ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-2021年10月24日観劇(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b4be59a475db5836fc63d48c75bc3712
2021年10月27日付Musical Theater Japan
『ニュージーズ』観劇レポート:困難に立ち向かう少年たちの“生き抜く力”
https://www.musicaltheaterjapan.com/entry/2110-8
(公演プログラムより)
「『ニュージーズ』-19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者 君塚淳一(筑波大学アメリカ文化)
『ニュージーズ』の舞台は1899年という、まさに19世紀の世紀末。20世紀を直前に控え、それは”混沌”という言葉で表せる時期だ。なぜなら南北戦争はづでに30年以上前に終わってはいたものの、政治や経済そして文化にその影響を落としていたらかだ。めまぐるしく変わるこの時代のアメリカ社会は急速な産業と経済発展の中、”適者生存”という社会的変化に順応したものが生き残るという考えが浸透した。戦後のこの経済的強者が弱者を支配する流れは、アメリカに資本主義の発展と同時に、都市に様々な影の部分も作り上げていたのだ。
-幼い労働者たちと都市の発展-
新聞の売り子たちは少年だけでなく、時には少女もおり、「号外、号外、大ニュース」と声をあげる彼らの中には、6歳ごろから新聞を売っている子もいる。夜中に新聞社に集まり、朝刊が刷り上がるのを待ち、自分の縄張りで売りさばく(『仕事をする子供たち』1994年)。19世紀末から20世紀初頭のアメリカの様々な児童労働について、ルイス・ハインの写真をもとにラッセル・フリードマンが解説したこの本の中には、炭鉱や缶詰工場また紡績工場や靴磨きとして働く10歳にも満たぬ少年少女とともに、新聞売りの子どもたちも載せられている。
彼らこそ”ニュージーズ(新聞売り)”で、当時はニューヨーク以外にもシカゴなど発展する大都市でも活躍していた。ハインは続ける。「彼らは給料制で雇われではなく、新聞を自分で買い付けて、自力で売るから、売れ残れば赤字になる」と。彼らの多くが貧しく学校にも行けず、家族がいない者も少なくはなかった。
-1890年代という時代-
南北戦争(1861-65)後のアメリカは工業化へと突き進み、その指導権を握ったのは農本主義を倒した北部であった。石油がエネルギー資源となり、鉄道が敷かれ、鉄鋼業が重要産業となっていった。鉄鋼王
アンドリュー・カーネギーや石油王ジョン・ロックフェラー、そして鉄道王のジェイムズ・ヒルをはじめとする大金持ちも誕生し、格差社会を次々と生み出した。
このミュージカルの舞台ニューヨークでは、ブルックリン橋(1883年)、ウィリアムバーグ橋(1903年)などが次々に開通する。都市は発展し、中でもニューヨーク市(マンハッタン島)には、この時期、ヨーロッパから多くの移民が流れ込んだ。それもそのはず。マンハッタン島の左下には1890年に建設が開始されたエリス島が、新たなアメリカの東玄関口の移民局として、1892年より使用開始されたからだ。
特に1880年以降にヨーロッパから大量流入した移民たちは、それ以前の旧移民に対し新移民と呼ばれ、英語は話せず技術もなく同化にも苦労した人たち。新移民は仕事を選べず、保証なし低賃金で長時間労働でも搾取工場で働いた。生き残るためには家族総出だから、ニュージーズのような子どもたちも重要な稼ぎ手となった。」
→続く
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b4be59a475db5836fc63d48c75bc3712
2021年10月27日付Musical Theater Japan
『ニュージーズ』観劇レポート:困難に立ち向かう少年たちの“生き抜く力”
https://www.musicaltheaterjapan.com/entry/2110-8
(公演プログラムより)
「『ニュージーズ』-19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者 君塚淳一(筑波大学アメリカ文化)
『ニュージーズ』の舞台は1899年という、まさに19世紀の世紀末。20世紀を直前に控え、それは”混沌”という言葉で表せる時期だ。なぜなら南北戦争はづでに30年以上前に終わってはいたものの、政治や経済そして文化にその影響を落としていたらかだ。めまぐるしく変わるこの時代のアメリカ社会は急速な産業と経済発展の中、”適者生存”という社会的変化に順応したものが生き残るという考えが浸透した。戦後のこの経済的強者が弱者を支配する流れは、アメリカに資本主義の発展と同時に、都市に様々な影の部分も作り上げていたのだ。
-幼い労働者たちと都市の発展-
新聞の売り子たちは少年だけでなく、時には少女もおり、「号外、号外、大ニュース」と声をあげる彼らの中には、6歳ごろから新聞を売っている子もいる。夜中に新聞社に集まり、朝刊が刷り上がるのを待ち、自分の縄張りで売りさばく(『仕事をする子供たち』1994年)。19世紀末から20世紀初頭のアメリカの様々な児童労働について、ルイス・ハインの写真をもとにラッセル・フリードマンが解説したこの本の中には、炭鉱や缶詰工場また紡績工場や靴磨きとして働く10歳にも満たぬ少年少女とともに、新聞売りの子どもたちも載せられている。
彼らこそ”ニュージーズ(新聞売り)”で、当時はニューヨーク以外にもシカゴなど発展する大都市でも活躍していた。ハインは続ける。「彼らは給料制で雇われではなく、新聞を自分で買い付けて、自力で売るから、売れ残れば赤字になる」と。彼らの多くが貧しく学校にも行けず、家族がいない者も少なくはなかった。
-1890年代という時代-
南北戦争(1861-65)後のアメリカは工業化へと突き進み、その指導権を握ったのは農本主義を倒した北部であった。石油がエネルギー資源となり、鉄道が敷かれ、鉄鋼業が重要産業となっていった。鉄鋼王
アンドリュー・カーネギーや石油王ジョン・ロックフェラー、そして鉄道王のジェイムズ・ヒルをはじめとする大金持ちも誕生し、格差社会を次々と生み出した。
このミュージカルの舞台ニューヨークでは、ブルックリン橋(1883年)、ウィリアムバーグ橋(1903年)などが次々に開通する。都市は発展し、中でもニューヨーク市(マンハッタン島)には、この時期、ヨーロッパから多くの移民が流れ込んだ。それもそのはず。マンハッタン島の左下には1890年に建設が開始されたエリス島が、新たなアメリカの東玄関口の移民局として、1892年より使用開始されたからだ。
特に1880年以降にヨーロッパから大量流入した移民たちは、それ以前の旧移民に対し新移民と呼ばれ、英語は話せず技術もなく同化にも苦労した人たち。新移民は仕事を選べず、保証なし低賃金で長時間労働でも搾取工場で働いた。生き残るためには家族総出だから、ニュージーズのような子どもたちも重要な稼ぎ手となった。」
→続く