若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

初秋の下仁田町で昭和レトロの少年時代に出会う

2018年10月11日 | ドライブ


10月8日(月)体育の日、妻と二人で愛車プリウスに乗って、群馬県甘楽郡下仁田町へ行って来ました。

上信電鉄の終点「下仁田駅」の駐車場に車を停めての散策です。

下仁田町はネギとコンニャクが有名ですが、古くから下仁田道(信州姫街道)の宿場町、そして物資の集積地として栄えてきたそうです。



上信電鉄上信線の終着駅である「下仁田駅」は明治30年開業で、関東の駅百選に認定されています。



直営駅で、終日駅員が配置されています。



貨物営業を行っていたころの名残で構内は比較的広く、側線が4本あり、夜間滞泊の場所として機能しています。



下仁田の歓楽街はこの旭町中央通りでした。

『全国花街めぐり』にはこうあります。

『戸数千五百位の土地で料理店(甲種)が三十二軒、芸妓が五十名近くも居るといふのだから、此の方面ではなかなか発展しつつある町であることを、想像するに難くなからう・・』



『全国花街めぐり』にも書かれていた「常盤館」という旅館が今も残っていました。

昭和初期、竹久夢二の旅の宿ともなりました。

こんにゃく料理や下仁田ネギのすき焼きが絶品だそうです。



細い路地を歩いて行くと右手に古い建物が見えてきました。



「撞球場(どうきゅうじょう)」と書かれています。

祝王ホールというビリアード場でした。

中を覗くとビリアード台が並んでいました。

(窓ガラスに映っている婦人は私の妻です。)



これは「パチンコ店」ですね・・・

「冨士ホール」と書いてあります。

まさに「昔のパチンコ店」そのものです。



パチンコ店前の「東陽軒」という中華料理店さんは営業していました。

こういう店のラーメンとか餃子は美味しいでしょうね・・・。

でも夜だけしか営業していないそうです。



「井上医院」というお医者さんが居たのですね。

きっと優しそうなお医者さんだったのでしょう。

取り壊し中でした。



このお店はソニーの電器屋さんから楽器屋さんに替わって、今は「舞夢」という喫茶店になったのですかね・・・。



現在営業中の「樋口写真館」。

見本の写真が結構レトロですねぇ・・・・・・。



「園部電気店」。

これぞレトロの極めつけ!!ですね。

ショーウィンドウには昭和40年代のテレビ・ラジオなどが展示されています。

もしかして骨董屋さんかな?



これはもちろん営業中でしょう。

「清和タクシー」とあります。



駅の展望場所から鏑川(かぶらがわ)を臨みました。

下仁田富士と呼ばれる大崩山(おおぐいやま)。

絶景ですが足元の鉄板が錆ているので壊れ落ちないかと恐々でした。



上信電鉄はその名の通り、上野(こうずけ)と信濃(長野)を結ぶ鉄道路線として建設され、その計画通りであれば長野県の佐久あたりとつながる山岳路線になるはずだったのですが、今も上信県境の山々の手前であるこの下仁田で止まったままなのだそうです。



最後に下仁田駅東側の倉庫群を見てみました。

立派な倉庫群は,この地が周辺物産の集積地として繁栄したことを物語っています。

錆び付いた看板には「東京海上火災 代理店」と書いてあります。



柵の向こうに赤レンガの倉庫が2棟あります。

この倉庫は旧上野鉄道(上信電鉄)関連施設で、下仁田倉庫と言います。

約100年前の建築物で当時は繭や生糸などを保管したり、繭乾燥業を営んでいたようです。


以上、昭和に生まれ昭和30年・40年代に多感な少・青年時代を過ごした私にとって、何とも感慨深い小旅でした。




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