若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

日光街道杉戸宿を歩く

2015年05月12日 | ドライブ


4月25日(土)妻と二人で愛車プリウスに乗って日光街道の杉戸宿を歩いてきました。

先日新聞に載っていた「杉戸宿まち歩きブック」を杉戸町役場でもらっての宿場巡りです。

以下、解説は「杉戸宿まち歩きブック」に拠ります。

「横町」の「渡辺勘左衛門家」は杉戸の旧家で、1722年に杉戸宿に移り住んで以来、多数の農地を集積し、小作人を多く抱えるとともに、江戸中期以降は質屋業を営み、杉戸宿及び近郊の住民へ金銭等の貸付を行ってきました。



同じく「横町」にあって「角にある米穀問屋」を意味する「角穀(かどこく)」(小島定右衛門邸)です。

母屋と蔵が並ぶ優美さは心ひかれる佇まいです。



「上町」に入って「渡辺金物店跡」です。

「横町」の名士・渡辺氏から分家となった先々代が創業したそうです。

平成に入り看板を降ろしましたが店舗跡では、月に1回「クラブ茶屋」という地域交流の会が催されています。



「上町」のもうひとつの古民家は「高札場跡」です。

「高札」とは幕府の命令や掟書きを知らせるために、木札に書かれたものを意味します。

ゆえに「高札場」とは、高札(御触れ)を数枚まとめて高く掲げられた場所のことです。



「中町」に入って「本陣跡」、「脇本陣跡」、「伊勢長跡」と続きますが「本陣跡」は迂闊にも見過ごしてしまいました。

「脇本陣跡」と「伊勢長跡」は当時の様子を語り継ぐ者は見当たりません。

宿場の名医であり教養人であった虎屋善蔵は杉戸宿の漢方医であり、その後を継ぐ者も昭和期までを診療医として地域医療を担っていました。

「虎屋跡地」には大きな松が枝を誇っています。



屋号「虎屋」はそのまま薬局に名を伝えています。



「下町」に入って「問屋場跡」には「明治天皇御小休所阯」という石碑を見ることができます。

問屋場(といやば)は旅人の荷物の輸送と宿泊場所の調整を行なう、重要かつ責任ある役割を担っていました。

問屋場の跡地には、県の第六区区務所や銀行など、まちの重要な施設や店が入れ替り設けられ、今日に至ります。



「新町」を通り、今回の散策の最後は「清地村」です。

「伏見屋」は、伏見屋久五郎創業による家系が19代続く商家で、現在酒類販売業を営んでいます。

敷地には150年以上経つと考えられる蔵があり、立派に今も役割を果たしています。



街道沿い、まさに江戸期を思わせる佇まいの大きな古民家が「豊嶋屋」(としまや)です。

現在は屋号を関口酒造としています。

創業1822年とされ現在で14代。

造り酒屋では6代とも8代とも伝えられ、江戸期からの老舗です。

明治時代、陛下の東北巡幸では、当家の井戸を御前水として飲まれたそうです。