3月9日(金)妻と二人、所用で和歌山の実家へ行く途中、京都駅(写真)で下車して駅周辺の名所めぐりをしてきました。
駅から京都タワーの横、烏丸通を歩き、七条通を渡ると、左手に見えてきた広大な寺院が「東本願寺」です。
東本願寺は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗大谷派の本山で、慶長7年(1602年)に東本願寺12代教如上人(きょうにょしょうにん)が、徳川家康から寺地の寄進を受け創建したのが始まりです。
この東本願寺の最大の見どころは、何といっても御影堂(ごえいどう)です。
この建物には、浄土真宗の宗祖である親鸞が祀られています。
この御影堂は、世界最大の木造建築物です。
こちらが明治時代の1895年に再建された登録有形文化財の阿弥陀堂(あみだどう)です。
この建物は東本願寺の本堂であり、ご本尊の阿弥陀如来が祀られています。
御影堂よりは小さいですが、それでもかなりの大きさです。
何でも日本にある仏堂の中で7番目に大きい建物だとか。
とにかく東本願寺に入ると、この二つの建物の大きさに圧倒されます。
東本願寺を出て、烏丸通をさらに北へ歩き、花屋町通を西に進み、堀川通を渡ると、「西本願寺」が見えてきました。
西本願寺は鎌倉時代中期に親鸞聖人により開かれた浄土真宗本願寺派の本山で、天正19年(1591年)に豊臣秀吉により現在の場所に寺地の寄進を受け、現在に至ります。
東本願寺と同様に、境内に一歩入っただけで御影堂、阿弥陀堂の威容に圧倒されます。
阿弥陀堂(本堂)の中央には本尊阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。
御影堂(大師堂)の中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で行われます。
能舞台として日本最古の北能舞台、唐門、書院、黒書院、飛雲閣(いずれも国宝)の建造物は、華麗な桃山文化の粋を伝えています。
西本願寺は1994年には「古都京都の文化財」として「世界遺産」に登録されています。
西本願寺を出て、花屋町通をさらに西に歩き、大宮通を越えると、そこは我が国最古の公許遊郭「島原」です。
島原の正式な地名は「西新屋敷」ですが、六条三筋町からの移転騒動が島原の乱を思わせたことから「島原」と呼ばれるようになりました。
「島原大門」をくぐると門内は通りの左右に格子造りの古い揚屋、置屋が整然と並んでいたそうです。
花街・島原の往時の雰囲気を感じさせる町家ーその1
花街・島原の往時の雰囲気を感じさせる町家ーその2
花街・島原の往時の雰囲気を感じさせる町家ーその3
島原は、太夫や芸鼓を置屋から、宴席の揚屋やお茶屋に派遣する「送り込み制」で営まれていました。
揚屋は現在の料亭や料理屋にあたり、特別公開されている「島原角屋」は揚屋建築の唯一の遺構として国の重要文化財に指定されています。
大宮通に戻り「東寺」を目指します。
少し疲れたので梅小路公園の手前のコンビニでコーヒータイムのあと梅小路公園を右に見ながらJRの地下道をくぐり抜け、東寺の慶賀門に到着です。
今まで知らなかったのですが、陸上100mで9秒台を出した桐生祥秀選手などを輩出した文武両道で有名な洛南高校は東寺の境内にあるそうですね。
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えました。
東寺と言えば何と言っても新幹線の窓からも見えるこの「五重塔」です。
東寺の象徴、京都のシンボルとも云われており、54.8mという、木造塔として日本一の高さを誇ります。
内部には、心柱を大日如来に見立て金剛界四仏像と八大菩薩像が安置され、壁や柱には金剛界曼荼羅や八大龍王、真言八祖像が描かれているそうです。
東寺の境内は、東西255メートル、南北515メートルの長方形です。
その寺域のなかで大伽藍が建っているエリアは、東西南北とも255メートルとほぼ正方形で、その中心に「講堂」は位置しています。
国立の寺院だった東寺を託された弘法大師空海は、人生のすべてを注いで、密教という教えを伝えようとしました。
その中心的な建物として位置づけたのが講堂です。
講堂には21駆の仏像が安置され、立体曼荼羅と呼ばれています。
東寺も清水寺や金閣寺などと並んで1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
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