえも出来ませんでした。





断崖に沿って設けられた遊歩道は、「義経の舟隠し」にもつながっています。

案内板によると「文治2年、兄・頼朝の厳しい追手から逃れる義経と弁慶が、奥州へ下る途中に折からの海難を避けるため、入江に48隻の舟を隠したと伝えられる岩場です」とあります。





「能登金剛」に別れを告げ、国道249号線を更に北上すると、いよいよ「輪島」に到着です。

輪島朝市は、岐阜県高山市の宮川朝市、千葉県の勝浦朝市と並ぶ、日本三大朝市のひとつに数えられています。

平安時代から続く朝市で、神社の祭礼日などに生産物を持ち寄って、物々交換しあっていたのが始まりだと言われています。

室町時代には毎月4と9の付く日に開催されるようになり、明治時代から毎日開催されるようになったそうです。

「朝市通り」と呼ばれている約360mの商店街で行われていて、200以上の露店が立ち並びます。





ところが私達が輪島に到着したのが昼前でしたので朝市どころか昼食のお店を探すのも一苦労。

しかし朝市駐車場のそばに素晴らしい店がありました。

「漁師の店 こだわり」という店です。

店内は落ち着いた雰囲気で、奥さんか娘さんか従業員の方か分かりませんが、非常に感じの良い女性が注文を受けてくれました。

私は店のお勧めの「ぶりのたたき丼」、妻は「漁師の海鮮丼」を食べましたがどちらも大満足でした。

箸袋に「よろしければお持ち帰りください」と書いてあったので、お箸を持ち帰り、毎日使わせてもらっています。





輪島から更に北上すると「白米の千枚田(しろよねのせんまいだ)」です。

四季によって、また稲の生育具合によって様々に表情を変える美しい棚田は格別の風景です。

2006年に当時の小泉純一郎首相がこの地を訪れ、「絶景だよ、絶景」と褒めたたえたエピソードは、地元マスコミで大きく取り上げられたそうです。

これにちなんで、同年秋に収穫されたコシヒカリは「絶景千枚田」の名で商品化されたとのことです。





このまま能登半島を一周しようかとも考えていたのですが、時間的に少しキツイかなと思い、輪島から能登有料道路経由で七尾市のトヨタレンタカーに戻りました。

そして七尾駅から「のと鉄道」で一駅の「和倉温泉」の宿泊先に向かいました。

昨日の金沢とは逆に今日の能登半島は雲ひとつない日本晴れでした。

「日本の宿 のと楽」という宿に泊まったのですが、温泉も料理も充分に満足のいくものでした。