若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

足袋蔵(たびくら)の街

2007年01月28日 | 行田市




行田といえば「足袋」である。

その足袋を保管しておくために建てられた蔵を「足袋蔵」と言い、江戸後期から昭和30年頃まで約100年間に渡って建てられたそうである。






そのため土蔵だけでなく、石蔵、レンガ蔵、コンクリート蔵、モルタル蔵、木造倉庫などさまざまな蔵が見られる。







「足袋蔵」はまちの中心部に70棟余りあり、そのほとんどが裏通りに面し点在している。







これらの「足袋蔵」を写真に撮らなくては・・・と思い、デジカメとマップを持って我が家を出た。







なるほど、石蔵、レンガ蔵、木造蔵などが裏通りの古い街並みに点在している。







「足袋蔵」以外にも古い建物が多くある。

「彩々亭」は、大正時代に足袋産業で富を築き、国会議員にまで昇りつめた荒井八郎氏が贅をつくして建てた「足袋御殿」を懐石料理店として復元修正したものである。







「武蔵野銀行行田支店」は戦前の行田を代表する昭和9年建設の本格的銀行建物である。






「十万石ふくさや行田本店」は明治14年建設の店蔵である。







「横田酒造」は文化2年創業の酒蔵である。







田山花袋の「田舎教師」ゆかりの銭湯や





川魚料理店「満る岡」などなど・・・

2時間ほど歩いただけで私のデジカメは満杯になってしまった。


人気blogランキングへ

親馬鹿

2007年01月27日 | 家族
長男からメールあり。

「エクセルかマクロのテキストがあれば送ってください。」

「エクセルのテキスト? 昔、私や君が使ったテキストは三男のアパートの片隅に眠っているだろうし・・・私の本棚には宝島社の『エクセル最強の技厳選200本』という1000円ほどの本があるけど・・・もしよければ送ろうか?

それよりもインターネットで「エクセル 使い方」とか「マクロ 使い方」などと検索すると沢山出てくると思うけどなあ。」

「 基本的なところがまだわかりませんので、基本編をお願いします。

インターネットだと、難しすぎたり、操作上面倒なので、ゆっくりと読める本のほうがいいです。まだまだ、アナログ人間なので、よろしくお願いします。」

「了解。どこかで探してくるよ。」

と言うことで熊谷の本屋で見つけて来たのを早速送る。

ほぼ同時刻に長男の嫁から妻にメールが届く。

「4月から幼稚園に入園する○○太のために通園バッグを作ってやってください。」

息子の嫁から頼まれた妻は大喜びである。

早速、嫁に電話をしてバッグの寸法などを訊き、本屋で通園バッグの作り方の本を買って来た。

夫婦ともども相変わらずの親馬鹿である。

「振り込め詐欺」には充分注意しなければ・・・・。(笑)


人気blogランキングへ




前玉(さきたま)神社

2007年01月21日 | 行田市




「パッチワークの材料を買いたい。」と妻が言うので、熊谷の駅ビルまで車で行く。

車をニットーモールの駐車場に停めて、妻は駅ビルへ、私はニットーモール付近で時間をつぶす。

ニットーモールは以前ダイエーが入っていたのだが、業績不振で数年前に撤退した。

今は1階にヤオコーという食品スーパーが入っていて、そこだけが活況を呈している。

そのヤオコーで昼食・夕食の買い物をした後、行田に戻り、ユニクロで私のセーターを買う。







さきたま緑道でウォーキングの後、妻が「前玉神社にお参りしたい」と殊勝なことを言うので行ってみる。






県名発祥の由緒ある神社であるが、境内は古くてお世辞にも立派とは言えない。







家族の健康を祈って帰ろうとすると、「ちょっとここでお菓子でも買って行くわね」と妻が言いながら、神社入り口の「かなざわ」と言う和菓子屋に入って行く。

そうか・・・女房のやつ・・・これが目的だったのだ。

今日も一日ラブラブな夫婦でした。


人気blogランキングへ






母を想う

2007年01月20日 | 家族
私の母は和歌山で弟家族と同居している。

83歳で元気だ。

父は7年前に亡くなった。

父が健在の頃、母は文字通り一家の主婦であった。

父が亡くなり、弟の嫁との力関係も今では逆転したようだ。

それでも気丈夫な母は時々、冠婚葬祭などで私夫婦や弟夫婦にあれこれ指図をして、私達の反感を買うことになる。

今日も弟の末娘に男の赤ちゃんが産まれた、と母から電話があった。

お祝いは2万円で良いから「おめでとう」の電話でも入れなさい・・・などと細かく指図する。

「いい加減にしてくれよ。あんたの思い通りには行かんよ!!」と電話口で怒鳴ってしまった。

電話を切ってから後悔する。

今頃、おふくろは電話の向こう側で泣いているのかなあ・・・。

おふくろの言うとおりにしてやれば良かった・・・。

すぐに電話をする。

「さっきはゴメン・・・ちょっと言い過ぎた・・」

「私は息子のお前に何を言われても、ちっとも気にしないよ」(笑)

「あはははは・・・そうだよなあ・・・」(笑)

親子の絆は・・・とても・・・強いのだ!!!



人気blogランキングへ




井沢八郎さん逝く

2007年01月19日 | その他
1 どこかに故郷の香りをのせて 
  入る列車のなつかしさ
  上野は俺らの心の駅だ 
  くじけちゃならない人生が
  あの日ここから始まった


2 就職列車にゆられて着いた 
  遠いあの夜を思い出す
  上野は俺らの心の駅だ 
  配達帰りの自転車を
  とめて聞いてる国なまり


3 ホームの時計を見つめていたら 
  母の笑顔になってきた
  上野は俺らの心の駅だ 
  お店の仕事は辛いけど
  胸にゃでっかい夢がある


集団就職ではなかったが、地方から東京に出て来た私にとって、井沢八郎さんの「あゝ上野駅」は心に残る歌であった。

上野駅の広小路口を出てすぐの所に、井沢八郎さんの「あゝ上野駅」の記念碑がある。

禁煙したので最近はあまり行かなくなったが、以前は高崎線を降りてからわざわざ中央改札口を出て広小路口付近で煙草を一服吸ったものだ。

煙草を一服吸ってから、この記念碑の前を通ってガード下から不忍口改札に入って山手線に乗るのがいつものパターンであった。

井沢八郎さんが亡くなったと言うので、久々に今朝、そのコースを歩いてみた。

記念碑に花ぐらいは供えられているだろうと思ったが何もなかった。

北風が身にしみた。

いつもより浮浪者が多くたむろしているような気がした。


人気blogランキングへ