
12月28日(水)妻と二人で神戸・三ノ宮に来て旧居留地、南京町、元町商店街を見て廻ったあと、いよいよ北野異人館街に向かいました。
北野地区と旧居留地を結んで南北に走るトアロードは、”神戸のハイカラ文化”発祥の地でした。
神戸の代表的な観光スポットとなっている異人館街はかつて外国人が生活した街、海岸通り一帯の旧居留地は彼らのオフィス街、そしてトアロードが通勤路でした。

トアロードを北に歩き、途中、横道にそれて生田神社の境内を通り抜け、北野坂を昇ります。
ほどなく左手に有名な「神戸にしむら珈琲店」。
10年ほど前に妻と二人で神戸に来た時に立ち寄った懐かしい店ですが今日は元町商店街のドトールで珈琲を飲んだので、ここは素通りです。

北野通りにさしかかり、右折するといよいよ北野異人館街です。
以下、各々の異人館の解説は異人館ネットを引用させていただきます。
先ずは左手に「旧パナマ領事館」です。
白亜の壁に緑の柱や桟が映える建物は、元パナマのカルロス領事の執務室であり、生活空間でもあったそうです。

北野通りをはさんで「旧パナマ領事館」の向かい側に「英国館」。
イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館で西部劇でもおなじみの典型的なコロニアル様式です。

「英国館」の隣に「仏蘭西館」(洋館長屋)。
2件が左右対称に建つ風変わりな建物です。
元は外人向けのアパートでしたが、現在は展示品をフランスの美術や調度品で統一しているそうです。

「仏蘭西館」の隣が「ベンの家」。
異人館の中でも建築の古さは屈指で堀、壁、窓枠に至るまで、明治35年建築当時のまま残されています。
かつて英国の狩猟家ベン・アリソンが住んでいて、彼が世界各地で射止めた動物の剥製が展示されているそうです。

急勾配の石段を登るとすぐ左手に「ラインの館」。
この建物は大正4年(1915年)に建築されましたが、木造二階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいます。
唯一、入館料は無料です。
横浜山手西洋館のほとんどが入館料無料なのに比べると神戸北野異人館はほとんど有料ですね。

「ラインの館」の隣が「神戸北野美術館」です。
当美術館は、震災で傷ついた異人館ホワイトハウス(旧米国領事館官舎)を修復し、1996年11月から新たに美術館としてスタートしたそうです。
現時は、兵庫県出身のイラストレーターで絵本作家、永田 萌さんの作品を、原画中心に常設展示しています。

北野通りにもどり、「旧パナマ領事館」の横の急坂(天神坂)をハアハア言いながら登ると右側に「パラスティン邸」です。
白と緑のツートンカラーが優しい印象のこの館は、明治末にロシアの貿易商によって建てられたものだそうです。

天神坂を更に登るとあの有名な「風見鶏の館」のある「北野町広場」に到着です。
「風見鶏の館」はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が自邸として建てた建物です。
また先頭のうえに立つ風見鶏はよく知られ、今では北野町の象徴として欠かせない存在になっています。

「北野町広場」で親切なボランティアのオジさんに夫婦二人の写真を撮ってもらって気分を良くしていると、広場の奥手に見えたのが「萌黄の館」。
明治36年(1903年)アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として建築されました。
その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となったそうです。

「北野町広場」から「石畳の小径」に入りすぐに左折して急坂を登ると「オランダ館」です。
旧オランダ領事館として使われていた大正中期の寄せ棟造りです。

「オランダ館」のすぐ上に「デンマーク館」。
デンマークにあるバイキングミュージアムやアンデルセンミュージアムの協力を仰ぎ、北欧デンマークの歴史や文化を紹介しています。

「デンマーク館」の右手には「ウィーン・オーストリアの家」。
作曲家モーツアルトをテーマにオーストリアの文化などを紹介しています。
館内は19世紀後半の貴族の家を再現し、女帝マリア・テレジアの肖像やロココ調の衣装などを展示しています。

「おらんだ坂」に入り、更なる急坂を登ると「うろこの家」が見えてきました。
「うろこの家」は最初に公開された異人館で、国指定登録文化財です。
外国人向けの高級借家として建てられました。
建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから“うろこの家”の愛称が生まれ、親しまれています。

「うろこの家」のすぐ隣に「山手八番館」。
塔状の家屋が3つ連なる風変わりな建築(チューダー様式)で入口上部のステンドグラスの美しさは格別です。
館内は彫刻と版画と仏像を3本の柱にした名観で、芸術の香り高い館です。

「山手八番館」の奥が「北野外国人倶楽部」です。
開港当初、外国人居留地に建ち、外国人たちの社交場として賑わいました。
その名残は、暖炉や豪華な家具調度品にとどめています。
屋外には欧風庭園が広がり、一角には瀟洒なミニチャペルが建っています。

「外国人倶楽部」の裏手に廻ると「旧中国領事館」があります。
中国の政治家・王兆銘 (1883~1944年) が1940年、南京に親日政府を樹立したとき、中国領事館として神戸に建てたものだそうです。

ここからは不動坂を下ります。
左手に「イタリア館」(プラトン装飾美術館)です。
当異人館は大正の初期に建てられた歴史的伝統建造物です。
日常生活空間の中に本物の絵画、彫刻、家具、調度品などの展示品は全て18~19世紀のアンティークです。
又、南庭にはプールを中心とした南イタリア風のテラスがあり、19世紀頃の大理石の柱や古い砂岩石のコラム花と彫刻物のなかにカフェテラスも併設しています。

「イタリア館」を更に下ると「石畳の小径」との境目に豪邸があります。
1892年(明治25年)にチャン氏の自邸として建造された西洋館ですが、1985年まで居住していたユダヤ系シリア人貿易商デヴィット・サッスーン(1910年~1991年)の名をとり、一般に旧サッスーン邸と呼ばれています。
現在、一般公開はされておらず、館内に設置されたチャペルと100坪の芝生庭園を使ったウエディングの会場として利用されています。

異人館巡りもいよいよ大詰めです。
北野通りにもどり、北野坂を下り「異人館通り」を西に歩きます。
まもなく右側の石垣上に「旧グラシアニ」が見えてきます。
明治41年にフランス人貿易商グラシアニの自邸として建設されたコロニアルスタイルの西洋館です。
現在は広い中庭に面するガーデンテラスを利用したフレンチレストラン、喫茶店として、一般に公開されています。

更に歩くと「シュウエケ邸」です。
「シュウエケ邸」は英国の建築家A・N・.ハンセルによって1896年に設計・建造された邸宅です。
現在もシュウエケ家が建物の二階部分を使用していますが、地域の催し物やチャリティなど、特別なイベントが行われる時に限って、一階部分と庭園が一般に公開されています。

トアロードにもどり、三ノ宮駅方面に向かうと、ほどなく右側に立派な中華料理店が見えてきます。
東天閣(旧ビショップ邸)は現存する最古の神戸異人館(1894年築)です。

これで私たちの北野異人館街めぐりは終わりです。
最後に風変わりな建物がありました。
「北野工房のまち」という旧北野小学校の校舎を利用したもので、館内にはアンテノール、ゴンチャロフ、UCC、ベニール、モロゾフ、神戸美人ぬか本舗といった神戸ブランドの著名店が20余り入居しており、販売を行っているほか、各店で革小物や化粧品、ピッツァ、珈琲、パン等の製作を体験できます。

かつてトアロードは神戸のメーンストリートでした。
進取の気風に富んだ神戸っ子は、トアロードを行き来する当時の外国人のライフスタイルを積極的に自分たちの生活に取り入れ、多くのハイカラ文化を日本中に発信してきたのです。
「北野工房のまち」は往時の繁栄をもう一度と、トアロードの復権を願う商店会の皆さんや神戸市、地元業界団体などが協力して平成10年に開設したものなのです。

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