若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

群馬県館林市(紅葉その5)

2010年12月03日 | ドライブ





11月28日(日)妻と二人で群馬県館林市の「つつじが岡第二公園」へ行って来ました。

城沼の南側は文字通りつつじで有名な「つつじが岡公園」ですが、城沼に西から注ぐ鶴生田川(つるうだがわ)の北側に「つつじが岡第二公園」があり、ここは「つつじまつり」期間中でも無料開放されています。

尾曳駐車場に愛車プリウスを停めて、先ずは旧秋元別邸の紅葉です。

いきなり見事な紅葉に驚かされました。









これは館林藩最後の藩主だった秋元家の13代、秋元春朝(あきもと・はるとも)当主の銅像です。

春朝は元来自然をこよなく愛し、粹人で村人からも親しまれたなかなかの好人物であったそうです。

この像は春朝が池に向かって投網し魚を獲るところで、建立は大正8年(1919)だそうです。









旧秋元別邸は普段は開放されていないようですが、ひなまつり、花菖蒲まつり、彼岸花まつりなどの期間中は一般公開されているそうです。









旧秋元別邸のすぐ隣に「館林市第二資料館」があり、敷地内には「旧上毛モスリン事務所」と、館林出身の自然主義文学者、「田山花袋の旧居」などがあります。

まずは「旧上毛モスリン事務所」を見学しました。

明治41年から43年にかけて建てられた木造二階建の擬洋風建物で、上毛モスリン株式会社の本館の事務所として使われて来たそうです。










改修工事のため1階だけしか見学できませんでしたが、美智子皇后の祖父であり、館林市第一号の名誉市民である正田貞一郎氏が日清製粉の社長時代(昭和10年代)に、鳥取県大山の麓にある会社の農場で場内視察のために使用していた馬車が展示されていました。









同じ敷地内の「田山花袋の旧居」ですが、ここの紅葉も素晴らしいものでした。

木造平屋建、茅葺屋根のこの建物は、自然主義文学作家の田山花袋(1871~1930)が7歳から14歳までおよそ8年間住んだ家です。









面積は22.5坪あり、玄関の土間に続いて三畳、左手に八畳二間、右手に四畳、裏に三畳の板間と土間の合わせて5つの部屋があります。








ふるさと館林と花袋のつながりは深く、とくにこの家は、花袋が館林の思い出を書き綴った作品『ふる郷』(明治32年刊)に”なつかしきこの家”と記されており、花袋にとって思い出多い家であったことがうかがわれます。









色合い、材質感、形、そのすべてに長い時間がしみこんでいる旧居と、この色鮮やかな紅葉のベストマッチングに暫し唖然・・・です。










「旧上毛モスリン事務所」内にあった「たてばやし城下町イラストマップ」によると館林駅の近くに「正田記念館」や「日清製粉記念館」があるので「善は急げ」とばかりに「正田記念館」に駆けつけましたが、あいにく、土日祭日は休館ということなので、またの機会に訪れることにしました。




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