若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

我が街・行田の日本遺産・足袋蔵を歩くーその5 水城公園付近

2020年10月23日 | 行田市


古墳通りから高源寺の交差点を右折して南大通りへ入ると右手に立派なレトロ調の建物が見えてきました。

「穂国(ほこく)足袋」の商標で知られた荒井八郎商店の創業者荒井八郎氏が建設したもので、現在は”和牛懐石「彩々亭」”の店舗となっています。



荒井氏は戦後参議院議員に当選するなど政治家としても活躍したそうで、その当時はこれらの建物が荒井八郎氏の迎賓館的な役割を果たしており、氏と交流のある政財界をはじめ多くの人々が訪れ、「足袋御殿」とも呼ばれていました。

この「彩々亭」もコロナ騒ぎの影響か、8月1日から無期休業となったそうです。



南大通りを西進すると木造2階建ての黒い建物が「行田窯(がま)」です。

この建物は、元は荒井八郎商店の足袋原料倉庫で、昭和初期に建設されたものだそうです。

同商店の手を離れた後にこの場所に移され、東半分が取り壊されましたが、現存する数少ない木造の足袋蔵として貴重な存在です。

陶芸工房として再活用されていましたが、2017年末をもって行田窯を閉じることになったそうです。



やっと水城公園へ到着です。

「水城公園」は忍城址から歩いてすぐのところにあります。

忍城はとても広く大きな城でした。

取り壊されたあと、お堀の跡が、忍沼と呼ばれる大きな沼になったほどです。

その沼が埋め立てられて現在の市役所や市立体育館が作られました。

そして末端部分が「水城公園」として開園したのが昭和39年だそうです。



太公望で賑わう「しのぶ池」(写真)や、薄紫色の絨毯を敷きつめたかのようなホテイアオイが美しい「あおいの池」などがあり、心がなごむ癒しの場となっています。



2018年には、旧忍町信用組合店舗だった洋館(市の文化財)が「あおいの池」の傍に移築されました。



この建物は、大正11年に現在の行田市行田の地に開店した忍町信用組合の元店舗です。

忍町信用組合は大正4年に時田啓左衛門ら足袋商店の有志が組織した共楽会を母体とする金融機関です。

この店舗には、原料卸売商が足袋商店から受け取った手形や、足袋商店が全国各地の卸売業者や小売業者から受け取った手形などが多く持ち込まれ、組合で手形の割引が行われました。

こうした足袋関連の企業間の信用決済業務を多く行うことで、組合は行田の足袋産業を金融面から支える重要な役割を果たしました。


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