若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

江戸東京たてもの園ーその2

2010年06月16日 | ドライブ




東ゾーンに入りました。

昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことが出来ます。

「村上精華堂」(台東区池之端二丁目/1928年)

不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。

昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水などを作って、卸売や小売を行っていました。

正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。








「鍵屋(居酒屋)」(台東区下谷二丁目/1856年)

台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。

震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3年)に建てられたと伝えられています。








建物と店内は1970年(昭和45年)頃の姿に復元しています。

「冷奴60円」とあります。

「とりもつなべ100円」とあります。

「味噌おでん60円」とあります。








「子宝湯」(足立区千住元町/1929年)

東京の銭湯を代表する建物です。

神社仏閣を思わせる大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の格天井など贅をつくした造りとなっています。

宮崎駿映画『千と千尋の神隠し』に出てくる湯屋のモチーフになったそうです。








「小寺醤油店」(港区白金五丁目/1933年)

大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。

味噌や醤油、酒類を売っていました。

壁に貼られた若き日の石原裕次郎(サッポロビールのCM)の懐かしいポスターが印象的でした。








昼食は店舗型休憩棟の2階にある「蔵」という店で食べました。

私はきつねうどん、妻は山菜うどんです。

値段は良心的で、味もまあまあでしたが、量的に少し物足りなかったような・・・・。








「武居三省堂」(千代田区神田須田町一丁目/1927年)

昭和初期に創業した文具店です。

当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。

広いとはいえない店内の壁には、200本近い筆の入った桐箱が整然と納められています。

また、店の下は地下室になっており、そこで商品の荷解きや、荷造りをおこなったそうです。







左が「武居三省堂」です。

建物は震災後に建てられた看板建築で前面がタイル貼りになっていて、屋根の形にも特徴があります。

右が「花市生花店」(千代田区神田淡路町一丁目/1927年)

建物の前面は花屋らしくデザインされています。








路地を一つ隔てた右側の建物が「丸二商店」(千代田区神田神保町三丁目/昭和初期)

昭和初期に建てられた荒物屋です。

小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。







丸二商店の店内は昭和10年代の様子を再現しています。

「やかん」や「ジョウロ」など、今でいうホームセンターですね。








花市生花店の裏手にある物干し台です。

井戸の手押しポンプやゴミ箱など昔懐かしい光景です。







丸二商店の裏手の長屋です。

昭和初期の路地の様子も再現しています。

下町を歩けば今でもこんな光景が見られますよね。







屋台では美人のママさんが懐かしい、かき氷やラムネ、アイスクリームなどを売っていました。

「江戸東京たてもの園」は初めての訪問で、見所がたくさんあったので、かなりのハイペースで見て回りました。

今度来るときは、もう少し時間をかけて、1軒1軒、ゆっくりと見て歩こうと思いながら帰路に着きました。



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江戸東京たてもの園ーその1

2010年06月13日 | ドライブ




6月12日(土)妻と二人で東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行ってきました。

「江戸東京たてもの園」は1993年(平成5年)江戸東京博物館(墨田区)の分館として小金井公園内に建設されました。

現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築して、復元・保存・展示するとともに貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しているそうです。









入場料は大人400円と安く、電車ならJR中央線の武蔵小金井駅か西武新宿線の花小金井駅からそれぞれバスで5分となっています。

私たちは愛車プリウスで来園しましたが、車の場合は小金井公園の有料駐車場(1時間300円以後30分おきに100円)を利用することになります。

駐車場はなるべく奥の方に停める方が「江戸東京たてもの園」に近くなり、木陰も多く空いています。







園内は西・中央・東の3ゾーンに分かれています。

先ずは西ゾーンからスタートです。

「常盤台写真場」(板橋区常盤台一丁目/1937年)

板橋の常盤台という、当時の文化住宅が立ち並ぶエリアに、ひときわ目立った存在としてあった写真館です。

2階がスタジオになっています。

照明設備がまだ発達してなかった頃なので、2階の窓は、撮影時になるべく安定した光が得られるように全面スリガラスになっています。








「三井八郎右衛門邸」(港区西麻布三丁目/1952年)

日本の近代史に三井財閥として名を残した三井同族十一家の総領家(北家)、三井八郎右衛門高公氏の第二次世界大戦後の住宅です。








1階の書院の二間(客間と食堂部分)は1897年(明治30年)に完成した京都油小路三井邸の奥書院の部材を使用しているそうです。







「綱島家」(世田谷区岡本三丁目/江戸時代中期)

多摩川をのぞむ台地上にあり、広間型の間取りを持つ茅葺きの民家(農家)です。

広間を囲む長方形の大黒柱や、押し板という古い形式の板などから、建物の歴史が感じられます。








「小出邸」(文京区西片二丁目/1925年)

日本におけるモダニズム運動を主導した建築家・堀口捨己がヨーロッパ旅行からの帰国直後(大正14年)に設計した住宅です。

当時ヨーロッパで流行していたデザインと日本の伝統的な造形を折衷した造りとなっています。







「前川國男邸」(品川区上大崎三丁目/1942年)

日本の近代建築の発展に貢献した建築家・前川國男の自邸です。

戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。









外観は切妻屋根の和風、内部は吹抜けの居間を中心に書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。








「田園調布の家(大川邸)」(大田区田園調布四丁目/1925年)

郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。

田園調布は渋沢栄一によって設立された「田園調布株式会社」が開発した郊外住宅地の一つです。

関東大震災から一ヶ月後の1923年(大正12年)10月より分譲が開始されたそうです。







この建物は家族のための居間を中心として、そのまわりに食堂・寝室・書斎が配置された「居間中心型」と呼ばれる間取りに特徴があります。

また当時としては珍しく全室が洋室となっています。

この家は所有者が数回変わりましたが1993年(平成5年)まで使われていたそうです。







次に中央ゾーンに入ります。

「高橋是清邸」(港区赤坂七丁目/1902年)

明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を坦った高橋是清の住まいの主屋部分です。

総栂普請(そうつがぶしん)で、洋間の床は寄木張りになっています。

2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11年)の2・26事件の現場になりました。








「会水庵」(杉並区西荻北五丁目/大正期頃)

宗偏流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた茶室です。

1957年(昭和32年)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。




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