たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

アニメーション紀行『マルコ・ポーロの冒険』-第2話聖なる油を求めて

2021年07月26日 14時14分31秒 | ミュージカル・舞台・映画
アニメーション紀行『マルコ・ポーロの冒険』-第1話はるかなる旅立ち
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/89d04dc8314fdee89d5ce645e1fa932b


アニメ&実写『マルコポーロの冒険』全映像がフィルムで!
https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail282.html



「第2話聖なる油を求めて-

 1271年。マルコ一行はエルサレムに向けて旅立った。途中、旅に必要な物資の調達のためアークルに立ち寄る。ヴェネチアを離れたことのなかったマルコにとって、ベドウィンのバザールは、新鮮で精彩に満ち、また驚嘆すべきものであった。
 テントに群がる商人たちが引き上げたあとにひとりの少年がマルコらに近づいてきた。母親が
死にそうだから川袋を買ってほしい、とその少年はマテオにすがりつくが、マテオは相手にしない。そればかりか、マルコにも相手にするな、と注意するのだった。
 いまいましげに舌打ちして立ち去る少年。マルコはマテオに内緒で少年を追いかけ、行ってはいけないといわれた城外へ馬を走らせた。
 皮袋をすべて買いとり、少年をテントまで送ろうとするマルコに、彼はナイフをつきつけた。マルコは、ベドウィンのテントにつれこまれ縛られてしまう。少年はマルコの金袋と引きかえに、長老よりパンを貰い妹とわけあった。
 しばらくして、マルコを救出にかけつけたマテオの声がした。聞きつけて助けを呼ぶマルコに、少年は腰の剣を抜いて襲いかかろうとする。
 危機一髪のところでマルコは黒装束の男に救われた。マルコ一行の護衛をつとめるハマレク族の族長シャリフだった。
 少年は、シャリフによって首をはねられた。
 マルコは、シャリフにつめよるがシャリフは平然とこたえた。
「盗みを働き、お前を殺そうとしたからだ。それが砂漠の掟だ!」
 砂漠では生きるために、身を守るために闘わねばならない。マルコが旅に出で初めて知った、厳しい自然に生きる者たちの掟だった。

 少年(ゲスト出演)は、隊商を襲い、十字軍からも恐れられた遊牧の民「ベドウィンの少年」。マルコをあざむき、金袋をうばう。

国名:イスラエル 脚本;金子満 絵コンテ;平田敏夫 作画;遠藤裕一
仕上;西山誠 シャリフの声;納谷悟朗 少年の声;小原乃梨子」(徳間書店『マルコ・ポーロの冒険』より)



貴重品の収集も・・・

2021年07月26日 00時33分18秒 | 気になるニュースあれこれ
 全くニュースとして上がらなくなりましたが、熱海市では粛々と行方不明者の捜索活動が行われています。貴重品を土砂の中から一つ一つ収集する作業もやってくださっているそうです。東日本大震災のあとにも思い出が刻まれたアルバムなどを丁寧に集めてきれいにしてくださっている写真があったと記憶していますが、ただただ感謝しかありません。連日30度越えの中、マスクに重装備で重機の操作まで。毎日ツィッターにアップされる活動の様子をみながらこんなこともやってくださっているのかと頭が下がる思いです。台風が近づいてきているので急いでくださっているようです。災害救助犬たちも泥まみれになりながら捜索活動に従事してくれていました。

防衛省・自衛隊(災害対策)公式ツィッター
https://twitter.com/ModJapan_saigai/status/1418888549722583040

 東日本大震災のあと、自衛隊が災害救助隊であれば、という意見を身近でなんどか耳にしました。その是非はわたしにはわかりませんが、24時間365日、わたしたちの暮らしと命を守るために働いている方々がいるから、こうして当たり前みたいな顔をして毎日暮らしていくことができているのだということを忘れないでいたいと思います。


 2014年10月30日、上智大学のグリーフケアの講座で阪神淡路大震災の罹災者で防衛大学長だった五百旗頭真(いおきべまこと)さんのお話をまとめています。

大震災の喪失体験を通して考える「悲嘆」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c08a5502c6337e0147a6d5e90e5a7029

大震災の喪失体験を通して考える「悲嘆」(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/94930ebfdea9f56eb042577b601b24b4

阪神淡路大震災の時知事命令がおそかったから自衛隊の出動がおそかったというのは神話。知事命令が出る前の9時代には装備を終えていた連隊もあった。警察のパトカーの先導なしには現場に行けないだろうとパトカー一台の手配も終えていたが、道路はふさがれてしまっていて現場に行くことができなかった。自衛隊の方から現場に行かせてくださいと要請したのが知事命令ということになった。連隊長の自己判断で出動準備をした連隊もあった。後で処罰されることを考えなかったのかという自分の問いかけに対して、連隊長は自分が責任をとるつもりだったと答えた。自衛隊にはそういう訓示がある。