若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

中山道・坂本宿

2008年11月24日 | ウォーキング



昨日(11月23日)は妻と二人で中山道の坂本宿を歩いてきました。

信越本線横川駅からの出発です。





歩いてすぐ右に横川の茶屋本陣武井家がありました。

武井家は代々横川村の名主を務め、幕末頃は坂本駅の助郷惣代を兼ねたそうです。

今も民家として使われていて、私たちが行った時はちょうど蒲団を廊下に並べて干していました。






碓氷関所は1616年、江戸幕府によって設置されました。

中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。

東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていたそうです。





国道18号線のゆるい上り坂を進み、上越自動車道をすぎると坂本宿に入ります。

左側に「坂本宿」の標識が立っていました。





それぞれの家には屋号札がかかっています。

ここは永井脇本陣です。

なかなか立派なお屋敷でした。





宿場の中ほどには「中山道坂本宿屋号一覧」がありました。

しかしながら、若山牧水が一夜の宿を求めた「旅籠つたや」や小林一茶の定宿であった「たかさごや」などは、残念なことに、もう昔のおもかげは残っていませんでした。







「かぎや」は坂本宿のおもかげを残す代表的は旅籠建物です。

まず目につくのは家紋の下に「かぎや」と記した屋根看板です。

上方や江戸方に向かう旅人に分かり易く工夫されていたそうです。





「ひとつぬいでうしろに負いぬ衣更え」の芭蕉句碑です。

旅にあるからと、簡単に1枚脱いで背中に背負ったという、どこかユーモアを含んだ表現だそうです。

貞享5年(1688)、芭蕉45歳の作。





芭蕉の句碑を最後に坂本宿に別れを告げ、水分補給とトイレ休憩のため天然温泉「峠の湯」に立ち寄りました。

周囲の山並みは都会の喧騒を忘れさせてくれます。





帰りは「アプトの道」を歩いて横川駅に向かいました。

霧積川橋梁付近で野生の猿に出会い、思わず肝を冷やしました。

野生の猿って怖いですよね。





旧丸山変電所です。

明治44年(1911年)に建てられ、昭和38年まで使用されていましたが、その後すっかり廃墟と化していたそうです。

それを平成14年に修復して現在のような観光施設となり、国の重要文化財にも指定されているという煉瓦造りの素晴らしい建物です。





「アプトの道」です。

まさに一直線です。

途中にトイレがないのが残念です。

横川駅まであと少しです。





鉄道文化村に戻ってきました。

ちょうどトロッコ列車が走り出したところでした。

紅葉はすでにピークを過ぎていましたが天気も最高で私たちには楽しい歩き旅でした。


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陸前浜街道を行く(秋)・・・・

2008年11月17日 | 旅行




11月15日・16日で孫の七五三のお祝いに郡山へ出かけました。

今年の3月と同じく、陸前浜街道を行くことにしました。

3月には「勿来の関」と「塩屋埼」を時間の都合上、見ることが出来なかったので今度こそ、と思って出かけました。








奥州街道は白河の関、新潟から山形へ向かう北国街道は念珠の関、そして水戸から仙台に向かう浜街道の関所が勿来の関であったそうです。







勿来とはつまり 「来る勿かれ」。

こっから先へは来るな!という意味です。

一般に奈良時代に蝦夷の南下を防ぐ目的で設置されたといわれています。

平安時代の武将源義家や紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師などの有名な歌人も和歌に詠んだ有名な歌枕です。








塩屋埼灯台は、福島県いわき市の塩屋埼に立つ、白亜の美しい大型灯台です。

周辺は、磐城海岸県立自然公園に指定され、「日本の灯台50選」にも選ばれています。







美空ひばりの「みだれ髪」の歌詞のモチーフになった塩屋埼灯台。

「みだれ髪」の歌碑 と 歌が流れる「遺影碑」があります。




         髪のみだれに手をやれば

         赤い蹴出しが風に舞う

         憎や恋しや塩屋の岬

         投げて届かぬ想いの糸が

         胸にからんで涙をしぼる



こういう歌・・・・好きなんです・・・(汗)








木下惠介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」は、灯台職員とその家族が転勤で地方の灯台をまわりながら、積み重ねる喜びと悲しみを描いた映画作品として有名ですが、当時の塩屋埼灯台長夫人、田中きよさんの手記「海を守る夫とともに20年」をもとにしたものだそうです。





灯台には、きつい坂を上れば、そばまで行けて灯台の上に登れますが高所恐怖症の私にはあまり気持ちの良いものではありませんでした。







塩屋埼灯台の北に広がる薄磯海岸は、1994年(平成6)に選定された「日本の渚100選」にも選ばれました。

美しい砂浜を、妻は年甲斐もなく無邪気に走り回っていました。









この辺りでは、勿来と人気を二分するマリンレジャースポットとなっているそうです。

天気がイマイチで夕暮れが早くなりそうだったので、3時過ぎにはこの海岸をあとにして、長男家族の住む郡山市へ国道49号線を走りました。



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全国高校ラグビー埼玉県予選準決勝

2008年11月08日 | その他




全国高校ラグビー花園大会埼玉県予選準々決勝で優勝候補の正智深谷と熊谷工業が敗れるという波乱があり、準決勝は俄然盛り上がってきたので、北風の吹く寒い中、県営熊谷ラグビー場に出かけました。







準決勝第一試合は深谷高校と慶応志木高校です。

慶応志木高校はノーシードながら準々決勝で第一シードの正智深谷を破ったチームです。







タイガージャージが印象的な慶応ボーイたちですが・・・・・・






試合のほうは予想外に深谷高校の圧勝でした。







準決勝第二試合は名門浦和高校と準々決勝で熊谷工業を破った早稲田本庄高等学院の対戦でした。







試合前に両校の校歌が流れるのですが、「都の西北」はもちろん、浦和高校の校歌も素晴らしいものでした。








試合はハイレベルな展開で観衆を大いに沸かせました。

フォワードの地力に勝る浦和高校が10対0で早稲田に競り勝ちました。

冬が一気にやって来たような一日でしたが、素晴らしい一日でした。

出来ることなら熊谷高校と伊奈学園のジャージ姿も見たかったのですが・・・。

来年に期待しましょう。




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中山道を歩く・・・・熊谷~深谷

2008年11月02日 | ウォーキング



秋日和の今日、熊谷から深谷まで中山道を妻と歩きました。

八木橋デパート前の「旧中山道跡碑」からスタートです。





八木橋の横の一番街商店街を歩いて国道17号線に出て、少し行くと秩父方面へ抜ける道に「秩父道道標」がありました。






熊谷警察署を右に見て石原(北)を過ぎてから新島で国道17号線から離れ、籠原から深谷まで細い単調な道を黙々と歩きました。

中山道が国道17号と交差するあたりに「見返りの松」の石碑がありました。

江戸末期の安政年間にはこのあたりに松・杉あわせて400本ほどの並木があったそうです。







県立深谷商業高校の記念館です。

国の登録文化財に指定されている素晴らしい建物です。






深谷城址公園で休憩。

深谷城は室町時代中期の康正2年(1456)、深谷上杉房憲が、古河公方の侵攻に備えて、築城したと伝えられています。
 





深谷駅前には渋沢栄一の銅像がありました。

深谷市民にとって最大の誇りは、渋沢栄一の生誕地ということでしょう。

「日本資本主義の父」ともいわれるこの大実業家を、人々は生前から絶対の尊敬と親しみをもって遇したそうです。





深谷駅舎は東京駅の丸の内口駅舎を建築する際、当地に所在する日本煉瓦製造の製造した煉瓦を使用したことにちなみ、東京駅をモチーフにした造りとなっています。

熊谷から深谷まで3時間余り・・・60歳の私には、いささか疲れました。


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