若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

紅葉の富士五湖に遊ぶーその2

2014年11月25日 | 旅行


11月5日(水)妻と二人で愛車プリウスに乗って、紅葉に彩られた富士五湖へ1泊2日の旅行に出かけ、山中湖、河口湖、西湖に遊んだ後、その日は河口湖畔の「秀峰閣 湖月」に泊まりました。

写真は宿の部屋から見た11月6日(木)の朝の河口湖です。

残念ながら富士山は顔を見せてくれませんでした。

今日は「精進湖」、「本栖湖」を見て、最後に「北口本宮冨士浅間神社」に行きます。



宿を8時過ぎにチェックアウトして富士パノラマライン(国道139号)を走り、精進湖に向かいました。

精進湖の周囲はわずか5km。富士五湖で最も小さい湖ですが景観は富士五湖一といえます。

明治28年、日本に帰化した英国人H.S.ホイットウォーズが富士山を最も美しく眺められる地を求めて、1年がかりで富士山麓を巡り、ようやくたどり着いたのが精進湖だったのだそうです。

この風光に魅せられたホイットウォーズは日本有数の避暑地「ジャパン・ショージ」として海外への観光宣伝に力を注いだ結果、多くの外国人観光客が訪れることになり、当時日本有数の避暑地として「精進湖ホテル」が創業されました。



富士五湖の最後は五湖の最西端に位置する本栖湖です。

五湖の中で最も水深が深く121.6mあります。

瑠璃色と言われる幻想的な色合いが美しい透明度の高い湖で、千円札や旧五千円札の図案に使用されている「逆さ富士」の景色は、本栖湖の北岸からの眺めだそうです。



精進湖から本栖湖に到る紅葉の美しさに目を瞠りながらのドライブです。

曇り空のため富士の雄姿は見られませんでしたが、それに勝るとも劣らない富士五湖の紅葉・・・。

絶句・・・・絶句・・・・絶句・・・・です。



今回の旅行の最後は五湖と同じく富士山世界遺産の構成資産である「北口本宮冨士浅間神社」です。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方への遠征の折りに、大塚丘より富士山を遥拝し大鳥居を建て、「富士の神山は北方から登拝せよ」と勅(みことのり)され、祠を建てて祀ったのが始まりと言われています。

また、富士山の吉田口登山道の入口でもあります。

大きな杉・檜の立ち並ぶ参道を歩いて行くと日本最大木造鳥居の「大鳥居」が見えてきます。



拝殿左側の庭の紅葉が見事です。



左側の七色もみじは名木百選に選定されています。

奥に見えるのが東宮本殿で、1561年武田信玄が川中島合戦の勝利を祈念して再建したそうです。

明治40年に国指定重要文化財となりました。



「富士登山道吉田口」付近から拝殿方面を見たところです。



以上で私たちは1泊2日の富士五湖旅行を終え、「富士パノラマライン」、「旧鎌倉往還」、「道志みち」、「国道16号・407号」を愛車プリウスで乗り継いで、家路に就きました。





紅葉の富士五湖に遊ぶーその1

2014年11月22日 | 旅行


11月5日(水)妻と二人で愛車プリウスに乗って、紅葉に彩られた富士五湖へ1泊2日の旅行に行ってきました。

台風20号が明後日には日本列島に近付くとの情報でしたが、何とか今日と明日は持ちそうだということで、相模原から国道413号線(道志みち)を通って山中湖には11時に到着しました。

「親水公園」で車を止めて、山中湖から見た富士山です。

曇り空ですが何とか富士山が見えました。



湖畔のデニーズで昼食をとったあと、「花の都公園」から「文学の森公園」を見て廻りました。

「文学の森公園」には、三島由紀夫文学館、徳富蘇峰館、俳句の館風生庵、蒼生庵、情報創造館の文化施設があり、多くの樹木、山野草、野鳥などが棲息する自然豊かな園内には、散策路が木立を縫うように続いており、自然に親しむ人々の散策コースになっています。



山中湖はこれぐらいにして次に河口湖に向かいます。

「文学の森公園」から河口湖までは30分ほどで到着です。

河口湖は富士五湖のうち、もっとも早く観光開発されました。

平成になってから温泉が掘削され、富士河口湖温泉郷として東岸に温泉街が形成されています。

写真は「大池公園」から温泉街を望んだものです。



宿泊先は河口湖でしたが、まだ時間が大分あったので西湖まで足をのばして「いやしの里・根場(ねんば)」に行きました。

かつては美しい富士を背に茅葺き屋根が並んでいた西湖畔の根場地区。

しかし、昭和41年の台風災害で壊滅的な被害を受け、その姿は過去のものとなってしまいました。

その後40数年の歳月を経て、富士山の前に昔懐かしい茅葺き民家群の景色がよみがえり、地域の歴史や文化、自然環境を舞台とした「西湖いやしの里・根場」が誕生しました。



西湖の南側には青木ヶ原樹海が広がります。

また大正2年にヒメマスが放流され、今日では漁業だけではなく、ヒメマス釣りは西湖でのレジャーのひとつとなっています。

湖岸には「西湖民宿村」と「根場(ねんば)民宿村」があり、ほかに閑静なキャンプ場等が点在しますが、富士五湖の中では最も観光化が進んでいない湖です。



西湖から河口湖に戻り、今宵の宿泊先である「秀峰閣 湖月」にチェックインしました。

ちょうど11月1日から24日まで「富士河口湖町紅葉まつり」が行なわれていたので、二人で歩いて見に出かけました。



「秀峰閣 湖月」の目と鼻の先に、古木のもみじが約60本並ぶ「もみじ回廊」があります。

この回廊をメイン会場に富士河口湖紅葉まつりが行われ、期間中は22時までもみじがライトアップされます。



これも「秀峰閣 湖月」のすぐ近くにある「あうん亭 きみまろ茶屋」です。

漫談家、綾小路きみまろプロデュースの和テイストカフェです。

店内には綾小路きみまろが収集した骨董品の数々が並んでいます。

自家製ハーブを贅沢に使用した「ハーブティ」が人気メニューだそうです。


富士五湖での一日目が終わり、私たちは夕暮れの道を「秀峰閣 湖月」に帰りました。


茨城県結城市ー見世蔵めぐりコースを歩く

2014年11月08日 | ドライブ


10月25日(土)妻と二人で愛車プリウスに乗って茨城県結城市に行ってきました。

8時半ごろに家を出て、国道125号から4号バイパスを通り、途中、道の駅「まくらがの里こが」で休憩し、結城市役所には10時過ぎに到着。

市役所で地図をもらい車を市役所の駐車場に止めて「見世蔵めぐりコース」に従って16軒の見世蔵を見て歩きました。

建造年・商いの種類などのデータは結城市のホームページの観光・イベント情報に記されています。

今回はそのデータを利用させていただきました。



①桜井長太郎商店(明治後期築)

生鮮・乾物問屋を経て,現在は干瓢商店舗兼住宅として利用されています。



②須関商店(明治26年頃築)

当初は穀物商店舗でしたが,現在は住宅として利用されています。



③奥順(明治19年築) 国登録有形文化財

代々,結城紬の問屋店舗兼住宅として利用されています。



④藤貫邸別館(明治中期築)

米穀肥料商を経て,現在は住宅付属施設として利用されています。



⑤あくとの里(明治45年築) 国登録有形文化財

当時は米穀商店舗(旧黒川米穀店)でしたが,現在は農産物直売所として利用されています。



⑥山中石材店(明治28年築)

石材店・金物商を経て,現在は石材店舗兼住宅として利用されています。



⑦鈴木紡績(明治39年築) 国登録有形文化財

穀物・紡績商を経て,現在は主に住宅として利用されています。



⑧河野商店(明治30年頃築)

代々,結城紬の問屋店舗兼住宅として利用されています。



⑨秋葉喬庸商店(明治末期築)

農業資材関係の店舗ですが,現在は主に住宅として利用されています。



⑩結城酒造(江戸末期~明治時代築) 国登録有形文化財

造り酒屋店舗及び醸造蔵として利用されています。



⑪武勇(江戸末期築)

代々,造り酒屋店舗及び醸造蔵として利用されています。



⑫会津屋本店(明治41年築)

荒物商等を経て,現在は建材関係の事務所兼住宅として利用されています。



⑬結真紬(明治40年頃築) 国登録有形文化財

呉服店を経て,現在は結城紬の問屋店舗兼住宅として利用されています。



⑭小西金物店(明治初期築) 国登録有形文化財

銅鉄店を経て,現在は建材関係事務所兼住宅として利用されています。



⑮秋葉糀味噌醸造(大正13年築) 国登録有形文化財

代々,味噌屋店舗兼住宅及び醸造蔵として利用されています。



⑯簗嶋邸(明治13年)

当時は穀物商店舗でしたが,現在は住宅として利用されています。




近江商人の街並み散策ーその2

2014年11月01日 | 旅行


10月11日(土)妻と二人で近江八幡の「池田町洋館街」から「京街道門前通り」を歩き「新町界隈」を散策したあと、「八幡掘」にやって来ました。

写真は「八幡掘」に架かる「明治橋」から東側を望んだものです。

「明治橋」では昔から時代劇の撮影のロケ地となっていました。



「明治橋」から更に東に歩いて行くと「白雲橋」とその下をくぐる遊覧船が見えてきました。

のどかな休日の風景に心が癒されます。

船客がみんな善い人に見えて、思わずシャッターを切りました。(笑)



「日牟礼八幡宮」に通じる「白雲橋」を渡ります。

「白雲橋」から東側を望んだ写真です。

これも時代劇に出てきそうな・・・・絶景です。



昔から近江商人の信仰を集めてきたといわれる「日牟禮八幡宮」は旧八幡町の総社で、平安時代の創建といわれています。

「日牟禮八幡宮」の杜近くにある「たねや日牟禮乃舎」で妻は和菓子を沢山買い込みました。



「日牟禮八幡宮」の前に建つ洋風建築は、これも建築家ヴォーリズが建てた「白雲館」です。

「白雲館」は、明治9年に八幡商人と区民の人々の熱意と協力によって、当時の金額で6000円の費用をかけて学校(八幡東学校)として建設されたそうです。

現在、「白雲館」には観光案内所が設けられ、観光情報の提供、土産・特産品の展示販売が行われ、2階フリースペースは市民ギャラリーとして利用されています。



次に「大杉町通り」を東に歩き、鍛冶屋町バス停を右折すると「ヴォーリズ記念館」です。

近江兄弟社の創立者であり、近江八幡市第一号名誉市民であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが満喜子夫人と共に過ごした住居が「ヴォーリズ記念館」です。

この建物は、昭和6年に建築された滋賀県指定有形文化財で、ヴォーリズの日常生活に関する数々の遺品や資料が保管・展示されています。



そろそろ疲れてきましたが最後の力を振り絞って「京街道門前通り」を西に戻ります。

いかにも静かで、小さな町に息づくこだわりや流れる時間を感じられる建物・・「尾賀商店」です。

「尾賀商店」は、築150年の古民家にクラフトギャラリー、書とハンコの店、体験の出来る鉄の工房、古代米にこだわったカフェの4店舗とイベントスペースがある複合商店だそうです。



近江八幡の街並み散策の最後は「旧八幡郵便局」です。

近江八幡の市街に建つ和洋折衷の寄棟屋根のヴォーリズ初期の貴重な建物で大正10年築。

昭和36年まで郵便事業をやっていたが、その後玄関部分が取り壊されたそうです。

平成16年に地元のヴォーリズ建築保存再生運動を目指すNPO「一粒の会」によって再生されました。

現在もボランティアの方々によってゆっくりと改築が進められていろそうです。

この建物は「2時間ドラマの女王ー片平なぎさ」のドラマに頻繁に出てくるそうですよ。

(妻ノタマワク)