たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-「「おなご」という視座-囲炉裏について」(1)

2021年11月26日 17時09分51秒 | 本あれこれ
小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-「むらのなかの声を聞く」(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cddfb6622f5915b530e074e7e9f30695




「囲炉裏(ひびと)には、家族が集まった。囲炉裏にもえる火にぬぐめられ、鍋に煮える食物によって、いのちをつないでいた。暖をとることも、食物の煮炊きも囲炉裏が果たした。ましてこの地は、長い長い冬をのり切らねばならない。

 人のくらしは、囲炉裏を中心に成り立っていたといえよう。

 (略)

 囲炉裏をかこんでのよもやまばなし。囲炉裏は一家団らんの象徴であった。「炉」がないのが物足りないという重助老人は、この「一家団らん」がなく物足りないと、言っているのかもしれない。

 囲炉裏のように、煙も出ず、煤で家屋が汚れる心配もなく、ガスコンロには、一度に鍋が二つもかけられる。魚も焼くことができた。スィッチを入れておくと、ご飯は炊けている。冬ながら、炬燵がありストーブがあった。すべてが備えられ、飢えもないのに、重助老人は物足りない。

 それは、田植え機械が入って、村の田植えが静かになった状況と似ていた。田植えの時期、村々をおおっている一種殺気立つまでの興奮。どなられる子ら。火がついたように泣き出す赤子もふくめて、広い水田の方々に田植えの一団があった。

 終日、水の張られた田んぼに腰をかがめての手作業は、顔もむくみ、手もはれる。そのきつい労働をはね返すほどの、高笑いとワイ談。人におくれをとるまいとする、植え手のてさばきと技。並んで畔に上がろうと、おくれた者に手をそえるなごみ。それらはすべて、「きつい労働」に、セットされてあるものだろうか。

 1953(昭和28)年、丸岡秀子氏は、その著書『女の一生』のなかに、こう書いておられる。農家の嫁は、5月の農繁期ともなれば、野良仕事に15時間。家事労働に4、5時間。約20時間ぐらい働き通しの一か月であるため、たいていの嫁は目方がへりやせるが、その「やせ方」が、いい嫁の身本とされた、と。そんな極端なことがあるかと、常識第一の世間は騒ぐだろうが、「日本の農業は、嫁をはじめ、女の過重なる労働の上になりたっている。その過重な労働は、手労働で身体をすり減らし、家にしばられて人間性もみとめられず、いわば体(てい)のいい奴隷みたいな境涯である。日本の農業は女奴隷の上になりたっている」とも、書いておられる。「奴隷」ということばにはなじめないが、わたしの母なども、その典型として生きてきたから、40歳になるかならぬうちから、腰をかがめていた。

 おなごたちを、「過重なる労働」から解放すべく購入した田植え機械は、その稼働力において、人の10倍もの力を発揮した。が、「過重なる労働」に付随する、高笑いも、なごみも、赤子の声も、共に消し去った。それは当然のことであったろう。だが、予期しないことだった。はぐらかされたようで、なにか物足りない。

 (略)

 丸岡秀子氏の「日本の農業は女奴隷の上になりたっている」ということばを「至言」と受けて、山下惣一氏は、20年たった今日の常識からすれば、隔世の感があるとしながらも、「今も、たいして変っていない」と、その著書、『いま、村は大ゆれ』(ダイヤモンド社、1987年)のなかで、言っておられる。山下氏は、水田、タバコ、ミカン作りにと、自らも農業をやってこられた方だ。「オレの女房だけには、そんな苦労はさせない。」と思ったという。が、その熱い熱い願望通りにはいかなかった。

「農村のくらしのルールは先着順の民主主義である。」と、山下氏は言う。村の言葉で、「順々送り」。つまり、「子供が生まれる。命名は親がするのではない。爺さんである。これが順々送りの論理だ。」と。「子供が生まれるころは、一番の働きざかりの年頃である。その”渡世ざかり”の者が、べんべんと子供にかかりっきりになっていては百姓はできない。」かくして「若い母親は心を鬼にして、子供を祖父母の胸に押しつける。」「若い者は農作業に精を出し、老人たちは日日を生きる張りあいを得てきた。幼い子供たちは、父母にないよさが祖父母にあることを知り、その育て親が先に死んでいく悲しみも体験する。」だから、「先着順の民主主義」には、当然「嫁は苦労するべしというある意味では陰惨な」ルールもあるのだという。その陰惨なルールは、5年も10年もつづく。それにいまの若い女性は耐えられない。ゆえに、「嫁ききん」なる社会現象を生み出しているのだと。

「社会が日日の安逸を求めて動いている中だけに、その無残な日常はいっそうきわだつ。

 農家の嫁ききんの本質は、経済的な面や労働のことよりも、むしろ、この徒弟制度にも似た暮らしのルールへの拒絶なのである。このルールが生きていく限り、農家はほろびない。そして嫁ききんは続く。このルールが破たんした時、農家の嫁ききんは解消し農家はほろびる。そして、この国の暮らしの土台は崩れる。そんな気がする。」と。

 農家の嫁のくらしを、「徒弟制度にも似た暮らし」と山下惣一氏が言い、丸岡秀子氏は、軍隊にもたとえられる場とみる。

 経営主の隊長。将校格の姑。夫は伍長で小姑たちは上等兵。親類の予備・後備兵が「初年兵」である嫁さんの働きぶりを見ている。

 農家の嫁にかぎらず、それは、職場についてもいえることだった。人事異動などで職場が変われば、なれない「仕事」の手だてを覚えること、はじめての課の人間関係になじむことで、およそ一年は、借りてきた猫のような姿勢であった。目方がへり、涙することもたびたび。それは40歳になろうとも。「仕事」の上で、目上としてあれば、いくら昼休みに、一緒に過ごそうと平らな気持で言われても、せめて昼休みだけでも、同じ課内の「和」から解放してくれと言いたいだろう。三つも四つもとび越えた日ごろあまりかかわりのない、課の同僚たちにまじって、放り投げられている自由を好むだろう。もちろん、「職場」は、「農家の嫁」の比ではなかったが、異動は4年おきぐらいでなされる。そのようにして、人は確かに、人の痛さを知る。

 (略)

「日本の農業は嫁をはじめ女の過重なる労働の上になりたっている」という認識においては、丸岡秀子氏も、山下惣一氏も変わりなかった。が、丸岡氏は、1953(昭和28)年に「嫁」の身に象徴される、過重な労働と、しばられている身からの解放をと叫び、1978(昭和53)年の地点で、山下氏は、「嫁」は苦労すべしという徒弟制度にも似た暮らしがなくなれば農家はほろびるのだと、とらえている。この差異の深さは、おふたりが主張される25年間の隔たりの、どのあたりに由来するのだろう。

「兼業農家では嫁をめぐってのいさかいが非常に少ない。もめごとが起きるのはきまって専業農家である。」という。「嫁」の身がいささかなりと、解放にむかえば、農家がほろぶとは予期しないことだった。かりに、予期できたとしても、もちろん「解放」の質が問われるべきだろう。

 きつい労働からの解放をと願って購入した田植え機械が、農村からにぎやかな田植え風景をも消し去った。そのことに、またしても思いが走る。」

                          →続く

(2012年1月6日、日本経済評論社 発行『自分の生を編む』、158-162頁より) 

『あさの絵本』

2021年11月26日 01時01分20秒 | 本あれこれ


 谷川俊太郎/詩、吉村和敏/写真『あさ/朝』の大型本、『あさの絵本』が10年ぶりに重版となったそうです。吉村さんがブログに書かれています。

「あさの絵本」重版・YouTubeの動画
https://kaz-yoshimura.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-f82683.html

 わたしは『あさ/朝』を持っています。2011年4月29日付の吉村さんのサイン入り。東日本大震災のあと、不安と恐怖におののきながら池袋で開催された吉村さんの講演会に出向き、終了後のサイン会でサインしてもらいました。プリンス・エドワード島、ケベック、ノバ・スコシアで撮影された美しい東カナダの風景と谷川俊太郎さんの詩。大会社にいくのがつらくてつらくて仕方なかったころの朝、電車の中で開いていました。いつか子どもたちに絵本のよみきかせをしたいというのは数年前からのわたしのささやかな、叶いそうにない夢。

 つらいニュース、不安なニュース、心配なニュース、怒りを禁じえないニュース、そして生まれる前からの右足股関節脱臼で緊急性はないものの手術をしないかぎりこの先生きのびていくのはきびしいであろう事実に心が疲れきってしまっています。体がすごく疲れているはずなのに頭と心はさらに疲れてしまっているようです。眠らなければならない時ほど眠ることができず、ウトウト夢をみつづけています。今夜は眠れるように谷川俊太郎さんの詩で一日を終わりたいと思います。

「-朝のリレー-

 カムチャツカの若者が

 きりんの夢を見ているとき

 メキシコの娘は

 朝もやの中でバスを待っている

 ニューヨークの少女が

 ほほえみながら寝がえりをうつとき

 ローマの少年は

 柱頭(ちゅうとう)を染める朝陽にウィンクする

 この地球では

 いつもどこかで朝がはじまっている


 ぼくらは朝をリレーするのだ

 経度から経度へ

 そうしていわば交替で地球を守る


 眠る前のひととき耳をすますと

 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

 それはあたなの送った朝を

 誰かがしっかり受けとめた証拠なのだ」