若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

九州旅行1-長崎ー港と平和とレトロの街

2012年10月30日 | 旅行



10月24日(水)から27日(土)まで妻と二人で長崎・福岡方面へJRで3泊4日の旅に行って来ました。

九州方面へは二人とも高校の修学旅行で行ったことがありますが、なにぶん半世紀近く前のことであり、ほとんど全く記憶に残っていません。

24日の7時半東京発の新幹線に乗り込み、12時43分に博多に着き、博多から特急に乗り換え、午後3時前に長崎駅に到着しました。






駅からタクシーで最初に行ったのは「三菱重工業長崎造船所史料館」です。

史料館に利用されている赤煉瓦の建物は、1898年(明治31年)7月三菱合資会社三菱造船所に併設の「木型場」として建設されたもので、三菱重工業発祥の長崎造船所に現存する最も古い建物だそうです。

日本最古の工作機械や海底調査の泳気鐘、日本で最初の国産蒸気タービンの技術の進歩を物語る珍しい品々のほか写真等で長崎造船所の歴史的変遷を示しています。







三菱重工の史料館を見学したあとバスで長崎駅にもどり、バス停の横の急坂を昇ると「日本二十六聖人記念聖堂」です。

豊臣秀吉の禁教令により京都や大阪でとらえられた外国人宣教師6人と子供を含む日本人20名は長崎に送られ、慶長元年(1597)2月5日に、長崎西坂の地で処刑されました。

昭和36年列聖百年を記念して26聖人の殉教碑と記念館、記念聖堂が建てられたそうです。






翌日は朝の8時から長崎市内を市電と徒歩で散策しました。

最初に長崎駅前から市電に乗り、松山町で下車して平和公園へ行きました。

有名な「平和祈念像」です。

制作者は郷土出身の故北村西望氏で高さ9.7メートル、重さ30トンの青銅製です。

上に指した右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽くとじたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれています。





平和公園から「長崎の鐘」で有名な永井隆博士の如己堂(にょこどう)を通り、「浦上天主堂」へ。

キリシタン弾圧に耐え、明治維新後の禁教令廃止によって信仰の自由を与えられた信者らが、明治28年から30年の歳月をかけて建てた東洋一のロマネスク様式の大聖堂でしたが、1945年の原爆で崩壊。

堂の前にある被災した天使像が原爆の脅威を物語っています。

再建された天主堂からは、原爆の爆風に耐えたアンジェラスの鐘が1日3回響き渡ります。





浦上天主堂から坂道を下ると「原爆落下中心地公園」に到着。

原子爆弾が投下された長崎市松山町。

黒御影石の石柱が、原爆落下中心地を示し、周囲はこの上空約500mで炸裂したことを表す同心円の広場となっています。





平和への願いと「原発ノー」を胸に刻んで、私たちは松山町から再び市電に乗り込みました。

公会堂前で下車してコーヒータイム。

カステラの老舗「松翁軒」本店の2階にある喫茶室「セヴィリア」のレトロな雰囲気の中で珈琲を頼みました。

妻はもちろんカステラもご賞味されました。





セヴィリアの珈琲とカステラですっかり気分を良くした妻は、電車通りから少し引っ込んだ所にあるレトロな店「江崎べっ甲店」へ入って行きました。

長崎文化の歴史と共に歩んだ、海の宝石、べっ甲。

鎖国時代、長崎でのみ原料が入手できたことからべっ甲細工が栄え、丸山花街では花魁の装髪具として流行したそうです。

幸いにも妻は何も買わずに店から出てきました。





江崎べっ甲店から少し歩くと中島川。

この川には「眼鏡橋」(国指定重要文化財)や袋橋(市指定有形文化財)など、古い長崎の面影を残した沢山の橋が架かっています。

眼鏡橋は1634年、興福寺の唐僧黙子如定禅師(もくしにょじょうぜんじ)の手によって架けられたもので、昔は「日本橋」「錦帯橋」とともに三名橋に数えられたそうです。

川面に映った影が双円を描くことから「めがね橋」と呼ばれるようになったとのことです。





中島川に沿って海側へ歩いて行くと、そこには”甦った出島”がありました。

「出島和蘭商館跡」は鎖国時代西欧との唯一の窓口だった出島の町並みを、19世紀初頭の姿で再現したものです。

「一番蔵」「二番蔵」「旧内外クラブ記念館」など往時の建造物を復元するとともに、旧出島神学校や石造倉庫など明治期の建物を改修し、「出島史料館」や「出島シアター」として再生しました。





出島和蘭商館跡で異国情緒あふれる幕末の町を探訪しながら、出島の歴史や当時の生活の様子などを、楽しく学んだ私たちですが、さすがにお腹も空いてきました。

出島ワーフにある海鮮市場「長崎港」で潮風と、この景色を見ながらの昼食です。

港と船と長崎の街並みと、そして稲佐山の中腹にある今夜泊まる予定のホテルを見ながらの食事は最高でした。

午後からは、いよいよ長崎観光のハイライトであるオランダ坂やグラバー園です。



東京駅ー復原された赤レンガ駅舎を見る

2012年10月10日 | 電車でおでかけ




10月8日(月)妻と二人で久しぶりに東京へ行ってきました。

行き先は創建当初の姿に復原された東京駅とフーテンの寅さんでお馴染みの葛飾柴又です。

まずは東京駅から。







1914年に創建された駅舎はもともと3階建てでしたが、1945年に戦災で南北のドームと屋根・内装などが焼失しました。

戦後の復興工事によって2階建ての駅舎となりましたが、それを3階建てに戻したのです。

写真は丸の内南口のドームです。







ドーム3、4階と天井は干支(緑色の部分)や約2.4mにもなるワシの彫刻なども復原されています。







南口を出て「丸ビル」の前から東京駅を見たところです。







2002年9月に新しく生まれかわった丸ビルです。

”国際的なビジネスの活躍の舞台として、そしてショッピングやグルメ、カルチャー、エンターテインメントが楽しめる場”・・・と言うのが「丸ビル」のコンセプトだそうです。







北口方面へ歩いていくと2007年9月に竣工した「新丸ビル」です。

コンセプトは“素敵な時間”。

上質感あふれ、個性豊かな約150の商業店舗が集積しています。







東京駅の中心部にある看板です。

ここで皆さん記念撮影ですが・・・・

大勢の人が見ている前で・・・恥ずかしくないんですかね・・・・

こちらは看板だけを撮りたいのに・・・・次から次へと・・・見たくもない顔が・・・(笑)








赤煉瓦駅舎内の東京ステーションホテルもリニューアルされ、10月3日にオープンしました。

かつて松本清張は209号室(現2033号室)を定宿にし、ここで「点と線」のトリックを生み出したと言われています。

今回の改装で、部屋数も150室になりましたが、宿泊料は一泊2万5000円以上だそうです。

東京駅はこれぐらいにして次は葛飾柴又界隈を見ようと、上野駅から常磐線に乗って金町へ向かいます。