若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

我が街・行田の日本遺産・足袋蔵を歩くーその3 新町アーケード街

2020年08月24日 | 行田市


旧国道125号を行田郵便局入口の交差点で左折して「八幡通り」に入ると、「小川源右衛門蔵」が見えてきました。

この大谷石の石蔵は、近江商人の小川源右衛門商店(現在のカネマル酒店)の商品倉庫として昭和2年に建てられたものです。

行田では数少ない戦前の石蔵で、現在も商品倉庫として使用されています。



カネマル酒店の隣が「笠原家住宅」です。

昭和6年建設と伝えられる元足袋原料商店の木造2階建て店舗併用住宅です。

その後、旅館「寶来館」、バー「よるのまど」と用途が転々と変わりました。

現在は住宅として使われていますが、戦前の昭和の足袋商店の姿をよく留めています。



病気平癒の最強パワースポットと言っても過言ではない「封じの宮」として、今や大人気の行田八幡神社の裏手にあるのが、「イサミスクール工場」です。

この工場はイサミコーポレーションの前身の鈴木勝次郎商店が開設した、行田で最も古い大規模足袋工場(現在は被服工場)です。

工場内には、大正6年建設のノコギリ屋根を持つ工場、大正7年建設の旧事務所、昭和13年建設の足袋蔵などがあり、戦前の大規模足袋工場の面影をよく留めています。

なお、このスポットは2017年10月期日曜劇場「陸王』(池井戸潤原作・役所広司主演)のメイン舞台となった「こはぜ屋」の撮影に使われたことでも有名です。



カネマル酒店まで戻り、大正時代の雰囲気を残す「長井写真館」など、レトロな建物が並ぶ小道を通って「古墳通り」(新町アーケード街)に出る手前に「今津蔵」(今津印刷所)があります。

今津印刷所は元禄年間創業と伝えられる老舗印刷所で、田山花袋の「田舎教師」の”行田印刷所”のモデルにもなっています。

嘉永年間に建てられた店蔵と味噌蔵が中庭を挟んで並んでいます。

店蔵は現存する市内最古級のもので、旧店舗部分が2階建てになっています。



古墳通りを南下すると、風月庵という和菓子屋の隣にあるのが「田代蔵」です。
 
この2階建ての店舗は「きくわ足袋」の商標で知られる田代鐘助商店が、昭和2年に建設したもので、1階前面だけが蔵造りになっています。

この後ろには大正時代建設の住宅、昭和2年と大正時代初期と伝えられる土蔵2棟(足袋蔵)が、細長い敷地に裏通りまで一列に並んでいます。



田代蔵から西に行くと曲がりくねった路地に突き当たりますが、この通りを「新店(しんだな)通り」と言います。

これは忍城に攻め込む敵の進行を遅らせ、先の見通せない曲がり角で迎え撃てるようにつくられた城下町特有の通りです。

この大谷石の石蔵は「孝子足袋」の商標で知られた大木末吉商店が、昭和26年に建てた「孝子蔵」です。

木材不足から戦後行田では、こうした大谷石の足袋蔵が多く建てられました。



「新店通り」を南下すると高い塀に囲まれた立派な足袋蔵が見えてきました。

「栄冠足袋」「ほうらい足袋」の商標で知られた奥貫忠吉商店の足袋蔵として大正5年に建てられました。

特に右側の「クチキ建築設計事務所」は行田唯一の3階建ての土蔵で、元は黒壁でした。

左側の足袋蔵ギャラリー「門」では、不定期ながら絵画展やコンサートなどの催しが開かれているそうです。



古墳通りから見てみましょう。

右側の蔵がギャラリー・パン工房KURAなどとなっており、左奥の3階建ての蔵がクチキ建築設計事務所です。



敷地内にあるカフェは、昭和5年棟上された初代行田市長・奥貫賢一氏の元邸宅で、現在は「cafe閑居」として運営されています。



古墳通りをさらに南へ歩くと、ルーブル洋菓子店の隣に見えるのが「大澤蔵」です。

「花形足袋」大澤商店の7代専蔵が大正15年に関東大震災の教訓を踏まえて竣工させた、2階建ての文庫蔵です。

行田唯一のレンガ蔵で、黒目のレンガと白い漆喰の対比がモダンな印象を与えます。


次回は天満・向町などの住宅街の足袋蔵を見て回る予定です。


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