たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

アニメーション紀行『マルコ・ポーロの冒険』-第2話聖なる油を求めて

2021年07月26日 14時14分31秒 | ミュージカル・舞台・映画
アニメーション紀行『マルコ・ポーロの冒険』-第1話はるかなる旅立ち
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/89d04dc8314fdee89d5ce645e1fa932b


アニメ&実写『マルコポーロの冒険』全映像がフィルムで!
https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail282.html



「第2話聖なる油を求めて-

 1271年。マルコ一行はエルサレムに向けて旅立った。途中、旅に必要な物資の調達のためアークルに立ち寄る。ヴェネチアを離れたことのなかったマルコにとって、ベドウィンのバザールは、新鮮で精彩に満ち、また驚嘆すべきものであった。
 テントに群がる商人たちが引き上げたあとにひとりの少年がマルコらに近づいてきた。母親が
死にそうだから川袋を買ってほしい、とその少年はマテオにすがりつくが、マテオは相手にしない。そればかりか、マルコにも相手にするな、と注意するのだった。
 いまいましげに舌打ちして立ち去る少年。マルコはマテオに内緒で少年を追いかけ、行ってはいけないといわれた城外へ馬を走らせた。
 皮袋をすべて買いとり、少年をテントまで送ろうとするマルコに、彼はナイフをつきつけた。マルコは、ベドウィンのテントにつれこまれ縛られてしまう。少年はマルコの金袋と引きかえに、長老よりパンを貰い妹とわけあった。
 しばらくして、マルコを救出にかけつけたマテオの声がした。聞きつけて助けを呼ぶマルコに、少年は腰の剣を抜いて襲いかかろうとする。
 危機一髪のところでマルコは黒装束の男に救われた。マルコ一行の護衛をつとめるハマレク族の族長シャリフだった。
 少年は、シャリフによって首をはねられた。
 マルコは、シャリフにつめよるがシャリフは平然とこたえた。
「盗みを働き、お前を殺そうとしたからだ。それが砂漠の掟だ!」
 砂漠では生きるために、身を守るために闘わねばならない。マルコが旅に出で初めて知った、厳しい自然に生きる者たちの掟だった。

 少年(ゲスト出演)は、隊商を襲い、十字軍からも恐れられた遊牧の民「ベドウィンの少年」。マルコをあざむき、金袋をうばう。

国名:イスラエル 脚本;金子満 絵コンテ;平田敏夫 作画;遠藤裕一
仕上;西山誠 シャリフの声;納谷悟朗 少年の声;小原乃梨子」(徳間書店『マルコ・ポーロの冒険』より)



貴重品の収集も・・・

2021年07月26日 00時33分18秒 | 気になるニュースあれこれ
 全くニュースとして上がらなくなりましたが、熱海市では粛々と行方不明者の捜索活動が行われています。貴重品を土砂の中から一つ一つ収集する作業もやってくださっているそうです。東日本大震災のあとにも思い出が刻まれたアルバムなどを丁寧に集めてきれいにしてくださっている写真があったと記憶していますが、ただただ感謝しかありません。連日30度越えの中、マスクに重装備で重機の操作まで。毎日ツィッターにアップされる活動の様子をみながらこんなこともやってくださっているのかと頭が下がる思いです。台風が近づいてきているので急いでくださっているようです。災害救助犬たちも泥まみれになりながら捜索活動に従事してくれていました。

防衛省・自衛隊(災害対策)公式ツィッター
https://twitter.com/ModJapan_saigai/status/1418888549722583040

 東日本大震災のあと、自衛隊が災害救助隊であれば、という意見を身近でなんどか耳にしました。その是非はわたしにはわかりませんが、24時間365日、わたしたちの暮らしと命を守るために働いている方々がいるから、こうして当たり前みたいな顔をして毎日暮らしていくことができているのだということを忘れないでいたいと思います。


 2014年10月30日、上智大学のグリーフケアの講座で阪神淡路大震災の罹災者で防衛大学長だった五百旗頭真(いおきべまこと)さんのお話をまとめています。

大震災の喪失体験を通して考える「悲嘆」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c08a5502c6337e0147a6d5e90e5a7029

大震災の喪失体験を通して考える「悲嘆」(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/94930ebfdea9f56eb042577b601b24b4

阪神淡路大震災の時知事命令がおそかったから自衛隊の出動がおそかったというのは神話。知事命令が出る前の9時代には装備を終えていた連隊もあった。警察のパトカーの先導なしには現場に行けないだろうとパトカー一台の手配も終えていたが、道路はふさがれてしまっていて現場に行くことができなかった。自衛隊の方から現場に行かせてくださいと要請したのが知事命令ということになった。連隊長の自己判断で出動準備をした連隊もあった。後で処罰されることを考えなかったのかという自分の問いかけに対して、連隊長は自分が責任をとるつもりだったと答えた。自衛隊にはそういう訓示がある。


ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』上演決定

2021年07月25日 14時50分59秒 | ミュージカル・舞台・映画

 昨年4月、制作発表を行い、初日を目前にしながら全公演中止された京本大我君主演『ニュージーズ』、10月に日生劇場、11月に梅田芸術劇場にて上演決定と発表されました。2022年7月・8月帝国劇場『ミス・サイゴン』のキャスト発表に続いて、東宝さんより嬉しいお知らせ。小池修一郎先生の宝塚での演出が、来年2月の宙組公演までないのはこのためでしたね。小池先生が忙しいということは日本のミュージカル界が動いているということ。たびたびの中止期間を経て劇場、舞台は対策を学習しているから東急シアターオーブで上演中の『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』は22日から24日までの公演が中止されたものの、短期間で対策を施し再開と発表されました。

 キャストは変わらず、加藤清史郎君も出演するかな。昨年4月中止決定が発表されたあとの清史郎君のインスタグラムの言葉は無念さがにじみ出ていて、心が痛くただただ涙でした。宝塚OGによるエリザガラコンが中止から無観客ライブ配信となったとき、OGの方々がインスタライブで、目前の公演が中止になるのはこんなにも辛いものかと知ったと話していました。どれほど悔しかったでしょうね。今年の秋は無事に上演できることを祈っています。チケットとれる気が全くしませんが、東宝ナビの選考予約にエントリーします。

 来年の30周年記念『ミス・サイゴン』もみたいし、そのためには資金が必要なので昨日までに準備した書類をこれからコンビニでコピー、送付状はプリントアウトして郵便局に持ち込まなければなりません。間に合わなかったらバスに乗って届ける。一か月前面接でアウトとなったところだからダメもと、こんなきついこと終わりにしたいですがやるしかありません。リハビリに通わなければならないことをどうすればいいのかと思い悩みながら、今はとにかく書類を出す。宝塚や東宝さんの舞台を観劇したい、自分で苦労して稼いだお金で観劇したい。そのために書類を出す。元気が出ました。東宝さん、中止になった公演のリベンジを果たすべく、ずっと調整を続けているんですね。『エリザベート』もくるかな、くるでしょう。キャストが気になりすぎます・・・。



また劇場で会えるよね
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/94676808285ec088fddc3bd013c8d5c4

『ニュージーズ』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/656329abde9ba607b4c671fad86b0138

アニメーション紀行『マルコ・ポーロの冒険』-第1話はるかなる旅立ち

2021年07月25日 01時01分40秒 | ミュージカル・舞台・映画
 1979年4月から1980年4月にかけて、毎週土曜日の夜NHKで放送されました。アニメーションと実写ドキュメンタリーをあわせて、17歳に旅に出たマルコ・ポーロの『東方見聞録』をもとにしたオリジナル番組。NHK特集『シルクロード』と共に、地域性もありますがたった5分一人で電車に乗ることすら冒険だったわたしに、世界は広いのだということを教えてくれました。毎週土曜日が待ちきれず、ストーリーをメモリながら夢中でみました。すっかり忘れていましたがファンクラブもあり同人誌に名前だけ参加したりしていました。徳間書店発行の『マルコ・ポーロの冒険』も購入しました。マルコの声が富山敬さん、フビライが森山周一郎さん、ナレーションが小池朝雄さん、小椋佳さんの主題歌、挿入歌の歌声と共にAnotherWorldに旅立たれた方々の声を今も思い出すことができます。

 2020年12月4日現在でフィルムは全話残っていることが確認され、第2話のダイジェスト動画がNHKのサイトにアップされています。アーカイブ発掘中で半分以上は視聴者が提供した音声と合体されて映像化することが可能だそうです。わたしと同世代、少し下の根強いファンがたくさんいらっしゃるんですね。

アニメ&実写『マルコポーロの冒険』全映像がフィルムで!
https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail282.html

「第1話はるかなる旅立ち-

 1269年。
 ヴェネチアに、二人の男が長い旅を終えて帰ってきた。宝石商人のニコロ・ポーロとマテオ・ポーロの兄弟である。
 15年ぶりの二人の帰国に、街はわきかえっていた。だが、旅の途中に知った息子マルコの誕生と妻の死に、ニコロの胸中は複雑だった。
 はじめて対面した父と子の間に15年の空白がたちはだかった。
 父の帰りを待つ孤独なマルコにとって最大の楽しみは、東方の国々の話を、父から聞くことだった。しかし、母の死後、父へのあこがれは、少しずつ変化をとげていったのだった。
 世界の宝物も、元の王フビライ・ハーンの通行証「黄金のパイザ」も、父に対する反抗心を深めるだけたった。そんなマルコに、ニコロは黄金のパイザの重さを、海を渡り砂漠を越え、太陽に焼かれ風にひきさかれる旅の重さをわからせてやる、と心決めるのだった。「自分の運命を自分できりひらけるのは、真の勇気のある人だけ。あなたもニコロの子、ヴェネチアの中だけで終わる男ではない。母さんもそれを望んでいたわ・・・」。叔母フローラの言葉にマルコの心は動きはじめた。
 ニコロとマテオは、東西交流の使者としてフビライとの約束を果たすため、再びモンゴルへ出発することとなった。ニコロの心残りはマルコだった。15年間、何もしてやれることなく、今また別れなければならないのだ。
 兄の気持ちを察したマテオは、マルコを旅に誘うことを提案した。
 「世界の限りない広さと素晴らしさを、マルコに教えてやるんだ!!
 二人は決断した。
 1271年。一行は遥かな旅に発った。時に、マルコ・ポーロ、17歳。

 フローラ(ゲスト出演)は、ニコロ、マテオの妹で、マルコの母親がわりをつとめる。父のように強い男になれ、とマルコに旅立ちをすすめる。

 国名:イタリア 脚本;金子満 絵コンテ;もりまさき、川尻善昭 作画;川尻善昭
 仕上;西山誠 フローラの声;鈴木弘子」(徳間書店『マルコ・ポーロの冒険』より)

 「黄金のパイザ」という響きにワクワク感がよみがえってきます。「黄金のパイザ」は、小椋佳さんの歌にもなっています。放送当時はドキュメンタリー部分にはあまり興味がなく、アニメーションに心躍らせていました。マルコのたどった道のりは、現在外務省から渡航中止勧告が発令されている中東の紛争地域だったり、
1991年にシルクロード天山南路を旅して、ウルムチからカシュガルまでのバスで走りました。叶うならば今の自分でもう一度全話みてみたいです。

旅の思い出写真_シルクロードの子供たち
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/402d720bfc7318e9058f414d6226012d

 最近のことはすぐ忘れてしまうのに昔のことはよくおぼえている、長期記憶に強く短期記憶が弱いのは老いてきた確たる証。どこまで時間が許されるかわかりませんがこの世にいる間にできるだけこれまで出会ってきた歴史をたどり直したいし、自分が自分でいられる間に自分の手で背負っているものを整理していきたいと思います。てんがいこどくとなった自分でたどるのはつらさもありますが、人生という旅を終える前にたどり直したいです。

『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』より-<いのち>への信頼

2021年07月24日 13時40分55秒 | 本あれこれ
「ロジャーズの根本仮説-宇宙には進化へ向かう傾向が備わっている

 ありのままの自分を受け入れること。自分の心の声に耳を傾けて、より深く”自分自身”になっていくその変化のプロセスを生きていくこと。

 これがロジャーズの基本メッセージなのですが、なぜ彼がそんなことをいうのか、その基本的な仮説をここで押さえておきましょう。

「実現傾向」-<いのち>への信頼

 ロジャーズによれば、花であれ木であれ、海草であれミミズであれ、猿であれ人間であれ、ありとあらゆる生命体は、自らの可能性を実現していくようにできています。「内的な刺激があろうとなかろうと、環境が好ましかろうと好ましくなかろうと、有機体の行動は自らを維持し強化し再生産する方向に向かっています。これが、私たちが<いのち>と呼んでいるプロセスの本質です。」(Rogers,1980)

平たく言えば、この世におけるすべての<いのち>あるものは、本来、自らに与えられた<いのちの働き>を発揮して、よりよくより強く生きるよう定められている、というわけです。例えとしてロジャースは、彼が少年時代に見た、小さな窓しかない地下室の貯蔵庫に入れられていたジャガイモを引きあいに出します。二メートルも地下に置かれているそのジャガイモは、それでも窓からもれてくる薄日に届こうと60センチも90センチも延びていく。ここに彼は生命の本質を見ます。「<いのち>は、たとえそれが開花することがなくても諦めません。おそろしく歪んでしまった人生を生きているクライエントと面接しながら、州立病院に戻ってきた人たちと接しながら、私はよく、あのジャガイモの芽を思い出します。彼らがあまりにひどい状況を生きてきたために、その人生は異常で、歪められ、人間らしくないように思えます。けれどその基本的な志向性は信頼することができるのです。彼らの行動を理解する手てがかりは、もちろん自分に可能なやり方に限られてはいますが、成長と生成に向かってもがいているということです。・・・この潜在的な建設的傾向がバースンセンタード・アプローチの基本なのです」(Rogers,1980)

 このようにロジャースは、人間とジャガイモとを共通のまなざしで捉えます。等しく<いのちへの働き=実現傾向>を分け与えられ、条件さえ整えば、自らの<いのち>をよりよく生きる方向へ向かうよう定められた存在として両者を捉えているのです。」

(諸富祥彦『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』1997年10月10日大一刷発行コスモス・ライブラリー、164-165頁)




来談者中心療法の創始者、カール・ロジャーズ1902-1987)はアメリカで自生まれ育った開拓民。
6人兄弟の5番目で親からの愛情がうすく、真ん中の兄弟の生きぬくさを体験。
秀才だが友達は少なく、空想癖があり一人でぼーっとしていることが多かった。
病弱で女性恐怖症の所が少しあり、お母さんがこわかった。
「ぼんやり教授」とあだ名をつけられる。
兄弟からいじめらえて内にとじこもる。問題児だった。
お父さんが仕事に連れて歩いた。

「巧妙で愛に満ちた支配」の家庭環境。いちばんわかりにくく、反抗しにくい。もっとも苦しい。
ロジャーズ家は原理主義的キリスト教家として有名だった。ガチガチのキリスト教。
神に選ばれた者にふさわしい生き方をしなければらならない、人間はボロ布のような存在であるという自己否定的な考え方の二つが柱。

全ては労働によって癒される。

学会出席のためアメリカから中国へ旅をした(往復半年間)ことがロジャーズの人生を大きく変えた。
いろいろな人と出会って「イエスは神にもっとも近い人間」だったことに気づく。
当時はEメールもなかったので親との連絡は船で時間をかけて運ばれる手紙のみだったことがロジャーズにとって幸いした。親からの自立を果たすことができた。親から反対されていることを全てやった。学生結婚と親の大嫌いな神学校への転向。

児童相談所を開設した時の経験からアプローチが作られていった。いろんなケースと出会ったことで勉強になった。

ロジャーズの人生そのものが自己己実現のプロセスだった。

🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻

2004年に毎週金曜日の夜通ったカウンセリングスクールの資料を久しぶりに読み返しました。
受け入れることができない現実の連続に、いつの間にか、自分の視界がものすごく狭くなってきていることに気づきました。
もう少し気持ちが落ち着ける状況になれば資料や本を読み返して今一度原点に立ち返りたいと思います。
悩み葛藤する中から新たな光がみえてきます。ロジャーズに親との確執がなく、また今のようにメールやLINEがあったら来談者中心療法は生まれなかったのかもしれません。

2018年『ルーヴル美術館展』_「スペイン王妃マリアナ・デ・アスストリアの肖像」

2021年07月24日 01時03分40秒 | 美術館めぐり
2018年『ルーヴル美術館展』-古代エジプトより
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b1d3d36701d11e36d5e8c97994c534ec





《スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア(1634-1696)の肖像》

ディエゴ・ペラスケス(1599-1660)の工房
1652年頃
油彩/カンヴァス
絵画部門

「スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア-

 子供の頃からフェリペ4世の一人息子バルタサール・カルロスと婚約していたが、彼が1646年に早世すると、男子の後継者が必要になったフェリペと、1649年に14歳で結婚した。マリアナの母マリア・アンナはフェリペ4世の妹であるという関係から伯父と姪の近親婚になる。

2人の間に生まれた子で成人したのは、長女マルガリータ・テレサと三男カルロス2世(のちのカルロス2世)の2人である。」(ウィキペディアより)


 結婚で絆を深めるため、近親婚を繰り返したことにより健康な血を残すことができなくなったハプスブルク家の一人(『エリザベート』のシシィとフランツ・ヨーゼフ一世は従兄弟同士でお見合いしていましたね)。『ハプスブルク展』でウィーン美術史美術館より来日した、ベラスケスによって描かれたウィーン美術史美術館所蔵「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ(1651-1673)」のお母さんになります。王女マルガリータを中心にフェリペ四世一家を描いたプラド美術館所蔵「ラス・メニーナス(女官たち)」が一般的によく知られているでしょうか。

今日は一年ぶりの上野_『ハプスブルク展』に無事行ってきました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b7db765e663597d5e02856323500dfd6



「王女マルガリータ・テレサ(1651-1673)-

 スペイン王フェリペ四世とオーストリア大公女マリア・アンナの第一子として誕生した王女マルガリータ・テレサは、幼くして叔父であり従兄弟にもあたるウィーン・ハプスブルク家のレオポルト一世の花嫁に定められていた(結婚は1666年)。現在、ウィーン美術史美術館に所蔵されているペラスケスの手になる王女の肖像画は、数年おきに成長を記録するかのように描かれ、その都度ウィーンに送られた。」(『ハプスブルク家-美の遺産を旅する』より)



フェリペ四世のお父さん、フェリペ三世は『エルハポン-イスパニアのサムライ』に登場しました。
フェリペ三世のお父さん、フェリペ二世は、『レディベス』に登場したフェリペ皇子になります。

いろいろみていると舞台の登場人物と肖像画の人物がつながっていることを発見できて楽しいですね。
調べ始めるととまらなくなりますがここらへんで・・・。

宙組『エルハポン-イスパニアのサムライ』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/721fd01fb841df0996b82fb79c2feeb3




「元宝塚トップ、移住して女将に転身…武器は「笑顔と根性」」

2021年07月23日 16時31分52秒 | 気になるニュースあれこれ
読売新聞オンラインより

元宝塚トップ、移住して女将に転身…武器は「笑顔と根性」
https://news.yahoo.co.jp/articles/29b84c8a275004b56e53782a87eea0e1c397d821

ゆきちゃん、すごく綺麗、キラキラしています。若返ったようにみえます。

わたしの中で永遠のフランツ・ヨーゼフ、永遠のヴァルモン子爵。

状況が落ち着いたら、OGの方々も行かれるのかな。

ゆきちゃんが笑顔で出迎えてくれるなんて夢みたい。

いつか行ってみたいです。

 

宝塚歌劇公演チラシ&舞台写真コレクション -2005年~2008年作品(2)

2021年07月23日 00時57分31秒 | 宝塚
宝塚歌劇公演チラシ&舞台写真コレクション -2005年~2008年作品
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6747549fe1d81ca5ee270d4e4ef775bd



日比谷シャンテで開催中の東京宝塚劇場リニューアル20周年を記念した公演チラシ&舞台コレクションの2期、2005年~2008年上演の32作品。もう少し写真がありました。現在活躍されているジェンヌさんたにとって神様のような方々がトップスターの時代。

わたしは観劇から離れていたのでみていませんが、2006年宙組『NEVER SAY GOOD BYE』の再演が発表されました。和央ようかさんと花總まりさんのサヨナラ公演。この時初舞台を踏んだ92期生の真風涼帆さん率いる宙組での再演。16年の歳月が流れ、今も変わらずかっこいいたかこさんも永遠のプリンセス花ちゃんも舞台に立ち続けている真風さんも、みんなすごい。真風さんと同じく92期の凛城きらさんは専科へ異動、松風輝さんは宙組の副組長に。変わっていくものと変わらないもの。世界が続く限り、宝塚が永遠に夢と希望を届けてくれる場所、わたしたちの心を照らしてくれる場所であることは変わらない。

















ベルばら45周年記念コンサートの湖月わたるさんと朝海ひかるさん、永遠にタカラジェンヌと思いました。

2019年『ベルサイユのばら45』_ACT1
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/78eec51bb8170a4baf9904a1628c460d

「『ロミオとジュリエット』-人間の永遠の夢」

2021年07月22日 13時10分15秒 | 本あれこれ
「この劇の登場人物が、主人公二人の他、ロミオの友人二人、ティボルト、それにパリス伯を除けば、皆老人であることにも注目してよいだろう。若者だけが死んでいくのである。」

「若い二人は孤立無援の運命にさらされるが、二人は互いに敢然として運命に挑戦し、毅然とした態度で死を受け入れることにより、一体のものになろうとする。」




「特集ロミオとジュリエット-人間の永遠の夢- 黒川高志

 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は1594年か1595年、作者30歳頃の作品である。この劇の筋書は、シェイクスピアの他の作品同様、彼の独創ではない。その背後には長い歴史がある。この劇に直接結びつく最初の物語は、1530年ヴェニスで印刷されたイタリヤ人ルイジ・ダ・ポルタの作であり、場所もヴェローナ、二人の恋人の名もロメオとジュリエッタである。しかしシェイクスピアの劇の直接の典拠は、ダ・ポルタの仏訳に依拠して書かれたアーサー・ブルックの四千行を超える長編物語詩『ロメウスとジュリエットの悲話』(1562年)である。シェイクスピアはこの既存の素材に変更を加えることにより、それを彼自身の芝居に作りかえたのである。即ち、彼は一瞬のうつに恋を燃焼し尽くして最期をとげる若い二人の一途な恋を際立たせるために、様々な修正を施して全く新しい彼自身のドラマを作りあげたのである。

 第一に注目すべきことは、シェイクスピアが当初主人公のロミオを報われる恋に悩む幻想的青年として舞台に登場させていることである。ジュリエットに出会う前に、ロミオはロザラインという初恋の女性がいたのだが、彼の恋は相手に届かず、彼はかなわぬ恋の重荷にひしがれて、眠れぬ夜を切ない恋を空に描いて過ごしているのである。その姿はまさしく、ロマンスでは常套的な恋に悩む男、「恋に恋する」ペトラルカ風の恋人の姿である。しかもシェイクスピアはそのようなロミオの描写に、一幕のかなりの部分を当てているのである。冒頭でのそうした描写には、その後に展開されるロミオとジュリエットの真実の恋を対照的に際立たせんとした作者の意図が伺えるのである。またそこにはペトラルカ風の恋人に対する作者の揶揄も垣間見えている。度々指摘されることだが、ロミオがキャピュレット家の舞踏会で、初めてジュリエットに話しかけて口づけを交わす場面での二人の対話が、韻を踏んだ十四行詩ソネット形式になっている点にも、シェイクスピアのペトラルカ風十四行詩(男が女を讃美する恋愛詩)への挑戦的、あるいは批判的姿勢が伺えるのではなかろうか。何故なら、二人は恋におちた瞬間、ロミオは果敢な男性に、ジュリエットは成熟した女性にと一挙に変貌するからである。

 第二に注目すべきことは、開幕冒頭の序詞役コーラスがが端的に述べているように、外部の運命的力、即ち人間の力を越えた偶然の出来事の連続が、この悲劇を動かし、若い二人を死へ追いやるということである。もしロミオが仲間の喧嘩に巻き込まれて、やむなくティボルトを刺殺することがなかったら、彼は追放されることもなかったであろう。もし修道士ロレンスの手紙がロミオの手に無事届いていたら、或いはもしジュリエットが仮死状態から目覚める時間がもう少し早かったら、或いはまたロミオが納骨堂に到着する時間がもう少し遅かったら、この悲劇は起こらなかったであろう。この悲劇を惹き起した要因は外部の運命的な力である。若い二人は運命的力に支配されながら、自分たちの責任でもない偶然の突発的事件にさいなまれつつ、悲劇的結末へと、凄まじい勢いで突き進んでいくのである。

 第三に注目すべきは、この劇全体を通して見られるテンポの速さである。ブルックの物語詩では九カ月間の出来事を、シェイクスピアはわずか五日間の出来事に圧縮している。ロミオとジュリエットはそれぞれ、宿怨の間柄にあるヴェローナの二つの名家、モンタギューとキャピュレット家の息子と娘である。劇は両家の召使いたちの喧嘩で始まるが、それは七月中旬の或る日曜日の朝の出来事である。その夜にロミオとジュリエットは舞踏会で初めて出会い、その深夜に例のバルコニー場面がある。翌月曜日の午後、修道士の計らいで、二人は密かに結婚、一夜限りの逢瀬を楽しむ。翌火曜日の夜、伯爵との結婚を迫られたジュリエットが秘薬を飲み、翌朝、乳母が仮死状態の彼女を発見。そして木曜日の夜には二人は死んでいるのである。結末では二人は言葉を交わすことなく、ロミオが到着した時にはジュリエットは仮死状態にあり、彼女が目覚めた時には、すでにロミオは死んでいるのである。わずか五日間の出来事である。劇はまさに稲妻の如く迅速に、暗澹たる結末に向けて進行していくのである。こうした極端な事件の短縮も恋人たちの一途な恋の激しさを際立たせるための作者の巧みな技法なのである。

 「火薬」とか「稲妻」についての言及が再三反復されていることにも注目してみよう。「あまりにも向こう見ずで、軽率で・・・稲妻のように、あっ光ったという間もなく消えてしまうよう」(二幕二場)とバルコニー場面でジュリエットは言う。また修道士はロミオに性急になり過ぎぬよう忠告して、「このような激しい喜びは、とかく激しい終りをとげるもの・・・丁度火と火薬のように、触れ合えば瞬時に吹き飛ぶ」(二幕六場)と言う。筋の急速な展開、そして若さゆえの情熱の恋、それがこの劇の顕著な特色である。シェイクスピアは、若い恋人同士の無鉄砲だが純粋で、愛の駆け引きも知らぬ、ひたむきな「真実の恋」を強調するために、原話では16歳であるジュリエットの年齢を13歳にまで引き下げるような工夫も施している。

 第四に注目すべきことは、二人の恋を特徴づけるイメージとして、暗闇に瞬時に閃く光のイメージが用いられていることである。二人は互いに相手を暗闇の中の光になぞらえている。ロミオは初めてジュリエットを見た印象を「あの人はまるで松明に美しく輝く術すべを教えているよう」(一幕五場)と言う。また彼はジュリエットが横たわる納骨堂を「明り」と呼ぶ。何故なら「その美しさがこの納骨堂を光に満ちた宴の広間にしている」(五幕三場)からである。さらにジュリエットを描写したロミオの言葉「夜の頬に燦然と輝くあの人の姿は、まるで黒人娘の耳に垂れ下がる鮮やかな宝石」(一幕五場)も、同様の効果をもつイメージである。一方ジュリエットもロミオを「夜の太陽」と呼び、彼の死を想像して、もしそうなったら「連れていって細かく刻み、夜空にきらめく星にして」(三幕二場)と考えるのである。この場合、稲妻や、暗闇に閃く光が象徴するものは、一瞬にして燃焼し尽くした若い二人の激しい恋であり、人生における輝かしい青春であり、また儚いわれわれの人生そのものである。(略)他方、暗闇が象徴するものは、生あるものすべてに宿命づけられた「死」であり、また拮抗する両家の宿怨であり、さらには恋人たちを取り巻く人物たちの無知と偏見である。

 最後に注目すべき点は、シェイクスピアが、若い二人の脇にマーキューシオや乳母のような粗野で世俗的な人物を配置したことである。それは純真と世俗の対置である。世俗が二人の純真を引き立て、彼らの超絶的な愛に現実感を与えているのである。ロミオの友人マーキューシオは徹底的な現実主義者であり、彼はロミオのロマンティックな恋を嘲笑し、恋や恋人たちにつてい卑猥な冗談を言う。乳母もまた現実主義者であり、彼女は常識を重んじ、常識で物事を判断する。ジュリエットに対しては同情的だが、丁度マーキューシオが、ロミオの愛、即ち彼のロザラインへの愛とジュリエットへの愛の相違を理解できなかったと同様に、彼女もまたジュリエットの愛を理解できないのである。彼女はロミオが追放の身となると、にわかに彼を見捨てて、パリス伯をジュリエットに推賞し始める。「パリス様は立派な殿方です。・・・前の旦那様は亡くなったも同じ、生きておられても、御用に立たねば、これはもう死人も同然」と乳母は言う。その言葉には彼女の日和見的、俗物的根性が露呈している。結局マーキューシオも乳母も、共に恋人たちの純粋な愛の領域に入る資格を欠いているのである。

 世間体を重んじる両親たちについても同じことが言える。とりわけ父親は、善良だが、旧式の父親であり、専制的で片意地な老人である。彼はジュリエットの純真な恋心を理解できず、ひたすらパリス伯との結婚を娘に強要する。しかも彼は単なる気紛れから、結婚式の日取りを木曜日から水曜日に繰り上げたのである。窮地に立たされたジュリエットは、母に助けを求めるが拒絶され、頼りにしていた乳母にも裏切れたのである。一人取り残されたジュリエットにできることと言えば、修道士の助言に従うことだけである。彼女は42時間効能があるとの修道士の言葉を信じて秘薬を飲み、仮死状態となるのである。ロレンスは両家和解のきっかけになることを期待して、二人のために尽力したのだが、彼もまた老人であり、若者の恋については無知なのである。最後の段階で彼が納骨堂という死の領域から逃げ出すことによって、若い二人を見捨てていることは重要な意味を持っている。この劇の登場人物が、主人公二人の他、ロミオの友人二人、ティボルト、それにパリス伯を除けば、皆老人であることにも注目してよいだろう。若者だけが死んでいくのである。

 若い二人は孤立無援の運命にさらされるが、二人は互いに敢然として運命に挑戦し、毅然とした態度で死を受け入れることにより、一体のものになろうとする。彼らが唇を重ねて死んでいく場面は、二人の愛が死において完全に結合をとげたことを示唆している。彼らの死によって両家の宿怨はとけ、ようやくヴェローナに平和がもたらされるのである。劇は悲劇的余韻を漂わせつつ幕を閉じるが、それは決して悲痛な結末ではない。死を克服することによって成就された若い二人の真実の愛は、青春の讃歌として、また人間の永遠の夢として、いつまでも語りつがれ、読みつがれ、演じ続けられることだろう。」

(慶応義塾大学通信教育教材『三色期』1995年3月号より)

雪組『フォルティッシッシモ』『シルクロード』-東京宝塚劇場公演(11)

2021年07月22日 00時19分24秒 | 宝塚
雪組『フォルティッシッシモ』『シルクロード』-東京宝塚劇場公演(10)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/bcb227bc339233a9735d837343a4245f


『フォルティッシッシモ』、

 オーストリア皇帝一家を、お正月に宝塚大劇場で観劇した時、抽象的な存在なのかなと思ったのは大いなる勘違いでした。宝塚ファン、ミュージカルファンにはすっかりお馴染みのエリザベート(1837-1898)の夫フランツ・ヨーゼフ一世(1830-1916)のお祖父さんにあたるのが、物語に登場するフランツ一世(1768-1835)。ハプスブルク家の家系図をみると、マリー・アントワネット(1755-1793)のお兄さんである神聖ローマ皇帝レオポルト二世の子どもです。
 
 神聖ローマ皇帝フランツ二世(オーストリア皇帝フランツ一世)、ウィキペディアを参照すると、ナポレオン戦争でフランスとの戦いに敗れるとローマ皇帝の称号を自ら放棄、オーストリアとハンガリー王国を中心にオーストリア帝国を再編して、神聖ローマ皇帝フランツ二世は、オーストリア皇帝フランツ一世となります。煌羽レオさんが演じたメッテルニヒを登用してウィーン会議で失地を回復したそうです。千風カレンさんの演じたフランツ一世の妻が、オーストリア皇后とだけなっているのは生涯に4度結婚したからなのかなと勝手に想像。

 綾鳳華くんの演じたルドルフ大公(1788-1831)は、ウィキペディアを参照すると、神聖ローマ皇帝レオポルト二世の末子。フランツ一世の、年の離れた弟になります。ベートーヴェンにピアノと作曲を師事すると二人は意気投合。保護者として、ただ一人最後までベートーヴェンに年金を送り続けたそうです。生まれつき虚弱で激務に耐えられず、43歳で早世。肖像画の優しい面立ちが、物語の中のルドルフ大公と重なります。ナポレオン戦争の処理を決めるウィーン会議の戦勝記念コンサートで、プログラムから自分が外されたことを知って納得できないベートーヴェンの肩に手を置き、自分の力ではどうにもできないことを詫びる表情をしていたと思います。出番は多くなかったですが、孤独なベートーヴェンに寄り添う、優しく温かい風のような存在感でした。

ベートーヴェンの忠実なパトロンで生涯の友 ルドルフ大公に捧げたピアノ三重奏曲第7番「大公」
https://www.j-cast.com/trend/2018/03/07323005.html?p=all

 フランス革命、ナポレオン、ハプスブルク家は、作品によって異なる視点から宝塚で繰り返し描かれてきているので説明なしに登場させてもみなさんもうよくご存知だからいいですよね的なところがたしかにあったかもしれません。こうして振り返ってみると、短い時間に立場と視点の異なる人々がたくさん登場した物語でした。年表や家系図をみるのが得意ではないので、業務の脳みそ満タン状態では頭の中を整理できなかったですね。だいもん(望海風斗さん)の次なる作品と所属事務所が発表されて新しく歩み出していますが、思い出をようやくもう少し振り返っていこうと思います。上田久美子先生の作品は、観劇する人それぞれの解釈に委ねているところが大きいので、想像力の翼を羽ばたかせる余地がたっぷりあります。

初見のあと調べた登場人物の年代

  ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン;1770年12月16日頃- 1827年3月26日

  ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト :1756年1月27日 - 1791年12月5日

  ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ:1749年8月28日 - 1832年3月22日

  ナポレオン・ボナパルト:1769年8月15日 - 1821年5月5日