たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「官房機密費1日307万円使い続けた菅氏 後年公表の仕組みを」

2021年11月17日 15時17分06秒 | 気になるニュースあれこれ
「内閣官房報償費(官房機密費)の「政策推進費」は、領収書を必要とせず、官房長官の判断で支出できるブラックボックスのお金だ。赤旗が情報公開で手に入れた文書によると、菅義偉首相が官房長官在任中の2822日間に支出した総額は86億8000万円に上る。

 これは1日当たり平均307万円を使い続けていたという途方もない額だ。政府には一定程度、機密性が高いお金は必要だと思うが、全くチェックされずにこの金額が支出されているというのは許されない。国家財政が厳しいなどと言っているさなかに、いつまで高額な使途不明金の支出を放置しておくのか。」

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210222/pol/00m/010/006000c

 2021年2月24日付の毎日新聞の記事。無料で読めるのは途中までなのですが、これも今可視化されていくべき問題。

 話題の「文書通信交通滞在費ぶんしょつうしんこうつうたいざいひ」とはなにか、コトバンクより抜粋。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%BB%9E%E5%9C%A8%E8%B2%BB-679944


「給与やボーナスにあたる議員歳費(年間約2100万円)とは別に、国会議員に毎月100万円支給される公費。電話代、郵便代、交通費、東京での滞在費などの名目で支給される。略称は「文書通信費」「文通費」。国会法第38条の「公の書類を発送し及び公の性質を有する通信をなす等のため、別に定めるところにより手当を受ける」という規定に基づき、「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律(歳費法)」第9条によって支給が定められている。

領収書の添付義務や、使途の報告・公開義務もなく、目的外使用への罰則もない。このため使い道が不透明なうえ、「経費」か「手当」なのかの位置づけさえはっきりしておらず、国会議員の「第二の給与」や「議員特権」と揶揄(やゆ)されることが多い。」

 維新の会が問題になってから?以前から?HPに領収書のPDFと共に用途を公開しています。2021年7月をみただけでも必要経費として使われているのは一部、半分ぐらい、半分以上は党への寄付とされています。10月分だけ返還とか、寄付とかはまやかしにすぎません。必要経費は領収書を提出して事後精算するなり仮払いを受けて領収書を提出して相殺するなりが民間の一般常識、公費ならばいっそう厳密の行われるべきであるはず。制度の抜本的な見直しが必要と思います。この機会にどんどんうみがあぶりだされて可視化されていくべきだと思います。心の血を流しながら稼いだささやかなお給料から税金も社会保険料もどっさり天引きされてしまうというのに、それでもわたしたちは生きていかなければならないというのに、数十円、数百円の文房具ひとつだって管理されているというのに、桁違いのお金が非課税の完全スルーで湯水のように使われ続けてきているというのはどういうことなのか。こんなに自浄作用が働いていないってすごくおかしいです。


 2014年に全くそんなつまりはなかった労働紛争となってしまった時、社会の仕組みは弱い立場の者を守るためにあるのではないと知り、日本はこんなにもダメな国なのかとわかって愕然としました。社会の仕組みは強い者のためにあるとは世田谷事件遺族の入江杏さんのことばですが、自分が身をもって体感することがないとなかなかわからないことなのかもしれません。弁護士は法の番人であるべきだなどと言いますが、権力を手にした強い立場の人たちが自分のたちに都合のいい法律をつくり、見直すと都合が悪いから見直されることもないまま脈々と続いてしまっているということになります。こんなことを許してしまっているのは結局わたしたちなのかもしれません。労働紛争の経験で知ってことを話そうとするとそんなことばっかり言ってないでって言われました。いやいや政治ってわたしたちの暮らしそのものなのに、選挙の投票率の低さとか、結局そういうことなのかなあと思ったりします。マスゴミが維新の会をやたらと持ちあげるのにもすごく違和感があって、違和感ありすぎ、吐きそうなニュースばかり、わたしらが無知なだけでわたしらがこうして知ることは氷山の一角で、知らないところでなにかほんとにすごくおかしなことが起こり続けてきているという気がしてなりません。

 これからどうなっていくのか、生きていくことに希望がもてませんが死ぬことはできない、タイムカードによって管理される働き方でしか稼ぐ術を知らないので、自分を食わせるために倒れようとも出勤して稼いでどっさり天引きされても甘んじて生きていくしかありません。

『果樹園のセレナーデ』-ルウシイ・モンゴメリおぼえがきより

2021年11月17日 00時50分17秒 | 本あれこれ


「(1911年の冬)祖母の死とともに、古い郵便局の家も閉ざされ、ルウシイはパーク・コーナーのジョン・キャムベル叔父の家に移っていった。そして、その年の7月、長い長いあいだの愛人マクドナルド牧師と結婚した。この時、ルウシイは37歳、マクドナルドは4つ年上だった。

 彼はそれまでに各方面の一流教会から牧師として招聘されたのだが、ルウシイの近くにいたいばかりに、それら有利なポストは全部辞退して、ささやかな教会を牧することで満足していた。

 37歳の花嫁は年よりもはるかに若々しくういういしかった。エワン・マクドナルドの眼には初めてキャベンデッシの郵便局へ切手を買いに行った日に見た黒い髪の毛で青い眼をした若い娘と少しも変わっていなかった。年月も名声も彼女をそこなわなかった。

 ルウシイ・モンゴメリの人生観が彼女の青春を保つ原動力だったのだ。なにが一番貴いかをルウシイはいつでも精神的の評価できめていた。

 ある時こんなことを書いていたー

「小さい時から私は理想美というようなものにあこがれを持っていました。毎日毎日の雑事雑用にかこまれながらも、私は自分が肉眼では見えない理想の美しい世界に、非常に近く住んでいるような気がしてならなかったのです。
 
 その世界と私のあいだには薄いヴェールがかかっていました。けれど、折々ふっと風がそのヴェールをゆすぶって、私に美しい国をちらりと見せてくれるのですーほんの一目だけですーけれど、その美しい世界をかいま見るだけで、生きていることが嬉しくなるのです」

 新婚旅行には夫妻の先祖の故郷スコットランドへ行った。観光気分を満喫した夫妻はやがて、9月にカナダへ帰って来た。」