若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

嵯峨・嵐山で紅葉狩りを愉しむー2日目

2020年01月02日 | 旅行


12月9日(月)京都の嵯峨・嵐山で紅葉狩りを愉しんだ妻と私は、翌12月10日(火)「ご清遊の宿 らんざん」を9時にチェックアウトして「きぬかけの路」を歩くことにしました。

宿から渡月橋へ向かう途中、妻は「アラビカ京都嵐山店」と言う人気のカフェに立ち寄りカフェラテを注文しました。

アラビカは、世界60カ国以上を旅した日本人オーナー(東海林克範氏)が厳選したスペシャルティーコーヒーを扱う、香港拠点の焙煎業者として2012年に香港でスタートしたコーヒー総合商社だそうです。

全国からコーヒーマニアが足しげく通っているほどの京都・嵐山にあるコーヒー専門店で、日本有数の観光地だけあって連日長い行列ができ、大盛況です。



京福電鉄嵐山線の嵐山駅に着きました。

嵐山駅には「キモノフォレスト(友禅の光林)」という小径があります。

京友禅を用いたポール約600本を林に見立て、駅空間の中に柔らかで、上品な美しい光に包まれた風景をデザインしたものだそうです。

そんな素敵な嵐山駅を9時40分発の京福電鉄に乗り込み、帷子ノ辻駅で北野線に乗り換えて10時6分に北野白梅駅に到着です。

北野白梅駅で荷物をコインロッカーに預けて、金閣寺まで歩いて行こう、との計画でしたが、改装中の駅にはコインロッカーがなくなったということなので止むを得ずバスを利用しました。



京都市バス金閣寺道で降りるとすぐに「黒門」が見えました。

金閣寺の正式名称は「 鹿苑寺 (ろくおんじ)」です。

鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺ですが、金箔が張り巡らされた舎利殿である金閣があまりに有名になったため、一般的に『金閣寺』と呼ばれるようになりました。

金閣がある鹿苑寺は、かつて西園寺家が代々受け継ぎ山荘を経営していた土地です。

その土地を室町幕府3代将軍・足利義満が譲り受け、舎利殿やそのほかの建物を造営し邸宅としました。



総門を入ると、いきなりの金閣で、その美しさにビックリさせられます。

金閣(舎利殿)の二層と三層には漆地に純金の箔が貼られ、屋根は椹(さわら)のこけら葺、頂上には金銅製の鳳凰が置かれています。

一層は「寝殿造り」で『法水院』(ほっすいいん)、二層は「武家造り」で『潮音洞』(ちょうおんどう)、三層は「禅宗仏殿造り」で『究竟頂』(くっきょうちょう)と呼ばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代を代表する建築物です。



鹿苑寺の庭園は、西園寺の庭園を改修して築かれた禅宗式の池泉回遊式庭園(池泉の周囲を歩いて回る形式の庭園)です。

背後にそびえる衣笠山(きぬがさやま)を借景とし、庭園の中心である鏡湖池(きょうこち)はほぼ円形で、西側には出島が半島状に伸びています。

池泉内には葦原島(あしはらじま)など大小様々な中島や、有力大名が献納した細川石や畠山石、赤松石などといった各地の名石が巧みに配されており、国の特別史跡及び特別名勝に指定されています。



江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が殊に佳いということから「夕佳亭(せっかてい)」と名付けられました。

「夕佳亭」で、まず目に付くのが茶室の正面にある「南天の床柱」と床の右脇にある「萩の違い棚」です。(画像が小さくてすみません。)

南天の床柱は、南天を使用した柱としては国内で最大の大きさの柱と云われています。

「萩の違い棚」は三角形の形状をした棚で、この棚の中央部に据えられている古い木は、梅の木の一種である「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の木です。



金閣寺と大勢の修学旅行生たちに別れを告げて「きぬかけの路」を西下すると、「立命館大学」の衣笠キャンパスが見えてきました。

少し疲れたので「平井嘉一郎記念図書館」内にある「タリーズコーヒー」でコーヒータイム。

ここで働く若く美しいスタッフの方は非常に親切な方で私たち夫婦の写真を気軽に撮ってくれました。



立命館から更に西下して10分ほどで「龍安寺」に到着です。

1450年(宝徳2年)京都にある徳大寺公の山荘を譲り受けた細川勝元が義天玄詔を招き創建した臨済宗妙心寺派の寺院が「龍安寺」です。

参道を進み、石段を上がると、正面に禅寺の特徴を備えた「庫裡」が見えてきます。

「庫裡」の前は御覧のように鮮やかな紅葉で彩られています。



「方丈(本堂)」の前の庭が世界的に著名な「石庭」です。

龍安寺の石庭の作庭年は室町時代と言われていますがはっきりとした事は分かっていません。

また龍安寺の石庭の作庭者も分かっていません。

龍安寺が有名になったのは、1975年にイギリスのエリザベス2世が訪日した時に龍安寺を見学され、石庭を見た時にあまりの美しさに大絶賛されたことからです。

「石庭」の東、南、西の三方向は油土塀で囲まれており、庭には白砂が敷きつめられ、15個の石が置かれています。

不思議なことに15個ある石がどこから眺めても必ず1個が他の石に隠れるように意図的に配置されています。



石庭以外の見どころで有名なのが、水戸黄門で有名な水戸光圀が寄進したとされる「知足の蹲踞(つくばい)」です。

この蹲踞は銭の形で、中央の口の所に水が貯まるようになっており、口を中心に4つの文字が書かれています。

中央の水穴を「口」の字に見立てて「吾唯足知(われただたるをしる)」と読む事ができます。

「吾唯足知」とは釈迦のお教えの一つで「限りなく求めるのではなく、自分の必要な物や必要量を知り、そして必要なもので満足する」という意味だそうです。



方丈を出て参拝の順路に従って石庭の南側の参道を西の方向に進みます。

納骨堂付近を歩くと見事な紅葉で目も眩むほどです。



境内南側一帯には「鏡容池」(きょうようち)が拡がっています。

平安時代の頃は、貴族が舟を浮かべて遊んだといわれています。

歴代の住職が植栽に励んだため、春の桜や秋のカエデが湖畔を彩り、夏には水面にピンクや黄色のスイレンが咲き、四季折々の風景を楽しむことができます。



かつてはオシドリの名所であり、鏡容池を中心とする回遊式庭園のほうが石庭よりも有名だったようです。

鏡容池では北側にそびえる朱山と衣笠山を借景にしています。

鏡容池は周りの山々も巻き込んでその美しい景観が生み出されているのです。



龍安寺から歩いて5分足らずで「仁和寺」に到着です。

『仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。』

徒然草第52段に登場する有名なくだりであるが今まで一度も訪れたことはありませんでした。

「古典は徒然草を何度も繰り返して読めばそれで充分だよ」とは高校時代の先生から教わったものです。

とは言え、これ以上、境内を見て廻る時間がなく、「二王門」だけを撮っただけになりました。

同時期に知恩院三門、南禅寺三門が建立されましたが、この2門は禅宗の造りに対して、仁和寺の二王門は平安時代の様式を受け継ぐ和様で統一されています。



二王門正面の左右に金剛力士像が安置されています。

二王門に設置されていることから「仁王像」と呼ばれています。

仁王像は仁和寺内に仏敵が入り込むのを防ぐために設置されています。

右側には口を開けた姿の仁王像 阿形(あぎょう)が怒りの感情を顕(あらわ)にした表情で安置されています。



左側には口を閉じた姿の仁王像 吽形(うんぎょう)が怒りを内に秘めた表情で安置されています。

「あ」と「うん」・・・・そうです!!・・・金剛力士像は、「阿吽(あ・うん)の呼吸」で仏さまを守っているのです。


以上で京都嵯峨・嵐山での観光を終えた私たちは、御室仁和寺駅発11時36分の京福北野線に乗り、撮影所前駅、太秦駅を経て京都駅には12時4分に到着。

新幹線乗り場で土産物や昼食の駅弁(柿の葉寿司)を急いで買い込み、京都発12時56分の新幹線のぞみ号で帰路に就きました。

妻と二人、今回も楽しい旅行でした。



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