若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

岩手・秋田・山形に遊ぶーその2-新緑の角館武家屋敷巡り

2016年06月15日 | 旅行


5月30日(月)妻と二人で盛岡市内を散策したあと、盛岡駅発12時35分の「こまち13号」に乗り込み、秋田県の角館駅には13時24分に到着しました。

今日の宿泊先である「田町武家屋敷ホテル」に荷物を置き、「田町武家屋敷通り」からの散策です。

芦名家が1620年に町造りをした時に、内町の武家屋敷群とは別に、町の南側地区「田町」に80旗の武士が住む事になります。

彼らは、秋田藩主佐竹氏直臣から禄を貰った武士でした。

それが「田町武家屋敷通り」の武家屋敷群です。



田町武家屋敷通りを歩いて最初に見えてきたのが「太田家」(非公開)です。

太田家は仙北地方の大地主だった家柄で、内蔵のある家屋敷は母屋の東西の長さが44mもあり、田町武家屋敷通りまで続いています。

田町武家屋敷通りには太田家の洋館が残っています。



新潮社記念文学館は、新潮社を創設した佐藤義亮(1878~1951)の顕彰を目的に設けられ平成12年4月にオープンしました。

残念ながら行った日は休館日でしたが新潮社記念文学館の外壁には本を開いた形のオブジェがあり、そこには川端康成の代表作「雪國」の~國境の長いトンネルを抜けると雪國であった~の一文が刻まれていました。

戦後出版された「新潮文庫」の第1号が康成の「雪國」だったことにちなんだものだそうです。



記念館の向かい側が「西宮家」です。

明治後期から大正時代にかけて地主として繁栄し、その時代に建てられた5棟の蔵と母屋は、大正ロマンにあふれる古き良き時代を今に伝えています。



「駅通り」を左に折れ、「外町(とまち)」を進みます。

外町は、武家屋敷が立ち並ぶ「内町」と対照的に、びっしりと商家などの町並みが続き、歴史を感じさせます。

写真は「たてつ家」です。

現存の建物は、明治33年に建てられたもので、商家の風情を現代に伝えています。

蔵の中には、たてつ家(田鉄家)の先祖が実際に使用していた趣味や生活用品などを「外町史料館」として無料公開しています。



市役所角館庁舎を過ぎるといよいよ「武家屋敷通り」です。

この武家屋敷群の表通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており、文化財として保護されています。

保存地区は旧武家町のほぼ中央にあり上・中級武士の武家屋敷にあたるところです。

広い通り沿いに塀が連続し、シダレザクラやモミの大木が深い木立を形成しており、当時の暮らしが今も感じられる趣深い空間です。



市役所角館庁舎を過ぎてすぐの右手に見えるのが「小田野家」です。

小田野家を特に印象づけるのは、うっそうとそびえる樹木の庭です。

簡略化された門構え、シンプルな造りの玄関、ドウダンツツジのトンネル、門から玄関までの長いアプローチ、ササが植え付けられた庭など・・・・・何とも素晴らしい武家屋敷です。



小田野家の隣が「川原田家」です。

現在の建物は明治中期に建てられたものですが、その間取りは武家住宅の形式を踏襲していて、屋敷の構成は江戸時代そのものです。

主屋の屋根だけが町家風の切妻木羽葺なのは、防火対策のためのようです。

閑静な緑の庭は、ひととき、外の喧騒を忘れてさせてくれます。



この日の角館は夏を思わせる暑さで、少々グロッキー気味。

河原田家の隣に「桜の里」という比内地鶏や稲庭うどんを出す店があったので、アイスコーヒーを注文して水分を補給しました。



元気を取り戻した二人が武家屋敷通りを北に歩いて行くと右手には「岩橋家」が見えてきました。

屋敷は江戸時代末期に改造、屋根も茅葺きから木羽葺きに変えられ現在の形になりました。

角館の中級武士の屋敷として、間取りなどに典型的な形を残しています。

樹齢300年以上の柏の木がこの家のシンボルです。

「たそがれ清兵衛」の撮影場所ともなったそうです。



次は3000坪を超える敷地を持つ「青柳家」です。

屋敷内に六つの資料館があり、四季それぞれの風情が楽しめます。

角館武家屋敷の象徴であり、特に正門の薬医門は国内外に知られた秋田の象徴であります。



武家屋敷通りの北端に位置する「石黒家」は、角館の現存する武家屋敷のなかでは、最も古く、格式が一番高い家柄の屋敷です。

茅葺き屋根の母屋と覗き窓のついた黒板塀、正玄関と脇玄関を備えて武家の高い格式を示しながら簡素な佇まいとなっています。



甘いものに目がない妻は、青柳家の向かい側にある「唐土庵(もろこしあん)」に立ち寄り、「生もろこし」なるものを買い込みました。



角館武家屋敷散策の最後は「松本家」です。

松本家は、武家屋敷通りからは一本西側に離れた立地で、全然目立たない雰囲気の屋敷ですが、郷校弘道書院の教授を勤め「烏帽子於也(えぼしおや)」の著者として知られる須藤半五郎を出した向学の家です。

県内に残る近世下級武士住宅としては、ほぼ唯一のもので江戸末期の建築技法がよく残っていることから主屋が県指定有形文化財に指定されています。

このあたりは,足軽や中間などの下級武士が住んでいた所で,松本家もその1つです。

ここも「たそがれ清兵衛」の撮影場所だそうです。


以上で私たちは角館武家屋敷巡りを終え、今宵の宿である「田町武家屋敷ホテル」に投宿しました。



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