たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

雪組『CITY HUNTER』『Fire Fever』-10月5日東京宝塚劇場(2)

2021年11月05日 16時20分09秒 | 宝塚
雪組『CITY HUNTER』『Fire Fever』-10月5日東京宝塚劇場
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b6ab6c0f95aa0f858db79f46dad34d34

『CITY HUNTER-盗まれたXUZ-』

 警視総監の娘で敏腕刑事の彩みちるちゃん、わたしがこれまでみた中で最高に綺麗でした。スリット深めのスカートの太ももからナイフを出すところがカッコよくて筋肉がきれいに締まった脚もすごく綺麗でスタイルよくてかっこいい。右足を左足に添えて立っている時のポージングに全く隙がなく、咲ちゃんの冴羽僚との関係性も、ソファの上でイチャイチャしたり、仕事をさせるために手錠をかけたりといろいろで切手も切れない仲がいい感じでした。最後はあーさと結ばれる? 

 みちるちゃんのお父さんで警視総監の奏乃はるとさんが総理大臣に電話する場面、間が抜群で芝居のうまいこと、うまいこと。すごく楽しんでやっていらっしゃる、キャラクターに自身をのせるのがうますぎます。この方と副組長の千風カレンさんが支える雪組の舞台はとてもない安定感があるとあらためて思いました。物語の最初の方で綾凰華くん演じる希和ちゃんの兄を撃ち殺してしまう敵役の真那春人さんの芝居もうまくて漫画のキャラクターとしての面白さの幅を残しているところが絶妙。綾凰華くんが、最後に香が自分を撃った真那春人さんを撃とうとする時幽霊としてそっと背中から銃に手を添える場面、キュンキュンしました。

 英真なおきさんが体調不良で休演と発表され花組公演に続いて専科より出演された夏美ようさん、ハードなスケジュールで少しお瘦せになった?英真なおきさんも心配。プログラムを読むと途中まで英真なおきさんが創り上げた海原神というキャラクターを夏美ようさんが引継ぎさらに成長させた、お二人の魂がこもった海原神として舞台に登場することになったとのこと。咲ちゃんの育ての親であり咲ちゃんをずっと大切に思いながらも最後咲ちゃんに撃たれるという役どころ、ナウオンステージで咲ちゃんが本当に自分を愛してくださっていると話しています。歌劇が誇る二人の怪演により生まれたとは齋藤先生の談、なるほど。

 それにしても縣千くんが演じる海坊主、インパクトあり過ぎました。一度だけサングラス外す場面がありまだ若いと再認識。新人公演では冴羽獠を演じてこれからが楽しみな若手。

 昨日一か月ぶりで観劇して物語とキャラクターが一回目よりわかってさらに楽しめました。まだ書きたいことがあり、ショー『Fire Fever』もあわせて11月4日の観劇録に譲ることとします。

















10月25日に閉店したMUJICAFEでおそいお昼ごはん&早い夜ごはんをいただきました。









日比谷シャンテのステージ衣装展より。




仕事帰りに『ニュージーズ』のプログラムを購入した時の日比谷シャンテ、キャトルレーヴ前。
咲ちゃんから希和ちゃんへの直筆メッセージ。











 現実を考えると生きていても暗黒の未来しかないことに涙が出てきて生きる気力をなくしてしまいそうなので、まだ明日食べるものがないわけではないのをいいことに現実逃避を続けています。折り畳みの杖を使わないと電車とバスでの移動がきついのに席譲ってくださいみたいになるのに抵抗があってなかなか買えないのはまた別の話・・・。

ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者」(2)

2021年11月05日 00時53分43秒 | ミュージカル・舞台・映画
ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/569b31e5b2654d9a66d1543353fe4644

(公演プログラムより)

「『ニュージーズ』-19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者 君塚淳一(筑波大学アメリカ文化)

-1890年代という時代-

 都市周辺にはスラム街もできたし、ニューヨークは移民した書くエスニシティ(民族集団)によりブロックが分かれ、多民族がひしめく街になっていく。例えばこの時期、ロウアー・イースト・サイドには東欧から押し寄せたユダヤ人が、リトル・イタリーには特に南イタリアから来たイタリア人が、チャイナタウンには中国人と、それぞれの言語や文化そして宗教があった。その一方、当時の高級住宅地にあたるハーレムには(のちにはゴーストタウン化してアフリカ系の街となる)、オペラハウスもあり、高給取りの職種の人たちが住み始めていた。都市の発展と産業、そして貧富の差、移民、多民族が織り交ざる混沌こそ19世紀の世紀末なのである。

-自由の女神の建立とピュリツァー-

 忘れてはいけないのがアメリカの象徴「自由の女神」とピュリツァーとの関わりだ。アメリカ独立100年を祝いフランスから贈られたこの像は、1884年に到着後、台座が資金不足で間に合わず、ようやく1886年に完成した。1890年代後半には、移民船に乗って長い航海で疲れ果てた新移民たちが、まずリバティ島に立つこの自由の女神を見つけ、アメリカに着いたことを実感し、リバティ島横の移民局があるエリス島に上陸、検査を受けてパスできれば入国という、移民にとって忘れられない光景となった。

 この自由の女神の”台座建立資金援助の寄付”が、ジョセフ・ピュリツァーがオーナーである「ニューヨーク・ワールド」紙を通じて国民に呼びかけられた。このことは、ピュリツァーの多くの伝記で偉業として語られる。ユダヤ系ハンガリー人として生まれたピュリツァーは、南北戦争の兵士募集を見てアメリカへ渡り、従軍後、セントルイスで新聞社のレポーターから始め、語学も執筆スキルも努力で身につける。妻が南北戦争時の南部連合の大統領ジェファーソン・ディヴィスの親類だったため援助はあったものの、新聞社のオーナーにまでなった苦労人である。ただ、結婚を反対されるからと、ユダヤ人であることを相手家族には隠していたという、したたかな面もあった。『ニュージーズ』には悪役として登場する彼が、自由の女神の台座の資金集めのみならず、世界的に有名な「ピュリツァー賞」で一般的には知られている。またニュージーズたちのストライキの頃は、視力がかなり落ち、体の不調も深刻であったことも伝記では明らかにされている。」

                                →続く